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その西岸からは御冠山(みかんむりやま)と馬ノ山(うまのやま)が見わたせます。
戦国時代に織田信長は伯耆の国の攻撃を羽柴秀吉に命じ、鳥取城主である吉川経家を開城させ切腹に追いやりました。 その後、秀吉は天正9年10月27日に東郷湖の東にある御冠山(みかんむりやま)に布陣したと伝えられていて、引き連れた兵は6万、それを迎え撃ったのが吉川元春で経家の一族。 元春は鳥取城に何度も兵糧を運ぼうと試みたが、秀吉側に寝返った南條元続に阻まれ兵糧を運ぶことができなかった。その元続が守っていた城が東郷湖の南、羽衣石城(うえしじょう) 秀吉は鳥取城攻めの功労者の南條を加勢し、物資を補給する為にやってきたようだ。 対し元春は、経家の弔い合戦で東郷湖の北で橋津川の東にあたる馬ノ山(うまのやま)に陣取った。 元春の兵は6千で数は少ないが、馬ノ山の地の利を活かし、秀吉と正々堂々と対峙。その後、決着がつかないまま両軍とも兵を引き上げたと言われている。
上の写真は東郷湖の西岸から撮ったもので、右端の高い所が「御冠山」で左端の少し高くなっている部分に建物がちょこんと建っている所(ちょっと見づらいですが・・)が「馬ノ山」になります。
こちらの写真は馬ノ山の上から撮ったもので、東郷湖と橋津川が見えます。ぐるりと見わたせば日本海も一望でき、天気が良ければ景色がとっても良いですよ。
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