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=大賞に近江八幡市のNPO法人エナジーフィールド=エナジーフィールドの「BIWAKOビエンナーレ2012」(近江八幡市、旧中村邸)◇全県 文化・経済フォーラム滋賀はこのほど、「文化で滋賀を元気に!賞」の大賞に近江八幡市のNPO法人エナジーフィールドを選び、二月十一日の総会の席上で表彰すると発表した。文化・経済フォーラム滋賀が2月に総会表彰式と田村孝子氏の基調講演 同賞は、文化の力で活力あふれる地域社会の実現に貢献している団体・個人に贈られるもの。今回は三十三件の応募・推薦の中から、五団体一個人が受賞した。 同賞の大賞はエナジーフィールド、文化賞は新江州(株)循環型社会システム研究所のM・O・H通信(長浜市)▽びわこJAZZフェスティバルin東近江実行委員会(東近江市)▽NPO法人甲賀文化輝き(甲賀市)▽伊吹の天窓実行委員会(米原市)▽森野秀三氏(甲賀市)-となっている。同(近江八幡市、村雲御所瑞龍寺門跡) 文化・経済フォーラム滋賀では二月十一日、大津市の大津プリンスホテルコンベンションホール「淡海」で総会を開き、グランシップ(静岡県コンベンションアーツセンター)館長の田村孝子氏による基調講演「文化のチ・カ・ラ」後に、受賞者・団体を表彰する。入場は無料。参加希望者は二月十日までに、FAX(077-522-9647)、またはメール(bunka-keizai@shiga-bunshin.or.jp)で申し込む。 なお、総会後の午後五時半から立食パーティーの交流会も予定されている。交流会の参加の場合は、一人六千円が必要。詳しくは、「文化・経済フォーラム滋賀」事務局(TEL077-522-8369)へ。 なお、受賞団体・個人は次の通り。 ▽NPO法人エナジーフィールド(近江八幡市、大野木啓人理事長)=近江八幡幡市にある国の重要伝統的建造物保存地域を中心に、現代アートによるまちづくりをテーマにした国際芸術祭「BIWAKOビエンナーレ」を定期的に開催。平成十三年にびわ湖ホールで開催したのを手始めに、以降、近江八幡市の町家で定期的に開催し、昨年で五回の開催を数える。特に昨年度は、会場に近江商人屋敷が並ぶ東近江市五個荘地域も加え、国内外から多くの作家の参加を呼び込み、関連イベントも多彩で、地域を大いに盛り上げることに成功した。M・O・H通信循環型社会目指す「M・O・H通信」 ▽新江州(株)(本社・長浜市、草野勉代表取締役社長)循環型社会システム研究所M・O・H通信(長浜市)=「もったいない」のM、「おかげさま」のO、「ほどほどに」のHという循環型社会を目指そうと、「M・O・H通信」を発行している。現在四十二号を既刊。3万人が来場のびわこJAZZフェスティバル ▽びわこJAZZフェスティバルin東近江実行委員会(東近江市、蔭山啓介実行委員長)=昨年で五回目の開催となった同フェスティバルは、市内三十五か所を会場として、出演バンド百六十組以上、二日間の公演で延べ三万人が来場するイベントにまで成長。市民ミュージカルの「甲賀文化輝き」 ▽NPO法人甲賀文化輝き(甲賀市、松島津由子理事長)=甲賀に関わりの深い題材をテーマとした市民ミュージカルの制作と公演を住民参加により成功させるとともに、地域文化をまちづくりに活かす講座やシンポジウムにも取り組む。森野氏の展覧会(琵琶湖博物館)石橋研究の森野秀三氏 ▽森野秀三氏(甲賀市)=二十年以上にわたり全国各地の石橋八百か所を現地調査している石橋研究者。湖南市の大沙川燧道が日本最古の隧(ずい)道であることを検証した。文化的価値の高い社寺等の石橋の写真を納め、琵琶湖博物館などで展覧会を開催している。「伊吹の天窓」のライブまちおこしの「伊吹の天窓」 ▽伊吹の天窓実行実員会(米原市、早川鉄兵実行委員長)=過疎・高齢化が進む米原市・伊吹北部地域で、地域住民とともに地域の魅力を伝えるまちおこしイベント「伊吹の天窓」を主催する。昨年は、地元食材を用いた「星空食堂」やライブなどを成功させた。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014777
2014.01.25
