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Mar 14, 2015
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   (武田勢の上洛の戦略)

 信玄はそんな信豊の張り切った初々しい態度に頬を緩めた。

 川中島合戦で討死した、直ぐ下の弟の典厩信繁の温顔が過ったのだ。

 信玄が最も頼りにした弟の嫡男、信豊は父親似の顔つきをしていた。

 信玄が内藤修理亮を見つめ下知を下した。

「内藤修理亮、そちは小幡信貞と和田業繁(なりしげ)の西上野衆を伴い、

直ぐに帰還いたせ。余も軍勢を整えすぐに来援に向う」

「はっ、畏まりました」

 内藤修理亮が素早く主殿から立ち去った。

 信玄は大軍を発し西上野から利根川に軍勢を進め、北条勢と合流し利根川を

挟んで、上杉勢と対陣した。しかし合戦に至らず両軍は兵を引いた。

 三月にも謙信は関東に進攻し、信玄も再び出馬したが、上杉勢は突然に関東

から兵を引きあげた。再び越中で騒乱が烈しくなっていたのだ。

 こうした出陣が信玄の体力を消耗させていが、本人の信玄も気付かずにいる。

 春とは言うものの、この季節は寒い日々が続いていた。

 労咳という病は冷たい空気が最も肺に悪い影響を与えるのだ。

         (征途)

