一生、保険と一緒

一生、保険と一緒

2003.12.29
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カテゴリ: 私の人生
大通り公園~3~


2年に進級できた私が先ず考えたのは、学習状況である。
何時間どんな方法で勉強してるか分析した。
漫然と机に向かい勉強してる雰囲気を作ってただけで、身にならない勉強スタイルだった。
これではダメだと思い、部活をすれば時間のけじめがついて良いかも、と部活選びに入った。

文科系かスポーツ系で2分されたが、迷わずスポーツを選んだ。
しかし、あまりハードでないスポーツは無いかとあれこれ考えた。
疲れて勉強できないと困るからだ。
初めてグローブを握った私は小学校3年でソフトボール、中学で軟式野球と勤しんできた。此処では硬式野球。痛いだろうなぁ~と思った。止めた。

そこでイメージしたのがバドミントン。羽根突き=女性=楽しそう、と言う方程式ならぬ等号式が思い浮かび入部した。
トンでもないスポーツだった。

先ずは基礎運動。反復横跳びを応用した動き、左右前後斜めへ同様のステップで動く。
このフットワークを如何に身に付けるかで、自分のコートが狭く感じるようになる。
素振り。軟式庭球の持ち方でなく、硬式庭球の持ち方と同じ。こう説明すると解かり易いと思う。イースタンだのウェスタングリップと言ってもピンと来ない。
この持ち方に慣れるまで、ラケットを持って、ラケットを真っ直ぐ天井に向けて90度前に倒す。これの繰り返しで手首を鍛えた。
通常使わない動きなので最初はギコチナク何の為にやってるか解からなかった。
これをマスターするまでカッコ良いフォームの素振りは出来なかった。

ラケットは当時、現在のヨネックスの前身であるヨネヤマラケットと川崎が大部分作ってた。
ウッド製が殆どでスチール製は無かった。シャフトはスチールだったが、オールウッドも稀に見かけた。このオールウッドは今考えるとマスコットバットのような物だった。

ラケットとシューズ、ポロシャツと短パン、ソックス。揃えるのに小遣いが足りなかった。母を拝み倒して購入。

シャトルコックは高価だったが部費で買えて助かった。
しかし新品のシャトルは打てない。捨てる寸前迄打ち込んだ。
金のかかるスポーツだと感じた。

軈軽快なフットワークと鋭いスマッシュが身につくと、新人戦の舞台が用意されていた。
先ずはシングル。一人の力を思う存分試された。

県大会でベスト8が最高の成績だった。それ以上の連中は企業人と練習を共にするタフな奴らだった。
問題はダブルス。気の合ったパートナーに恵まれないととんだ事になる。私のパートナーは練習時は問題無いのだが、試合になるとチョンボが多かった。
ダブルスでは好成績を残せなかった。

軈3年になり後輩が増えて益々活発なバドミントン生活となる。

進級には問題ない成績がとれた。





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Last updated  2003.12.30 05:30:12
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