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=市教委と消防署が31か所で 26日の文化財防火デーを前に=査察を行う消防署員--石塔寺で--◇東近江 二十六日の文化財防火デーを前に、国・県・市指定の文化財を所管する東近江市内の神社・寺・公民館などで、二十一日から市教育委員会と東近江行政組合消防本部との合同文化財防火査察が行われている。今年は二十四日までに蒲生・能登川・五個荘・愛東・八日市・永源寺の六地区の三十一か所を査察する。 市教委文化財課職員と管内消防署の担当署員が査察場所を訪問し、宮司や住職、責任者の立ち会いのもとで、消火器の点検日や使用期限をはじめ、消火栓や火災感知器のチェック、断線や漏電などの電気配線、可燃物の管理、火器や燃料の保管などについて、点検や聞き取り調査を行い、不備な点についてアドバイスしたほか、火災や自然災害などが発生した時の文化財の持ち出し方法や役割分担などの確認を行った。また、消火器の悪質訪問販売などへの注意も促した。 東近江市には平成二十五年三月三十一日現在で、国指定文化財が百十三件、国選択文化財が二件、県指定文化財三十五件、県選択文化財三件、市指定文化財が三百件の、計三百五十三件の有形・無形の文化財が指定されている。 文化財防火デーは、昭和二十四年一月二十六日に法隆寺金堂で火災が発生して壁面がしたことと、この時期が一年でもっとも火災が発生しやすいことから、昭和三十年に定められた。この日を中心に、全国各地で文化財防火査察や文化財消防訓練などが実施される。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014772
2014.01.24
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=新春凧揚げ大会=◇東近江 新春恒例の凧揚げ大会が東近江市聖徳町の市立聖徳中学校グラウンドで12日開かれ、大勢の家族が凧揚げに興じた。 手づくり凧や市販の凧を持ち寄って、子どもたちが元気よくグラウンドを駆け回ると、色とりどりの凧が絶好の北風に乗って大空を彩った。 体が冷えると、東近江大凧保存会や市観光協会の豚汁サービスで体を温めて、再びグラウンドに飛び出し、家族で凧揚げを楽しんだ。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014769
2014.01.23
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=能登川博物館 市内小学3年生が体験中=火のしの使い方を教わる箕作小学校の3年生ら◇東近江 東近江市山路町にある能登川博物館で、市内の小学三年生たちが、教科書に載っている本物の道具を使って、昔の暮らしを体験している。 小学三年生の社会科「今にのこる昔とくらしのうつりかわり」の単元"昔の道具と人びとのくらし"に合わせて、同博物館では、開館以来、毎年一、二月に館蔵資料を使った企画展開催と児童の体験活動の受け入れを続けている。 今年は、市内の小学校全二十二校と市外五校の三年生千人以上が、二月末までに順次訪れる。 館内には、企画展「バタバタに乗って...-ちょっと昔の道具たち-」の一角に昔のくらし体験コーナーが設けられており、おもりを使うはかりや足踏みミシン、石臼、蓄音機、火のし、火鉢、近江商人になりきれるてんびん棒、大八車などがスタンバイ。 訪れた児童は、博物館学芸員(能登川博物館・近江商人博物館・西堀榮三郎記念探検の殿堂)や地域学芸員、ボランティアである昔のくらし体験サポーターの説明を受けながら、実際に道具を使うことで当時の生活を疑似体験し、便利さだけでなく昔の道具に隠された知恵と工夫も吸収している。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014740
2014.01.21
