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December 13, 2007
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カテゴリ: 信仰について
原理は雑多な宗教の寄せ集めです。


めんどうなことに一度原理が入って祝福を受け子供が生まれると、この原理がおかしいと思いながらもこの考えから離れられないことです。
おかしいと認めることがこわいし今まで過ごしてきた月日をどう整理したらいいのかわからないのでそこで思考がストップしてしまうのです。
いまからでも新しく出発できるはずなのに自分の未来を放棄してしまう例をたくさん見てきました。私は、そんな一人一人が他人事と思えないのです。私もあの時このような人と祝福を受けていたら信仰を貫くという名目で家庭を出発していたであろうし、あの姿は私だったかもしれないと思うからです。

自分で自分の首を絞めるように生活している人が信仰という名前のもとで暮らしています。
蕩減という言葉で自分の犠牲がいずれ子供のために先祖の救いにつながるとか
妄信でも純粋に歩んでいる心情はわかってもらえるとか
本当のことなんて生涯わからないとか

子供ができない人のために希望のことばが文の口からでもしないのに
障害のあるこどもをもった夫婦のために慰めの一言も語られない
奥さんを失い旦那さんを早くなくした人のために子供を失い悲しみにくれている人に
何の役にも立たない原理を後生大事に真理かも知れないとメシアかも知れないと思いいとどまさせているのは、自分の弱さだと早く気がついてほしいものです。








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最終更新日  December 13, 2007 11:21:42 AM
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