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今日は、午前中水元公園をウォーキングしてきました。紅梅が咲いていて、冬景色の中にピンクの色が映えてました。ポプラ並木広場の川バードサンクチュアリで野鳥を眺めたりしながら気持ちよく一周歩きました。偕楽園で水戸の六銘木の一つ「白難波」が開花したそうです。春は、ゆっくり、そして確実に近づいているんですね。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月30日
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昨日は夕方から、セミナーとライブをはしごした。セミナーは、ライフプラン倶楽部の伊藤宏一先生のセミナー。環境資本主義への移行の時代であるというのが欧州各国の例を挙げながら説明された。そこからパーソナルファイナンスにおける従来の資産に人的資産と環境資産がはいってくる。そして、今後の家計ファイナンスがどう変わってくるか今後のライフプランのモデルがどのようなものになるか行動ファイナンスの基準をライフプランにおくことで、これまでのアメリカ的な資産最大化の価値基準から踏み出すことができる。など、先生らしい切り口で話された。私も同様なことは感じていたので、共感できた。その後は、ひとりで友達のボサノバのライブを聞きにいった。お客さんのミュージシャンが飛び入り参加したりという感じでアットホームな雰囲気。ジャズって楽しいですね。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月28日
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日が少し長くなってきましたね。都内でもふきのとうの芽がでてきたところがあるそうです。春が待ち遠しいです。寒い日は、熱燗や鍋もいいけど、あったかいお風呂が一番ですね。肩を自分でもみながらあったまると体が回復します。食べ物はりんごが終わって、伊予かんがおいしいかなと。これから、また寒い日が来るでしょうけど、あと、一月で梅も咲いてきます。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月25日
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水戸黄門料理を出す水戸の大つか屋。黄門料理は、江戸時代の健康食です。こちらの料亭では、水戸黄門が食べていたといわれる料理をコースで頂くことができました。 私も、20年前に一度食べに行ったことがあります。創業は1890年ですが、黄門料理を始めたのは現在のご主人・大つか屋子之吉さん。大つか屋さんは、50代で癌をわずらったことをきっかけに水戸黄門料理に興味を持ったそうです。実は、水戸黄門も、30代のときに癌に侵されていました。しかし医食同源思想の持ち主だった彼は専門の栄養士を雇い、365日栄養士の献立に従った食事をしたところ、なんと74歳まで生き延びたそうです。それを知ったご主人は、自分も黄門様の食べた料理と同じものを食べれば長生きできるのではと、早速文献を集めて研究を始めました。15年ほどの研究の後、昭和56年から黄門料理をお店で出すようになりました。大つか屋さん自身も毎日黄門料理を食べているおかげか、健康そのもの。黄門料理の健康効果を実感しておられました。 そのご主人が2008年に亡くなられました。水戸商工会議所では、この黄門料理の継承者(料理店)を募集していました。2月にはまた黄門料理が一般客に提供できるようになるそうです。梅宮辰夫のトークショーなども開催されます。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月22日
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本屋に行くと親鸞関係の本が並んでいたりしますね。親鸞は、中年になって東国(関東)で布教活動をしました。建保2年(1214年)(流罪を赦免より3年後)、東国での布教活動のため、家族や性信などの門弟と共に越後を出発し、信濃国の善光寺から上野国佐貫庄を経て、常陸国、茨城県に向かいました。寺伝などの文献によると滞在した時期・期間に諸説ありますが、建保2年に「小島の草庵」(茨城県下妻市小島)を結び、建保4年(1216年)に「大山の草庵」(茨城県城里町)を結んだと伝えられています。そして笠間郡稲田郷の領主である稲田頼重に招かれ、同所の吹雪谷という地に「稲田の草庵」を結び、この地を拠点に精力的な布教活動を行いました。また、親鸞の主著『教行信証』は、「稲田の草庵」において4年の歳月をかけ、元仁元年(1224年)に草稿本を撰述したと伝えられています。親鸞は、東国における布教活動を、これらの草庵を拠点に約20年間行いました。西念寺の寺伝では、妻の恵信尼は、京には同行せずに「稲田の草庵」に残ったとしています。文永9年(1272年)に、この地で没したとしています。この関東布教時代の高弟は、後に「関東二十四輩」と呼ばれるようになります。その24人の高弟たちが、常陸や下野などで開山する。それらの寺院は、現在43ヶ寺あり「二十四輩寺院」と呼ばれ存続しています。「稲田の草庵」は、現在西念寺(さいねんじ)として残っています。茨城県笠間市稲田にある仏教寺院。浄土真宗別格本山。単立寺院。浄土真宗立教開宗の聖地として、真宗門徒の崇敬を集めています。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月20日