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=「近江八幡おやじ連作品展」近江八幡図書館で28日まで=近江八幡図書館で開かれている第8回近江八幡おやじ連作品展◇近江八幡 近江八幡市在住の男性定年退職者らでつくる趣味や地域活動の仲間「近江八幡おやじ連」の第八回作品展が近江八幡図書館で開かれている。二十八日まで。入場無料。 おやじ連は、定年後の第二の人生を元気に楽しく活動するグループ組織で現在、青少年向けの自然学習、ウォーキングなどの健康増進、地域の清掃や景観を良くするボランティアなど二十四団体で構成。男性だけでなく女性グループも加盟している。 作品展はそれぞれのグループが取り組んでいる活動の成果を広く知ってもらおうと毎年開催しているもので、今回は、仲間百五十六人から人物や風景画、写真、竹や古木の工芸作品、書など合わせて一七三点の作品が持ち込まれ、並べている。 中には、八千八百本の楊枝で組み上げた白雲館や一万二千五百本を使った彦根城のミニチュア、木に細工が施された灯り工芸、八幡山のジオラマ、神輿などコツコツと時間をかけた作品がほとんどで、来場者の視線を集めている。 また、歩いて琵琶湖一周を成し遂げた記録などグループ活動を紹介するパネル展示も行われている。 代表の高橋作榮さん(70)は「市の講座を卒業した者が母体となっておやじ連が発足されたが、年々加入団体が増え、女性グループも仲間になっている。現在は講座に参加する人達を支援したり、参加活動を紹介する相談にも乗っており、展示作品を通しておやじ連の活動と新たな取り組みにも関心をもって頂けばうれしい」と話している。図書館は月曜日休館。作品展の開場時間は、午前十時から午後五時まで。http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014663
2014.01.10
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=東近江市が隊員2人募集=「地域おこし協力隊」を受け入れる奥永源寺地区◇東近江 東近江市は少子高齢化が進む奥永源寺地区七自治会に、中山間地域の振興に意欲と情熱をもって活動できる「地域おこし協力隊」隊員を、都市住民から募集している。奥永源寺地区へ都市住民から将来の定住、地域活性めざし 住民として三年程度生活してもらい、決められた活動内容に従事し、任期後の定住をめざす。地域の担い手確保や地域資源を活用した活性化に向けた、市としてはじめての取り組み。地元では昨年九月から説明会やヒヤリング、導入検討会などで、期待の声があがっている。 具体的には、七自治会での巡回と声かけ、地域課題の発見などの見守り活動の「集落支援活動」(活動時間の概ね三分の一)と、奥永源寺の地域資源を活用して地域の活性化を図る活動や三年後の定住のための起業をめざす「企画提案活動」(活動時間の概ね三分の二)を行ってもらう。 活動時間は一か月に百六十時間程度。集落支援員の指導を受け、活動報告を毎月行う。報償は月額十六万六千円。住居も提供される。募集対象は都市地域(三大都市圏など総務省が決めた条件不利益地域以外)在住の二十歳以上五十歳未満で、募集人員は二人。任期は今年四月から平成二十九年三月までの三年間(一年ごとの更新)。 募集の締め切りは、一月二十四日まで。選考は、企画提案書と応募用紙による書類選考と面接で行う。二月中旬ごろ最終決定し、二月下旬からの研修後、四月一日から着任の予定。応募方法や事業の概要については、市のホームページ(http://www.city.higashiomi.shiga.jp/)で。問い合わせは、東近江市企画課(TEL0748-24-1234)まで。 「地域おこし協力隊」は総務省が平成二十一年度からはじめた事業で、財源が手当てされる。平成二十四年一月末時点で約七割が定住に至っている。県内では米原・彦根・近江八幡・湖南・多賀・愛荘の四市二町の六自治体で二十一人が取り組んでいる。 http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014660
2014.01.09
