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Feb 19, 2015
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   (信長という武将)

 信長は思わず天を仰いだ。我が軍の先鋒は明智光秀で木の芽峠を猛進中

であり、次いで応援部隊の徳川勢がそれに続いている。

 このまま時が過ぎれば、我が軍は全滅する。

「殿軍を努める者は居らぬか?」

 そう下知を発しながらも、信長は京への道筋を思案している。

「殿、それがしにお命じ下され」

 大声で小柄な躰の木下藤吉郎が信長の前に転がりでた。

「猿か・・・死ぬるぞ」

「承知にございます。この藤吉郎に殿軍をお任せ下され」

 木下藤吉郎が必死の顔つきで信長を仰ぎ見ている。

 これまでは才覚のみで今の身分と成ったが、これという武功がなかった。

 何としても武功が欲しい、家中の武将は彼を真の武将として見ていなかった。

「おべっかい者」

 これが木下藤吉郎の評価であったが、この一件から彼を見直した。

「猿、金ケ崎城に籠り、撤退する光秀と徳川殿を無事にお逃がせ申せ」

「畏まりました。殿、ご無事にお戻り下されませ」

 藤吉郎の声に押され、信長は十数騎の旗本を従い二十八日に京へ向け

撤退を開始した。

 退路は危険な琵琶湖岸沿いではなく、朽木越え(のちの若狭街道、琵琶湖

の西側の山道)が選ばれた。

 信長は若狭街道を一気に駆け抜け、朽木谷の間道から京に逃げ戻った。

 この際に信長は同盟者の徳川家康にさえ、何の連絡もしなかったのだ。

 それほど危機感を募らせていたのだ。

 これは織田信長という武将の面目躍如を物語る行動であった。

 己が生き残る限り織田家の再興は可能である。これが信長流の発想である。

 主人の信長の撤退を機に織田家の武将達も、撤退を開始した。

「無事にお戻りを」

 木下藤吉郎が一人一人に声を懸けている。

「そこもとも無事に戻られよ」

 それぞれが声を懸けつぎつぎと、配下の鉄砲足軽を藤吉郎に預けて行った。

 藤吉郎にとり、鉄砲足軽の増加は嬉しいことであった。

 彼はそれらを率いて金ケ崎城に籠り、最後の味方が通り過ぎるのを待った。

 信長の撤退を知らされた徳川家康は、その逃げ足の速さに驚いたという。  

「はや、お逃げなされたか」

 と一言呟いたと言う。

 京に戻った信長は反撃の軍勢を整えるため本拠の岐阜に戻る必要があった。

 その途中の千草越えの地で、鉄砲の名人と謳われた杉谷善住坊に至近距離

から狙撃されるが、運良く命中を免れた。弾は信長の羽織を射抜いたという。

 信長は態勢を建て直し、六月末に姉川を挟み浅井、朝倉勢の連合軍と激闘し

辛うじて勝利をおさめた。これが有名な姉川の合戦である。

 併し決定的な勝利には至らず、浅井、朝倉勢は九月に南近江で織田勢と

対決できるまでに力を回復したのだ。

 そうした時期、摂津の石山本願寺が決起した。彼等は紀州、雑賀衆の鉄砲

集団を傭兵とし、三千挺の火縄銃で織田軍団に挑んだ。

 この銃撃戦は日本史始まって以来の大規模な銃撃戦となり、信長は窮地に

追い込まれた。

 九月二十日には完全に勢力を回復した浅井、朝倉の連合軍が大津の宇佐山城

に猛攻を加え、城主の森可成(よしなり)が戦死した。

 この森可成の三男が本能寺の変で信長と共に戦死した森蘭丸である。

 この戦況をみて摂津方面では、阿波からもどった三好一党が福島、野田に

砦を築き兵力を集結させた。

 さらに十一月には信長の本拠地の咽喉元の長島で一向一揆が蜂起した。

 この戦いを支えきれず、信長の弟の信興が小木江城で自害して果てている。

 まさに信長にとり最悪の年を迎えたのだ。