 古府中は猛暑のなかにある。七月となり信玄の体調も回復に向かい、彼は

慎重に越中の様子を窺がっていた。越中は予想通り混乱の極みとなっていた。

 謙信は甲相同盟の復活を知り、関東攻めを視野におさめていた、その為には

越中を静謐にする必要から、鯵坂長実(あじさかながざね)を新庄城の城代に

任じ、一向門徒衆への備えとしていた。

 一方の門徒衆は信玄の要請を受けた、石山本願寺門主顕如の命で総大将に、

豪勇で聞こえた玄任を差し向け、六月に一斉に越後勢に対し蜂起したのだ。

 彼等は上杉家の属城の日宮城を攻略し、救援軍の鯵坂勢を神通川で撃破し、

援軍の山本寺定長の軍勢も破り、越後に雪崩れ込む勢いを示していた。

 上杉謙信は関東出兵を目論んでいたが、急遽、大軍を越中に出撃させた。

 それが八月十八日であった。新庄城に入城した謙信は一向門徒衆の烈しい

攻撃に眼を剥いた。

 加賀の一向門徒衆までが富山城に籠城しており、三万とも四万とも言われる

大軍団であった。

 彼等は今迄の謙信が戦った門徒衆と違い、大量の鉄砲を保有していた。

 謙信は制圧まで二ヶ月と値踏みしたが、門徒衆の抵抗が烈しく、越中から

軍勢を引くことが叶わなくなっいた。

 信玄が待っていた機会が、漸く訪れたのだ。

 久しぶりに甲斐盆地から狼煙があがった。上洛の準備を促す狼煙であった。

 各地の武田勢は、一斉に小荷駄に軍需物資を積み込んでいる。

 それは膨大な物資であった。軍兵の糧食、騎馬隊の馬の餌、さらに人夫と、

小荷駄を引く牛馬の食糧、そして最も重要な武器、矢弾の量は見たこともない

膨大な貨物であった。

「こたびの合戦は京の都までじゃ、積み残してはならぬ」

 小荷駄奉行達は懸命に人夫等を督励している。

 躑躅ケ崎館の主殿に股肱の重臣が集まっていた。馬場美濃守信春を筆頭に

高坂弾正昌信、山県三郎兵衛昌景、甘利昌忠、秋山信友等の五将であった。

 彼等はいずれも戦塵に明け暮れた歴戦の猛者であり、信玄がもっとも頼りと

する武将達であった。

「御屋形、内藤修理亮殿が居られませぬが、いかが為されました」

 馬場美濃守が不審そうに訊ねた。

「こたびの上洛には親類衆すべてを引き連れる積りじゃが、我が留守中に何が

起こるか判らぬ」  

 信玄が静かに口をひらき、股肱の五人に視線を這わせた。

「いらざる斟酌を申しました。内藤殿なれば安心いたし留守に出来まするな」

 高坂弾正昌信である。  

「そうじゃ、念願の上洛。何としても連れて行きたいが仕方があるまい」

信玄の言う通り念願の上洛である。武将として一期の誉れであるのに、あえて

内藤修理亮を残した信玄の、心の奥を全員が理解した。

「徳川家康を一蹴し信長の息の根を止めねば成りませぬな」

 馬場美濃守が戦場焼けした声を張りあげた。

「上洛の軍略を申し聞かせる」  

 信玄が普段と変わらぬ声で一座を見渡した。

「上杉謙信は来年まで越中より動けまい、又、わしの留守に甲斐を襲うような

事もなかろう。謙信はそうした男じゃ、従って後顧の憂いなく軍勢を進められる」

 数年間の合戦を通じて信玄は謙信の気象を見切ったようだ。

「左様に心得まする」  

 馬場美濃守が賛意を示した。

「よって余は上洛を果たすまでは甲斐に戻らぬ覚悟じゃ」

 御屋形の覚悟を聞けばそれでよし、一座の五将は黙して平伏した。

「まず、当面の陣構えを申し聞かす」  

 信玄が自ら立ち上がり、傍らの衝立を動かした。

 一斉に五将から感嘆の吐息が洩れた。

「先鋒」  馬場信春、山県三郎兵衛昌景、甘利昌忠。

「二陣」  高坂弾正、小山田信茂、原昌胤。

「三陣」  武田四郎勝頼、 武田逍遥軒信廉、武田信豊、穴山信君。

「脇備え」 土屋昌次、小山田昌辰、小宮山昌友、駒井昌直、真田信綱。

「後備え」 原隼人、 浅利昌種、 跡部勝資。

「これは、見事な陣形ですな」  

 馬場美濃守と高坂弾正が顔を見合わせて唸った。

「余もいささか頭を痛めた」  

 信玄の顔に満足感が浮かんでいる。

「申しあげます」  

「何じゃ三郎兵衛、不服でもあるか?」

「原隼人の後備えは勿体ないと考えます。原は陣場奉行にございまする」

余は途中で拾った豪族たちに道案内をさせる積りじゃ」

 信玄の言う、道案内とは糧食や武器弾薬の補給を指す言葉である。

 小荷駄の全責任者は陣場奉行の原隼人の勤めであるが、信玄は彼の任務を

軽くする事を考えていたのだ。

「これは迂闊なことを申しました。お許し成されませ」  

 赤備えの山県三郎兵衛が顔を赤らめた。

「あとは何か申すことはあるか?」

「拙者の名がございませぬ、訳でもございますか?」

 高遠城代の秋山伯耆守信友が憮然とした顔つきで訊ねた。

「伊那高遠城の城代を忘れはせぬ。余の前に立ち塞がる最強の敵は織田

信長じゃ。そちは伊那衆を率い東美濃を侵略いたせ、まずは岩村城を陥せ、

信長はそれで岐阜城から動くことが叶わぬ。それをそちに頼みたい」

「これは有り難い仰せ、つつしんでお受けつかまつります」

 三郎兵衛と肩を並べる、猛将の秋山信友が厳つい顔を崩した。

「岩村城を攻略いたしたら、次ぎは明智城じゃ東美濃一帯を脅かすのじゃ」

「ははっー」  

「伯耆守、羨ましいのう。お主の斬り取り放題じゃな」

 山県三郎兵衛が心底から羨ましげな声をあげた。

 両人とも飯よりも合戦が好きな武将であった。

「何を申すか、京が拝めんのじゃ。その腹いせに大いに暴れまわってやる」

 その様子をみて一座から哄笑が湧いた。


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Last updated  Mar 14, 2015 03:54:34 PM
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