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=9、10日 能登川恵比須神社で=福銭(5円)入りもちをつかもうと手を伸ばす参拝者ら(昨年の福もちまきで)◇東近江 JR能登川駅近くの能登川恵比須神社で、九日に「宵えびす神事」、翌十日に「本えびす神事」が催される。 この初えびすは、本町自治会の有志らが能登川恵比須宮奉賛会を結成し、地域の年頭行事として受け継いでいるもので、新年の幕開けに福を求める大勢の参拝者でにぎわう。 両日とも、祭典や福もちまき(九日=午後四時、十日=午前十一時三十分)、福もちつき(九日=午後八時頃、十日=午前十時三十分)、甘酒奉仕のほか、福娘による吉兆頒布(九日=午前九時~午後九時、十日=午前九時~午後五時)が行われる。 また、特別祈祷は、十日午前十一時から午後三時までの間に随時行い、当日午後二時まで受け付ける。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014653
2014.01.08
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=19日から 市内3会場で開幕 近世城下町のルーツの魅力発信=黒田官兵衛(福岡市美術館蔵)◇長浜 秀吉の軍師、黒田官兵衛(一五四六~一六〇四)にスポットをあてた「黒田官兵衛博覧会」が今月十九日から、長浜市内で開幕する。会期は十二月二十八日まで。黒田家は同市木之本町黒田が発祥とされ、官兵衛は長浜を足掛かりに天下人に駆け上った秀吉を支えた。今年は大河ドラマでも「軍師官兵衛」が放映され、北近江・長浜がますます盛り上がりそうだ。 官兵衛は播磨姫路の生まれ。織田信長が畿内で台頭すると、同国御着城主で主君の小寺政職にすすめて信長に通じ、毛利への中国攻めで播磨に入った秀吉に従った。大河ドラマ館内イメージ 軍師としての才能は、敵方の部将などを説得工作で味方に引き入れ、切り崩しを図る「調略」を得意とした。秀吉の天下統一事業では、天正十五年(一五八七)、秀吉が九州攻めしたとき、官兵衛は事前に九州に入って諸大名を説得して足場を固め、秀吉は難なく薩摩の島津氏を降伏させることができた。関東の小田原城攻めでは、単身で小田原城へ出向いて北条氏政・氏直父子に開城を説得し、同意を取り付けた。黒田家御廟所(長浜市木之本町黒田) これらの功績から、秀吉の前半生を支えた名軍師・竹中半兵衛とともに「両兵衛」と並び称される。 官兵衛と長浜市のつながりは、曾祖父の高政の代まで伊香郡黒田村に居住していたことや、嫡男の松寿丸(後の長政)が信長への忠誠の証しとして長浜城に人質として滞在したこと、そして官兵衛が賤ヶ岳の戦いに参陣したことだ。 同博覧会の展示部副部会長で、北近江史に詳しい長浜城歴史博物館副館長の太田浩司さん(52)は「官兵衛は秀吉の後半生において、脇から出世を支えた人物であり、分かりやすく例えるならば秀吉出世物語の裏バージョン。彼にスポットライトをあてることで、秀吉や長浜が浮かび上がる」と話す。 そんな長浜の魅力を太田さんは「江戸時代に続く近世城下町のルーツ。秀吉は初めて城持ち大名になった長浜で、先駆的な城下町(現存最古)の経営、石高制、検地をテスト的に行い、この仕組みを全国へ押し広げ、江戸幕府もこれを踏襲した。博覧会では、その後の日本史に影響を与えた長浜のまちづくりや人材にもスポットをあてたい」とPRしている。 同博覧会の三会場は、<1>「大河ドラマ館」(長浜市木之本町木之本)<2>長浜城の「歴史館」(同市公園町、長浜城歴史博物館)<3>城下町を案内する「城下まち館」(同市元浜町)。 「大河ドラマ館」の木之本エリアは、黒田家発祥の木之本町黒田のほか、官兵衛が参陣した賤ヶ岳古戦場、北国街道木之本宿が見どころ。館内では、ドラマの映像や衣装を展示するほか、合戦の模様をジオラマなどで再現する。 「歴史館」と「城下まち館」は、長浜の城下町にある。歴史館では、秀吉の戦いを実物資料と復元イラスト、写真パネルで紹介。城下まち館では、城下町とゆかりの武将を紹介するほか、ガイドツアーを催す。滋賀報知http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014634
2014.01.06
