June 11, 2007
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カテゴリ: そのほか
先日、学文女声合唱団で「米節」を練習した。

ユニゾンで、単旋律ではあったが、実に感動ものであった。

中高年のメンバーが多く、しかも若いときから
特別にトレーニングを積んできた人たちというわけでもないこの合唱団。

もちろん日本民謡だけを勉強してきた人たちや、
プロの民謡歌手や民謡の名人とは比べ物にならないだろう。
でも、日本民謡だとツボを押さえるのが早い。

彼女たちがラテン語でグレゴリオ聖歌や
パレストリーナを歌ったときとは全く比べ物にならない。

教わらなくても、判ってなくても米節だとそれらと同じ様な事を体で感じ、
それらと同じ様な事を理解し表現する事が出来る。
日本語ではあっても西洋音楽指向の合唱組曲を歌っているときの様に、
どこか「振った(ぶった)」所も無く「米節」だと自然体で歌えている。
よりも明るく楽しいのに「深い」、、そう感じる。
「はっ。」「どっこい。」「はぁ~どうしたどうした。」
こうした間の手もそれが正調かどうか、は知らないが、
皆で同じ事を感じ合わせることが出来る。

歌唱技術的には確かに下手かもしれない。
が、律動、アーテキュレーション、ディクション、、、
米節を歌うとき、全てが美しい。



これを「血」という人もいるが、、
決して血ではない筈だ。
人種、民族の問題でもない。

目には見えないけれどこれこそが正に
人が生きてきた文化、そしてMother tongueなのだ。


などとは思わない。そんな筈も無い。

今度のミスユニバースの森理世さんが、
学文女声合唱団の人たちの様に同じ文化をどれくらい持っているかどうか?
きっとミスユニバースは彼女たちと全く同じものは持っていないと思う。

「日本の音楽感性」

今言わんとするものをもし、こう呼ぶならば、
これは、世代、時代、背景によって変化して行くだろうし、
正統と呼ばれる伝統はどんどん希薄になって行くのかもしれない。

でも、日本語で生きて行く私たちとその文化が続く限り決して消えはしないものだと思う。

今日(6月11日)イタリアの声楽アンサンブルLA VENEXIANAを聴いたが、
彼らの歌を聴いて、日本文化の中で生まれ育ち生きる私たちと西洋音楽とのつきあい方にも光がある様に感じた、、。

続きはどこかで、、。





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Last updated  June 11, 2007 11:09:58 PM
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