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-----------茨城新聞より 鹿嶋市宮中の鹿島神宮で、池に入って心身を清める大寒禊(だいかんみそぎ)が17日あり、181人が境内にある御手洗(みたらし)池で荒行に挑戦した。公募で集まった18~71歳の男女175人と神職6人が参加。男性はふんどし、女性は白衣姿となり、船をこぐような動作で体を温めた後、「エイ」と気合を入れて冷たい池に身を沈めた。 初めて参加したという病院検査技師の阿部健一さん(31)=千葉県南房総市=は「気が引き締まる。これほど厳しいものはない。普段の生活でつらいことがあっても、一年間乗り越えていけそう」と話した。------------鹿島神宮は、スピリチュアル・カウンセラーの江原啓之さんが「今、行くべき神社」としてお奨めしているパワースポット。鹿島神宮の森は、広さは70haあり、2000有余年の歴史があります。境内を歩くと空気がきれいで気持ちいいです。 その御手洗池で禊をすると、きっとご利益か何かあるでしょう。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月18日
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昨夜は、大学時代からの友人と3人で神楽坂へ。毘沙門天近くの居酒屋「もん」が改装というか、建て替えられたので入ってみました。以前は、昭和の住宅をそのまま店に改装して営業していましたが今回、3階まである一軒の居酒屋になりました。柱や壁には、木がふんだんに使われて、どこか古民家風。話しは、昔から今までの範囲で、飲むほどに、広がります。そう言えば、ここでは時々落語「わらだな寄席」をやっていたのですが、まだやっているのかな。今日は、浦和でFP協会埼玉支部の研修会に参加してきました。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月16日
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今日は、寒かったですね。部屋の暖房は、エアコンと石油ファンヒーターです。設定温度は、エアコンが25度、ヒーターが18度でした。今日は早めに寝ます。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月13日
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昨日は巣鴨から品川まで、山手線の中を縦断しました。 巣鴨駅~後楽園~飯田橋~北の丸公園~日枝神社~東京タワー ~泉岳寺~北品川 天神の湯(温泉) 約18キロのコースです。まず、巣鴨地蔵道り商店街を散策してから、都営三田線沿いに南下スタート。東京国立近代美術館工芸館、きれいなゴシック風建築です。半蔵門あたりの皇居の堀国会議事堂裏途中、日枝神社で一休み。東京タワーメンバーには、階段で展望台にあがった人もいました。展望台から東を臨む窓に映る東京タワー慶応大学入り口天神の湯は、黒い温泉でよく温まりました。普通の銭湯よりきれいでした。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月10日
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お昼に上野動物園に行ってみました。虎像北極熊のあくび日本猿。ボスザルもいます。ペンギンの食事時間熊は、冬眠時間なのか寝ていました。アシカは、元気ハツラツで泳いでました。日本の冬にも適応して、生活しているのだなぁ。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月08日