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=看板照らして東近江PR 見える化で普及拡大図る=設置された発電用水車を視察する福井自治会長(昨年12月中旬)◇東近江 国道421号を三重県側から石榑トンネルを抜けて滋賀県に入ってはじめての集落がある東近江市杠葉尾町地先の国道沿い、銚子が口岳への登山道入り口まで車を走らせると、ドライバーの目に「ようこそ清流の里 東近江市杠葉尾町へ」の看板が飛び込んでくる。夜になると、暗闇の中に照明に照らされたこの看板が浮かび上がる。 看板の下に設置された小型の水車で発電した電気がこの看板に供給されている。県の農業用水を生かした小水力発電「農村地域再生可能エネルギー活用推進事業」の一環として県内六か所で取り組まれている事業のうちの一つ。 エネルギー問題が高まる中、農業用水を活用した小水力発電の情報が少なく、県内での導入も進んでいないことから、農村で未利用の自然の力を生かした小水力発電の「見える化」による集落に近いエネルギーへの関心を高め、普及拡大を図るねらいがある。 「地域に秘めた未利用の自然の力を生かしましょう」と東近江市農村整備課が、一年中途切れることなく流れる山からの自然水があり、農業用水にも利用されているこの地は、小水力発電に最も敵した地であるとして、同町自治会(福井隆会長)と協議を重ね、県内企業が製作した直径一メートル二〇センチのステンレス製上かけ型水車を縦一メートル・横三メートルの看板と共に町内の三希土木(小口喜三男社長)の施工で昨年末に設置した。総事業費は二百五十万円。 五メートルほど上にある水路から水を誘引して水車を回し、水車から落ちた水が再び水路に戻る仕組み。発電量は五〇ワットで小水力発電の中でも最も小規模のクラスの「ピコ水力発電」(一万キロワット未満の小水力発電・一千キロワット未満のミニ水力発電・百キロワット未満のマイクロ水力発電・一キロワット以下のピコ水力発電)でも、年間・一日を通じて安定して発電することができ、昼間は蓄電もできる、すべて地元で調達・使用する電力の地産地消だ。 滋賀県に入って一番最初の集落で東近江市をアピールすると共に、自然の再生可能エネルギーを使った発電で看板を照らすことで環境に取り組む市のイメージをPRできる。年間を通じて地元で管理、検証ができることから、課題や展開を洗い出し、今後の他地域などへの普及・啓発や新たな活用につなげていく。杠葉尾町では、町内の街灯や牛の放牧時の獣害防止柵の電源供給や、建設が計画されている道の駅のPRアイテムとしての活用にも期待が広がる。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014625
2014.01.05
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=退職後の男性たち、整備に汗流す=竹林整備の中心メンバー(バンブーハウス内) 湖南市の菩提寺学区まちづくり協議会(山口道夫会長)は、荒れ果てた竹林を整備し、住民憩いの場に活用する「地域活性化推進事業B・B(バン・ブー)作戦」に取り組んでいる。中心メンバーは、定年退職した六十歳代~七十歳代の男性たち。今春には地域住民を招待できる見込みで、「区民の健康増進や交流の場として活用したい」と張り切っている。「基地みたい!」児童ら大はしゃぎ 「まるで基地みたい!」。昨年五月、バンブーハウスの竣工披露会。招かれた菩提寺小学校の児童二百人は、東南アジアにあるような高床式ハウスに大はしゃぎだった。釘を使わずに建てたバンブーハウス 同作戦は、地域で共有する竹林三千平方メートルを手入れし、全長五百メートルの遊歩道のほか、バンブーハウスやふれあい農園、竹細工工房などを整備するもの。 同事業のメインとなるバンブーハウスは、県立大学環境建築デザイン学科の陶器浩一教授の助言をもらい、さらに同大学の学生の協力を得て、昨年四月下旬に完成した。 竹林に生えている竹十九本を柱に利用して、釘を一切使わずロープだけで固定した。間口約一・五メートル、最大幅約四メートル、奥行き約十メートルで、大人三十人が入れる強度で設計されている。 この事業は平成二十三年度から始まり、翌年から市の助成を受けて弾みがついた。活動は月一回、常時平均十五人が参加する。チェーンソーといった不慣れな電動工具はなるべく使わず、のこぎりなど専ら人力に頼った工具で汗を流す。このため進み具合はマイペースで、「ぼちぼち楽しみたい」と自然体だ。 竹林環境を上手に生かしたふれあいファームでは、たけのことしいたけを栽培。地域のイベントにあわせた即売会で、あっという間に完売した。この盛況ぶりにメンバーは「今年はどれだけ収穫できるのか楽しみ」と、竹林の清みきった空気を胸いっぱい吸いこんで、少年のように目を輝かせた。滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014627
