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本日付のWebニュースて自分にとって感慨深い2つの訃報がありました。一つはもちろんダニエル・キイス氏ご逝去の報です。自分も「アルジャーノンに花束を」を大勢の人にプレゼントしてきました。もちろん自分自身にとっても大変思い出深い作品です。単行本、文庫本、いずれも早川書房から出ておりましてどちらも同じ小尾芙佐さんの訳。しかし自分は↓単行本版がしっくりくる。こちらをお勧めします。この作品について、作者について、自分がここで取り上げるまでもありません。大勢の方が語っておられますからね。自分が今回お伝えしたいのはもう一つの訃報についてです。かつて日出谷駅で駅弁を売り続けた朝陽館 先代のご主人がお亡くなりになったそうです。幻の駅弁を製造した古沢さん死去- 新潟日報モア(2014/06/18 20:31)阿賀町のJR日出谷駅前にある朝陽館で幻の駅弁といわれた「とりめし」を製造していた古沢三郎さんが16日、新潟市内の病院で亡くなった。93歳だった。NIC日出谷(新潟日報販売店)の店主を務めるかたわら、親から受け継いだ味を守り、磐越西線の乗客や鉄道ファンに愛された弁当を作り続けた。(後略)【全文は新潟日報モアにて】日出谷駅はかつて蒸気機関車の中継基地として栄えた駅です。しかし自分が訪問した頃にはすっかり寂れ無人駅になっておりました。駅員すら配備されなくなった駅で駅弁の立ち売りを続けた方、それがこの度お亡くなりになった朝陽館のご主人なのです。自分が購入した時のマニアック行動については2012年11月13日付記事「日出谷駅の駅弁 朝陽館のとりめしの思い出」でどうぞ(笑って貰えると嬉しいかも)。JR磐越西線の日出谷駅、朝陽館のとりめしの掛け紙。自分の大事な大事なコレクションです。おっと、大事なのは掛け紙だけではありませんからね。先代のご主人から購入できたこと、列車到着時に立ち売りするお姿を見れたこと。日出谷駅での思い出の全てが自分にとって大事なものなんですよ。合掌。にほんブログ村にほんブログ村
2014年06月18日
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一つの駅弁にどんだけお金使ったんだよ、というお話でございます。仙台勤務だった頃、ミニコミ誌だったかに日出谷という駅で駅弁を売っているオッチャンのことが載っていました。日出谷駅って郡山から会津若松を経由して新潟(正しくは新津)まで行く磐越西線にあります。さらに日出谷駅は非電化、単線区間の無人駅で「快速あがの」も停まりません。そんな駅でオッチャンが一人で駅弁を売っている。しかも昔ながらに台をかついでの立ち売り。ふうん、買いに行きたいな、と思っていたところに「またそろそろ転勤ありそうだよ」という東 京一郎的な状況となり、「よし、仙台にいるうちに行っておこう」と行動スタート!ところが、、、これがなかなかアクセス悪いのよ。まあローカル線なんで当たり前なんですが。遅い時間に行ったら売り切れの可能性が大。山の中の無人駅で数時間を過ごすのはツライ、、、等々の条件を勘案してこんなアプローチとなりました。前日の土曜夜に新潟入り。ビジネスホテルで一泊します。翌朝、磐越西線の快速に乗りまず鹿瀬駅で下車。いやひょっとして津川駅だったかな。そこからタクシーで日出谷駅まで行きます。駅弁を買ったら快速に続行する各駅停車に乗って帰ろう、という算段です。それが現地での滞在時間が一番短くて済む方法だったんですよ。列車の到着とは関係ないタイミングで駅に着いたため、当然、駅弁屋さんは駅におらず。駅前にある朝陽館という旅館まで行って、そこでとりめしの購入完了!駅の待合室で出来たてのとりめしを食べていると逆方向の新潟方面行きのディーゼルカーがやってきました。その時間チョイ前に駅に現れた朝陽館のおっちゃんは「べんとー、べんとー」と声を張り上げます。しかし、、、その列車は既に窓の開かないタイプ(キハ110型)だったため、開いたドア越しに一人が買えただけでした。自分はとりめしを食べ終わってしばらくボンヤリ。やがて来た会津若松方面に行く各停に乗車して日出谷駅とお別れしました。切符は土日の2日間使用できる「ウィークエンドフリーきっぷ(15,000円)」を使用。新潟のビジホ代が6,000円程度だったか。それと日出谷駅までのタクシー代で5,000円以上払った記憶があります。当時600円だった駅弁に25,000円以上かけたことになる、、、俺は遅れてきたバブル野郎なのか?しかも「昼飯を食べに京都まで行く」的なバブリー・エピソードではなく「磐越西線でとりめし」って。鉄分ばっちりだな(笑)でもでも、初夏の日出谷はきれいな風景でしたよ。良い思い出です。その後、いっときはSLイベント列車の運行にあわせ駅弁も販売していた、とのこと。しかし残念ながら2010年に「朝陽館店主の高齢化を理由に「とりめし」の調製・販売をとりやめ、日出谷の駅弁は完全に消滅」してしまいました(Wiki情報)。自分の手元にこの掛け紙↓一枚のみが日出谷駅と朝陽館のオッチャンの思い出として残っております・・・にほんブログ村
2012年11月13日
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東北・上越新幹線はまだ大宮暫定開業の頃(上野への乗り入れは1985年3月14日)。1984年10月6日は土曜日か~。どっか行ったのかな。ちょうどその頃、用務で大宮からガラ空きの上越新幹線に乗ったけど、その時に買ったのかなあ。全然覚えてないっす。この掛け紙、「特製 お弁当 幕の内風」という表示が気弱な感じでちょっと面白い。「幕の内」って言い切っちゃっていいじゃん。なんだよ「風」ってwww 微妙に「幕の内」とは言えない事情でもあったのかな。せっかくの「特製」なのに。この掛け紙に表示されている住所・電話番号はそのままNRE大増東京店製造部に引き継がれている。責任者の千葉さんは今どうされているのかな、と思う。
2011年02月12日
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そう、あれは忘れもしない1978年8月2日のこと。・・・確か、確か、、、えーと、どんなだったかな。何がどうだったんだっけか? いやあの、清水駅で駅弁買ったと言う記憶、一切ないんですけど。記録によると、前々日(7月31日)、アルプス広場で深夜まで待機。翌日0:30新宿発、旧客のアルプス54号に乗車。8月1日朝に辰野。飯田線を52系流電メインの旧国を追いかけながら途中の無人駅下川合で駅泊。8月2日に豊橋に出て、東海道本線を東上。おそらく静岡から急行の東海3号に乗っているんだが・・・清水駅ねえ? 降りて、買ったかな? 清水駅には降りてないよなあ。急行東海の車内販売で買ったんだろうなあ、やすい軒の駅弁。昔はその時の気分で「荷物になるから」って掛け紙を捨てたりしてたんだが(掛け紙なんぞ荷物にならねえよ)、とりあえず今、自分が持っている「自分が買って自分が食べた駅弁」の掛け紙ではこれが一番古い、と思う。当Blogアップに際し、掛け紙に印刷されているやすい軒の「い」が読めなかったorz 「やす、、、に軒って読むのか?」印刷されている電話番号で検索して「やすい軒」と判明ww えへへ、一件落着。
2011年02月04日
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