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Jリーグ1部(J1)鹿島は6日、MF増田誓志(24)とFW田代有三(27)の2選手がJ1山形へ期限付き移籍すると発表した。期限は2月1日から2011年1月31日。 増田は1985年6月19日、宮崎市出身。179センチ、75キロ。鵬翔高から2004年鹿島加入。豊富な運動量を誇り、シュート、パスセンスに優れたゲームメーカー。U-19、21など各世代の日本代表も経験し、通算109試合7得点。「1年間、鹿島を離れる。これまでの6シーズンの応援に感謝します。山形で経験を積み、力を付けて戻りたい」と抱負を述べた。 田代は1982年7月22日、福岡市出身。181センチ、77キロ。福岡大付大濠高-福岡大を経て2005年鹿島加入。空中戦に強いストライカーで、 08年には東アジア選手権の日本代表として国際Aマッチ3試合に出場した。通算93試合19得点。「3連覇した中でサッカーができたことは何よりの経験。足りないところを違った環境で磨くため移籍を決断。成長して帰ってこられるよう、精いっぱい頑張る」とコメントした。-------茨城新聞より増田も田代も、山形でもっと試合に出て、成長して帰ってきてほしい。こういう時期が必要だよね。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月07日
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今日は、事務所に出てきました。喪中なのだけれど、名刺交換した方から何通か年賀状が届いていました。お詫びのはがきを作りました。明日出します。特に初対面の士業の方からは、きっちり年賀状が届く傾向があります。顧客紹介の営業の第一歩ですよね。 午後から、近くのブリジストン美術館の「安井曾太郎の肖像画」展を観て来ました。デフォルメされてても、その人の存在感がよく感じられる絵でした。水戸徳川家の何代目かの当主や横山大観の絵もあって、興味深かったです。暖かい午後でした。 ↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月05日
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日本初の女性教師 黒澤止幾さんの映画化進む。 幕末に生まれ、波乱に満ちた生涯を送り、日本初の女性教師として知られる城里町出身の黒澤止(と)幾(き)(止幾子、1806~90年)の生涯を映画化する計画が、都内の映画制作会社によって進められている。関係者は全国公開を目指し、年内にも撮影を始めたい考え。止幾子を顕彰する活動に取り組む地元城里町などの住民は「教育の本質を見つめ直す契機になれば幸い。生家の保存運動にも弾みがつく」と期待を寄せている。 映画化の準備を進めているのはエスキューブ(鈴木純一代表)。女子プロレスを題材にした青春映画「スリーカウント」で昨年注目を集めた宮崎県出身の映画監督、窪田将治さん(35)がメガホンを取る。 窪田監督は「幕末が好きで、たまたま黒澤止幾子を知った。すごい人なのに、茨城でもあまりよく知られていない。教育の在り方が問われる中、人間形成に大切な教育とは何か。幕末の動乱期に生きた止幾子の生涯を通して描けたら」と、映画化を発案。 総制作費は5億円程度を想定。現在、脚本作りが大詰めを迎えた段階で、配役は決まっていない。「茨城の皆さんと共に作り上げるまちおこし映画にしたい」と、8割程度は県内ロケを検討。個人、法人サポーターを募集中で、県内からは既に教育関係者を中心に2500人を超える支援の声が届き、その輪が広がっているという。 黒澤止幾子の心を偲(しの)ぶ会の後藤則男さん(62)は「常におごらず、自然を慈しみ、宿命に背かず、信念を貫いて泰然自若のごとく生きた止幾子の心を、多くの人に知ってほしい」と期待。築400年とも言われる止幾子の生家を保存する活動に15年かかわってきた大澤敏男さん(79)は「未来の子どもたちのために、生家の保存を呼び掛けてきた。映画化を機に、よりよい保存体制が築ければ」と話している。■黒澤止幾 現在の城里町錫高野生まれ。26歳で夫と死別後、行商をしながら学問に励み、49歳で実家の寺子屋を継いだ。54歳のとき、安政の大獄で閉居を命じられた水戸藩主・徳川斉昭の無実を朝廷に直訴しようと、単身、京都へ。明治維新の学制発布で寺子屋だった自宅が小学校に指定され、68歳で日本初の女性教師に任命された。退任後も私塾を開き教育に専念。85歳で波乱の生涯を閉じた。名は「止幾」「止幾子」などさまざまな表記がある。---------茨城新聞より私も黒澤止幾さんのことは知りませんでした。寺子屋の時代の教育は、どんなものか興味があります。地元茨城で撮影されるということで、応援したいと思います。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月03日
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ですね。「納棺夫日記」など読みながら、ゆっくりしています。で、間食に、せんべいやビスケットなど食べてしまいます。メタボ注意!みかんやりんごにしておこう。今年もよろしくお願いします。↓ご訪問ありがとうございます。今日の応援クリック↑よろしくお願いします。
2010年01月01日
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