2014.01.04
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=管理栄養士集団 おいしく楽しく発信中=講習会でおいしい腎臓病食を伝授「患者さんを放っておけない」。そんな思いに駆られて、自分たちにできることは何かを模索している管理栄養士たちがいる。その名も、滋賀・奈良県の管理栄養士八人でつくる"びわこ腎臓病食研究会"(中村恵代表)だ。 全身の器官が働き続けられるよう▽老廃物や毒素の排泄▽水・電解質・酸アルカリの調節▽ホルモンの分泌と調節-の役割を担う腎臓。機能低下で人工透析を受けている国内患者数は三十万人を突破、糖尿病に続く第二の国民病とも言われている。腎臓内科医の権威・出浦照國氏 発症や重症化の抑止で重要なのは、腎臓に負担をかけない減塩・低たんぱく質の"食事"。この点を五十年近く患者に説き続ける腎臓内科医・出浦照國氏(昭和大学客員教授)の講演を聞き、中村代表が衝撃と感動を覚えたのが同研究会の始まり。 腎臓病患者にとって、食事療法は生命線である一方、栄養管理の難しさにストレスを抱えやすい。そこで、中村代表は仲間に声を掛け、一昨年七月から始めた"調理実習主体の講習会"(奇数月開催)で「調理しだいで簡単においしく、楽しく食べられる腎臓病食」があることを発信している。楽しみながら調理する工藤さん夫妻(草津市立市民交流プラザで) 透析導入を遅らせようと、兵庫県加古川市から通う工藤年生さん(69)は「仕事人間だったが、支えてくれる妻に楽をさせてあげたくて料理を覚えた。情報を知ることが自分のためになり、納得して実践もできる」と笑みをこぼし、妻・夢美さん(66)も「小旅行気分で楽しんで来ている。夫のように食事療法で誰もが自分の体を守っていけることに気づいてほしい」と話す。 昨年九月一日には"市民講座in滋賀"を初開催。患者や家族、管理栄養士ら約百七十人が、「自分の体の状態と病気の現実を受け入れることが正しい治療の第一歩。食事療法は一〇〇%患者が自分でやる治療」だとムチを入れつつ、腎臓病の食事療法の仕組みを力説する出浦医師の患者愛あふれる講演に聞き入った。腎臓病患者や家族、管理栄養士ら約170人が参加した市民講座(滋賀県立男女共同参画センターで)滋賀報知http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014617
2014.01.03
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=安土まち協バンドの児童たち=◇近江八幡 地域の小学生が演奏する「安土・老蘇まち協バンド」が2月に開催される「滋賀県吹奏楽フェスティバル」への初出場めざして練習に励んでいる。 安土小学校がクラブ活動として取り組んでいた金管バンドが、5年前から教員の異動などにより活動を休止。東近江地域に数少ない小学生バンドを存続できないものかと、音楽関係者が尽力し、児童に呼びかけて安土と老蘇のまちづくり協議会のバンドとして誕生させた。 現在、4年生以上24人がトロンボーン、トランペットなど、5種類の金管楽器に取り組んでいる。毎週水曜日の夜、学校の先生や会社員らがボランティアで指導にあたり、基礎練習に力を入れている。子たちは日々、上達しており美しいハーモニーを奏でる日は近い。 http://shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014614
2014.01.02