 これらの騒動の翳に勘助、信虎さらに将軍足利義昭が暗躍し、それが効果を

顕してきたのだ。

 浅井、朝倉勢の連合軍二万八千は宇佐山城を攻略し、信長が主力軍団を率い

反撃の気配を見せると、一斉に比叡山に登り山々の峰々や谷、堂塔伽藍に籠もり

眼下に琵琶湖を見おろして対峙した。

 四面楚歌の情況下で信長は、焦りに焦ったが手の施しようがない。

 比叡山の延暦寺までが浅井、朝倉家に味方をし、織田信長を敵に廻したのだ。

 比叡山の三千の堂塔伽藍は十六の谷に建ち、一山が巨大な城塞と化したのだ。

「おのれ、叡山の坊主共。女子を引き入れ酒を喰らう奴等は皆殺しにしてやる」

 信長は比叡山延暦寺を呪った、そうしながら降雪を祈っていた。

 冬将軍の訪れと共に真っ先に動揺したのが朝倉勢であった。

 彼等の本拠地の越前は、豪雪地帯で知られた北陸地方である。このままでは

帰還が不可能となる。

 これを待っていた信長は、将軍、義昭に拝謁し比叡山に籠もっている浅井、

朝倉勢は補給が途絶え全滅すると脅し、和睦の斡旋を頼んだ。

 驚いた義昭はまんまと信長の策に乗せられ、和睦を斡旋したのだ。これは

自らの首を絞める行為であった。

 浅井、朝倉勢が比叡山を動かない事が軍事的な意味あいをもっていたのに、

将軍、義昭は軍事の何たるかを知らなかった。

 十二月十三日に和議が成立し、浅井、朝倉勢は雪を掻き分け帰還した。

 こうして信長は、ようやく虎口を脱したのだ。

 信長は軍団をとどめ単身で岐阜城にもどり、元亀元年の波乱に富んだ年が

暮れたのだ。

     (武田勢、動きだす)

 元亀二年(一五七一年)波乱ふくみの年が明けた。躑躅ケ崎館の主殿で信玄

は股肱の、馬場美濃守信春、高坂弾正昌信、内藤修理亮昌豊等三名と実弟の

武田信廉(逍遥軒)と密談を交わしていた。

「父上から、信長の動きは全て余の許に伝えられてくる。信長いささか慢心

いたし、今は孤立無援と聞く」

 信玄の声がいくぶん風邪気味に聞こえ、濃い髭跡の顔色も優れなくみえる。

「御屋形、お風邪にございまするか?」  

 高坂弾正昌信が心配顔で訊ねた。

 弾正は信玄の寵童であった人物で、それ故に信玄の身が案じられた。

「もう良くなった。話の続きじゃが、奴の味方は三河の徳川家康のみと聞く。

今年は三河地方を挑発しょうと思うが、皆の存念が知りたい」

「家康、いささか図にのっております。それがしは賛成にございます」

 信玄そっくりの面立ちをした信廉(のぶかど)が賛意を示した。

「そちは親類衆じゃ、口を挟むでない」

 信玄が手で制し、信廉が不機嫌そうに口を閉じた。

 この信廉が世に言う、信玄の影武者である。

「公方さまと信長の軋轢は修復不可能と聞き及びまする、信長は四面楚歌の

情況とか、我家の上洛のためにも家康を痛めつけるは良策かと存じまする」

 馬場美濃守が簡潔に答えた。  

「高坂はどうじゃな?」

「上杉謙信、再び一向門徒衆の蜂起で越中に兵を繰り出しておりまする。

 今年も信濃は安泰と心得ます、徳川領に進攻いたし我家の威をみせる事は

徳川に加担いたす豪族にとり脅威かと存じます。その意味で結構かと存じます」

 信濃郡代の高坂弾正が柔和な口調で断言した。

「内藤修理はどうじゃ?」

 言い終えて信玄が咳き込んだ。

「大丈夫にございますか?」

 宿老の三人が心配そうに信玄を見つめた。

「御屋形、それがしも高坂殿と同意見にございます」

 内藤修理が心配顔で賛意を示した。

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Last updated  Feb 20, 2015 05:20:16 PM
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