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先月3月11日の東日本大震災のことを、現在ニュースでは「3.11の巨大地震」と表現している。
そうした表現は、2001年9月11日に起きたNYテロを思わせる。
奇しくも、今回の巨大地震は、「2011年3月11日」であって、NYテロとは、11日という日付、2001と2011年という数字上の共通点がある。
「1」もしくは「11」という数字は、だから不吉なもののように感ぜられる。偶然なのだろうが。
この巨大地震が起きた先月の11日、午後2時46分には私は息子とテレビもつけずに家にいた。
息子はパソコンに向かっていた。私は、午後3時28分のバスでショッピングセンターに買物に行き、午後5時頃帰宅した。
すると、パソコン通信をしていた息子がテレビをつけて、私に「すごい地震が起きたって」と言った。
それで初めて東北から関東にかけて、M7.8 の大地震が発生したことを知った。
「どうして地震を知ったの?」
「横浜に住んでる通信フレが、いきなりチャットで『わー!地震、凄い揺れてる、こええ~!』と書きこんだから。最初、冗談かと思っていたら、『テレビつけてみろよ』って返事きたから、つけたらさ、本当だった」
その日、母は法事で福山に行き、12日帰宅の予定だった。
息子とその後、テレビを夜中まで付けっ放しにしていた。どのチャンネルもCMどころじゃなく、地震報道ばかりである。
「こんなにTV全部が同じニュースなんて見たことない。歴史に残る、こういう事態って」と彼は言った。
その「死者数、行方不明者数」の数字は、最初は「16名、27名」程度だったが、少し目を話すと、あっという間に「120名、500名」という様に、10倍に膨れ上がって行く。
こうした事態の中、地震規模は当初のM7・8からM8.5となった。(その3日後あたりに、とうとうM9.0と修正された。)
全ての番組がこの日、巨大地震の報道で埋め尽くされた中、繰り返される津波の映像、被災者の人々の様子、燃え上がる市街地の高台からのレポートなどチャンネルによって異なるものの、画面右下には、日本地図のほぼ3分の2が「津波警報」の赤、オレンジ、黄色で囲まれている。
私の住む地域は、それらのどのラインにも囲まれていなかったが、「良かった」などという心境ではない。
むしろ、「自分の県の周辺だけが津波のラインに取り残されている=大津波に取り囲まれている」という恐怖感が募った。
そして、ニュースでは報道されなかった、「その日現場で高台にいた人々が撮影した津波映像」を、今日、YOUTUBE で見た。
米のABC放送などでは、今回の津波を Killing Wave, Mad tunami などと表現している。
あんなに津波のぎりぎり近くまでいて、高台といっても、恐ろしい渦を巻く市街地から続く坂道の上から撮影している人々がいた。
撮影した人々が、津波に呑みこまれる市街地に悲鳴を上げている、急いでもっと高台に逃げようとする、カメラの焦点が合わないまま、足元は水につかり、映像は逆さまで揺れている。
こんな生々しい災厄の映像は初めてだった。
今でも行方不明者は1万4000人以上だという。
撮影した人々は無事だったのだろうか。
高台に逃げ、避難所に身を寄せた人々の中にも、次々とインフルエンザや肺炎などの感染症に罹り、どれだけの人が生き永らえただろうか。
それを思うと、自分はこうして生きているが、何かの意思により「生かされている」との感が強い。しかし、いつ大災害に巻き込まれるか分からない不安がある。
今回の巨大地震で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
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