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=翦風号を甦らせる会 中島 伸男=後列中央が熊木九兵衛。その下(中央)は、妻・志津と思われる。民間飛行場の夢に全資産を賭けた熊木九兵衛■幼名は亀之助 熊木九兵衛は明治二十一年(一八八八)、金屋大通りに面した油商「油九」の長男として生まれた。幼名を「亀之助」といった。油九は八十軒余の借家を所有する資産家であった。亀之助は県立第一中学校(現・彦根東高校)を卒業後、一年間軍務に服し、予備役少尉の肩書きを得たのち家業に励んだ。 亀之助二十二歳のとき父が亡くなり、「九兵衛」を襲名した。翌年、二十三歳で坂田郡六荘村室(現・長浜市室町)の旧家から妻・志津を迎えた。■荻田常三郎と九兵衛 熊木九兵衛の運命を大きく変えたのは、荻田常三郎の沖野ガ原での飛行会である。当時、九兵衛二十六歳、常三郎二十八歳。 二人の最初の出会いが、いつどこであったのかは分からない。おそらく、荻田がフランス帰りの新進飛行家として京都で活動をはじめたころ、九兵衛は荻田に積極的に接近していったのであろう。 九兵衛は荻田の信頼を得て、鳴尾(西宮市)から八日市駅まで、翦風号を貨車輸送するさいの責任者になっている。 十月二十二日、沖野ガ原での荻田常三郎の飛行会は、数万という大観衆をあつめ成功した。祝賀会席上、横畑耕夫(よこはた・たがお)町長が「沖野ガ原を民間飛行場とする」ことを主唱、その場で熊木九兵衛は幹事にえらばれた。 十一月には「翦風飛行学校設立期成同盟会」が結成され、飛行場用地の買収がはじまった。しかし、翌大正四年(一九一五)一月三日、深草練兵場(京都市伏見区)から翦風号で飛び立った荻田常三郎は、エンジン不調のため高度四〇メートで失速し地上に激突、墜死した。機体の骨格が完成した第二翦風号(八日市町役場前)■「復元」を宣言 この悲報のなかで、熊木九兵衛は翦風号を「改修復元する」ことを宣言した。設計図が残っていた上に、プロペラをはじめ翼の布やエンジン部品など、荻田が予備を用意していたことが分かったのである。 八日市町でも事業継続の是非につき、飛行場計画委員全員の協議をおこない「継続する」ことを決議した。 大正四年二月二十二日付けの新聞に、つぎのような記事が出ている。 「来る四月一日、八日市の新飛行場で、第二翦風号の起工式を挙げることとなった。第二翦風号の再興は熊木九兵衛氏と、荻田飛行士の助手、伊崎省三氏の二人がこれに当たり、翦風号の残骸は荻田氏の遺族から両氏に任されることになった。」■見事に完成はしたが 翦風号復元作業について熊木九兵衛は、荻田常三郎の元助手・伊崎省三やその友人(平岡達蔵・岩名政次郎)など、青年数名を協力者として雇った。 当時の飛行機は木造・布張りである。主骨として北海道産のトネリコ、桁はシラカバ、中骨にアメリカマツを取り寄せた。エンジンの修理は、大阪でオートバイの発動機を製作していた島津工場に発注した。作業場は、八日市町役場に付随する修交館(現・八日市コミュニティセンター付近)が使われた。 機体復元のための諸材料費・エンジン修理費、さらに青年たちの雇用経費などについて、町費からの支出はなかった。これら一切を負担したのは熊木九兵衛であった。 大正四年四月十九日、飛行場地鎮祭が行われた。 飛行場用地買収費・整地費は、町長をはじめ町議会議員全員の連帯責任で借り入れをおこなった。 六月初旬、第二翦風号の機体が完成し、エンジン修理も七月に完了した。初代翦風号より、第二翦風号は機体重量が二割も軽減された。 ただし、根本的な問題があった。熊木九兵衛や元助手の伊崎省三らは、試験飛行はもちろんのこと滑走する技術すら持っていなかったのである。第二翦風号は、数ヶ月間、いたずらに沖野ガ原の仮設格納庫に収容されたままになっていた。沖野ガ原の第二翦風号(二人の人物のうち、右側は熊木九兵衛か)■ナイルスを呼ぶ そのころ、アメリカの民間飛行家チャールス・ナイルスが来日し、各地で航空ショーを実施していた。大正五年一月、ナイルスが西宮・鳴尾競馬場で航空ショーを開催しているとき、熊木九兵衛は鳴尾に出掛けナイルスに出会って第二翦風号への試乗を依頼した。 大正五年一月二十九日、九兵衛のつよい要請でチャールス・ナイルスが来町。彼は、三時間以上かけて機体の点検を行い安全を確認、試験飛行を実施した。当時の町会議員・清水元治郎はそのときの様子をつぎのように日記に記している。 「午後五時より五分間、飛行場の上空を二回旋回して見事着陸したり。万歳の声、喝采の響き天地を震動せしむ。」 熊木九兵衛をはじめ、飛行機についてはまったくの素人たちが造った第二翦風号である。