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今日は息子の15歳の誕生日。彼は1995年の生まれで、生後10日目、私の実家で寝ている時に、あの恐ろしい阪神大震災に遭った。
1月17日の午前3時頃まで、お乳を欲しがり泣いていた。私は眠れないまま、仕方なく、授乳後、生後10日の息子の写真を撮ったりした。
それから寝たのが4時近く。寝入ってすぐ、という感じで激しい揺れで飛び起きた。
あの時は、「普通の地震じゃない」と直感できた。私と子供は、家で一番暖かいが狭い仏間に寝ていたのだが、すぐさま枕のそばの書棚の上に置いた段ボールなどが、4,5個、私の肩や背中にぶつかって落ちた。
その直後、赤ん坊の枕元(頭の上)にある仏壇が、ぐらりぐらりと揺れているのに気が付き、慌てて子供を抱きかかえて、隣室の居間に逃れた。
その後、揺れはひとまず止まった。幸いなことに、私も子供も何も外傷は受けなかった。父が、「皆、無事か!」と私や母の所に駆け寄った。我が家は、食器が幾つか割れた程度の損害で済んだ。
あの時のほんの数秒の地震で、「神戸が消えた」との報道に衝撃を受けた。今でも当時の記憶は鮮明である。
あれは、平成7年のことだった。それが、もう平成22年なのだ。息子も15になるはずだ。
私は、一人息子に、毎年、大したことをしていない。彼の一番の虚しさは、「あちこち旅行をしたことがあまりない」ということだ。これは、私が、子供を出産後、色々なストレスから、喘息気味となり、おたふく風邪となり、眼精疲労となった中で、ずっと、通勤時間が往復6時間もかかる大学に勤務していたため、実現しなかったのだ。
今思うと、せっかくの大学の長い休暇中に、もっといろんな近場に連れ出して、思い出を作ってやれば良かったと残念なのだが、それさえもできないほど、休み中は体が悲鳴を上げていたのだ。
だから、私が息子にできることは、誕生日ごとに、クリスマスごとに、手作りのカードを作り、プレゼントもその年2回だけ、ということが続いてきた。
市販のカードに、広告や通販のパンフレットなどから、きれいな装飾の部分を切り取り、貼り付ける。または、光るシールなどを、その年齢にあった数字の形になるよう連ねて貼る。
時には、自分で装飾部分を手描きのイラストで埋める。
小学生の頃は、そうしたシールやイラストが、カードの大半を占めていたが、思春期を迎えると、装飾部分は限られ、メッセージの文章が多くなった。
まだ子供なのだが、子供扱いされたくない、大人に一歩近づいた、という意識が強いのが思春期の少年である。だから、そうした年頃に合うようなメッセージを私は書く。
今年はいよいよ15ということで、病院でも「小児科」とはさようなら。パブロンも2錠から3錠でOK。異性への興味も(良い意味で)湧いてきた。
まさに青春の入口に立ったばかりの15歳。
そこで、私は、1840年に生まれ、1924年に亡くなった、米国のユダヤ人詩人、サムエル・ウルマン (Samuel Ullman) の詩を引用した。
Whether sixty or sixteen, there is in every
human being's heart the lure of wonder,
the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living.
60歳であろうと16歳であろうと、あらゆる人の胸には
驚異に魅了される心、おさな児のような未知への探求心、人生に対する興味と喜びがある。ー
そして、息子に宛てて、このように書いた。
「15歳のお誕生日おめでとう。あなたの人生は肥沃な大地、希望と光に溢れています。その大地に種をまき、美しい花を育てていきましょう。人生の主人公は自分なのだ、と感じながら...」
こうしたカードのメッセージ以外に、封筒にも装飾を凝らしたりして、約2時間半、時間を費やした。
先月の22日(2週間と3日前)に、バスを猛ダッシュで追いかけた挙句、私はバーン!と前のめりに倒れ、いやというほど体を打撲した。まだ右肩の関節が痛い。
パソコンのキーは打てるが、肉筆の文字を書くのは、日々痛みが増すので、結構辛いものである。それでも、年賀状や、子供へのお誕生カードなどは、1年に1度のことなので、何とか頑張った。
まだ15歳になったばかりと言っても、息子には、いじめを受けて、中学に満足に通えなかった、という、何か自分の人生に空洞を作ってしまったような悔恨の想いがあるようだ。
昨日、フリースクールで書いた作文にも、自分が「言葉によるいじめを受け、学校に行けなくなった。体調不良となり、その中で一番ひどかったのは吐き気で、それが朝から晩まで続く。不眠となり、体重は激減し、心配した母は、私を心療内科に連れて行った...」
このように、辛かった2年間を振り返っている。
だから、「まだ人生はこれから。前途洋洋とした若い心の芽を、青春の只中で、どうぞ花開かせて」との想いを私は、彼のバースデーカードに託した。
サムエル・ウルマンは、南北戦争に出兵した後、金物事業を始め、地元の教育審議委員や教会のラビ(ユダヤ教の指導者)、銀行の取締役などの職を歴任した。
同時に詩人であり、心理学者である。
彼が「青春」ーYouthーの詩を書いたのは、多分、初々しい20歳の時ではなく、様々な人生経験を経た50代から60代の間ではないだろうか。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。...年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて人は老いる」
Youth is not a time of life; it is a state of mind...Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals.
こういう心境で、このような言葉を書けるのは、「肉体的に老いつつある」時である。これは、決して老人の皮肉ではなく、人間の本質を語っている。
肉体は物質的に老いるものだが、魂は単なる物質的なものではない。心というものが、脳という肉体を司る物質的な部分の働きにより、左右されている事実があっても、人の心や魂というものは、物質的次元で語られるべき以上の存在であるー
そう感じられるからこそ、詩人はこの詩を書いたのではないだろうか。
ネットやゲームで日々を物質的満足感で過ごす若者には、人生への熱い理想や希望が失われがちではないか。そんなネット上でさえ、検索すれば「サムエル・ウルマン」は出てくるのである。
人生は、毎日の積み重ね。その毎日に、「希望と理想」という信条の光を注ぐか否かで、人生はがらりと変わってくる、とウルマンは教えているのである。
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