『月山』



舞台は庄内平野を見下ろす山の深くにある、ほかの生活者とはほとんど接することのない部落に立つ注連寺というお寺である。
とはいっても、主人公はなぜかこのお寺を訪れた人間で、もともとはこのあたりの生まれではない。
なぜここに来たのかとかいう疑問もあるにはあるが、この舞台のシチュエーションからなにかを読み取ってみる。

まずは物語の中でも説明されている、「生」の象徴としての鳥海山と「死」の象徴としての月山だ。
この二つのやまの間の渓谷に舞台となる部落があり、彼らはみな同じ姓であり、密造酒を作って生計を立てている。
この部落は冬の間、ほとんどが「吹き」と呼ばれる吹雪に見舞われる。
この吹きの中では自分の位置さえ見定めることが難しい。
何年もこの土地で生きてきた老人だけが、迷いなく進むことができる。

ぼくはこの吹きは世の中のいろいろな事象ではなかろうかと思う。
何もわからず、むやみにその中を歩こうとすれば道に迷う。
迷ったらどうなるのか。
促身仏となって成仏するか、ミイラとなるか。
この世のしがらみから逃れようとすれば、一切を捨てなければならない。
また、ほかの人と違う価値を持ち込もうとすれば、排除されるかもしれない。
自分の村の中で、悪いと知りながら、一緒になって密造酒をつくっていればいいのだ。
そうすれば吹きから自分を守ることができる。
でも、一生吹きを超えて月山へとたどり着くことができない。
部落にもなじめず、吹きにむかって歩き出すこともできない主人公は、蚊帳の中で自分と対峙する。
そこに生きた時間は流れていない。
ただ、蚊帳の上のほこりが消費された時間をあらわしていく。。

日常と非日常、また死への畏怖と生への執着。。
人が生まれるとは、また死ぬとはどういうことなのか。
鳥海山から無事に月山へとたどり着くことができたとき、人はなにを想うのだろうか。

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