本当に飛ぶことができるのか、疑問視されても仕方がなかった。それが見事に飛び立ったのである。試験飛行の現場にいた人たちが大喝采をしたのも当然であった。 チャールス・ナイルスは、その後、近江兄弟社のヴォーリス邸を宿舎として、三月中旬まで沖野ガ原で第二翦風号によるさまざまな飛行を試みている。ナイルス招聘の費用はすべて熊木九兵衛の負担となっていたものと思われる。■チャンピオン来町 ナイルスは再訪を約束し帰国したが、その年の六月、ウイスコンシン州で催された航空ショウで搭乗の飛行機が空中分解し事故死した。 飛行場と第二翦風号はのこっている。しかし、誰も飛ぶことのできない無用の飛行場であった。 そのころ、陸軍では所沢飛行場(埼玉県)についで、各務原台地(岐阜県)をわが国第二番目の飛行場として整備し、さらに第三番目の飛行場設置についても検討を行っていた。八日市町では、このニュースを聞くと、ただちに陸軍飛行場の誘致に取り組んだ。 時期は明確ではないが、大正座(八日市金屋一丁目、現存せず)で陸軍飛行場誘致の是非につき町民大会が開催されている(奥井仙蔵『八日市と飛行場』)。誘致計画をすすめる町当局にたいし、熊木九兵衛は飛び入り弁士としてつぎのとおり述べた。 「わが飛行場に、米国一流の民間飛行家たるフランク・チャンピオン氏を得たるなり。我等は氏と連携、死力を尽くして沖野ガ原をひとかどの民間飛行場となし、民間飛行学校期成を明言す。」 九兵衛は、当時、全国各地で飛行会を催していた米国飛行家、フランク・チャンピオンと交渉中であった。チャンピオンを中心に、沖野ガ原での飛行学校運営を軌道に乗せようと模索していたのである。 大正六年五月、チャンピオンが八日市にきた。歓迎会の席上、チャンピオンは、「将来の日本飛行界のため、この八日市での事業にぜひ貢献したい」と抱負を語った。 しかしその年の十月、チャンピオンは高知市の飛行大会で宙返りを試みたとき第二翦風号の翼が根元から折れ、高度一二〇〇メートルから機体とともに墜死した。「人」も「飛行機」も失われ、飛行場のみがのこった。 九兵衛の「夢」は完全に潰え去った。第二翦風号の製作費用、チャールス・ナイルスやフランク・チャンピオンの招聘費用、さらに彼らの活動にかかわる諸費用など、ほとんどすべてを九兵衛が負担してきた。 先祖代々、所有していた借家はすべて売却、自宅も他人の手に渡った。このころ、妻・志津の実家から「絶縁」を言い渡されたという話がつたわっている。飛行準備中の第二翦風号(操縦席の人物はナイルスまたはチャンピオンと思われる。)■郷里を去る 大正八年版『彦根中学校同窓会名簿』を見ると、熊木九兵衛の住所は「東京市神田区」になっている。チャンピオン墜死後、彼は単身上京、間もなく妻子を東京に呼んでいる。民間飛行場の夢が絶たれたうえ、すべての資産を失った九兵衛として、そのまま郷里に踏みとどまる気になれなかったのは当然であろう。 九兵衛の東京での職業は「松永フォード自動車販売所勤務」(昭和十年版『同窓会名簿』)になっている。第二翦風号に携わっていた彼の知識が、少しは生かされる職業であったのか。ただし、家族に飛行機の話は一切しなかったという。昭和十九年四月十五日、熊木九兵衛は脳溢血のため死去。五十五歳であった。 いっぽう、八日市町をはじめ御園・玉緒・中野の各村は滋賀県と連携し、航空第三大隊誘致活動を強力に展開した。大正十一年一月十一日、旧民間飛行場の十倍(五十万坪)という広大な面積を誇る陸軍八日市飛行場が開設された。■熊木九兵衛の夢 九兵衛の夢は「無謀すぎた」というべきか。あるいは時代が彼に追いつかなかったのか。翦風号飛行一〇〇周年にあたり、草創期の民間飛行家・荻田常三郎の業績とあわせ、飛行学校や民間飛行場の開設というおおきな夢を追い続けた熊木九兵衛の足跡をも、私たちは忘れてはならないと思う。 (荻田常三郎・熊木九兵衛にかんする詳しい情報は、中島伸男『翦風号が空を飛んだ日』=八日市図書館蔵=をご覧下さい。)滋賀報知http://www.shigahochi.co.jp/info.php?type=article&id=A0014632
2014.01.01
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