食べたり読んだり笑ったり

食べたり読んだり笑ったり

2006年03月28日
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カテゴリ: 創作


夕凪。白い花は、自身発光するかのように、宵闇のなか、浮かび上がって見えた。みっしりとついた桜はそよともせず、まだ一枚の花びらもちらす気配はない。作り物のようにも見えて、手を伸ばそうとして、ふとためらう。掴まえられたら、どうしよう。
信号が青に変わる。私は自転車を前に押し出すように、地面を蹴る。細い桜の木から、逃げ出すように。

四歳の頃、両親の仕事の都合で、祖父母の家に預けられていた。祖父母の家は木と陽と土の匂いがした。私を家において、祖父母は朝早くから畑仕事に出る。陽が明るい斜めになる十時ごろ、土のついた野菜を収穫して祖父母は帰ってくる。祖父母の家にいると、いつも、乾いた埃で喉がほんの少し熱かった。ちっとも不快ではなかったけど。
祖父母が帰ってくると、私は外に遊びに出るのを許される。菜を束ねる祖母のとなりでお話したり、祖父が井戸で根菜を洗うのを手伝うつもりで邪魔したり、土間で毬つきをしたりして、私は遊んだ。飽いたら、近所に出る。
祖父母の家を出て、一番近い家は、四軒あった。凹む形の敷地の左右に、二軒ずつ家が建てられ、真ん中に共通の庭がある形式の集合住宅、といえばいいのだろうか。いちばんひっこんだところに、主のような桜の木があった。見上げるような木は抱きつきたいような太い幹を持っていた。
その住宅を管理している大家さんの家は、四軒の家のなか、一番手前にあった。おじさんとおばさんだけが、住んでいるのに、なぜか子供のおもちゃが日当たりのいい部屋にたくさんあった。どれも新しいものではなかった。私が遊びにいくと、よくその部屋に上げてくれた。マグネットで絵を描くボートがお気に入りで、磁気を帯びたペンで白い板の上にいたずらに線を引いた。お姫さま、お花。ねこに、星。お母さんの絵。お父さんの絵。たくさん書いた。

私はその日も、そのお宅で、お絵かきをしていた。よく晴れた日だった。正午のサイレンが鳴ったので、祖父母の家に帰ろうと、私はぱっと立ち上がった。いつも片付けもしないで、自分勝手に出て行った。おばさんにあいさつして外に出る。
おおい。呼ばれて振り返って気がついた。おじさんが桜の木に登っていた。枝を切るつもりだったのだろうか。桜はびっしりと花をつけていた。日光をあびて、ピンクを濃くして、反射して、きらきらと光っていた。
明日もおいで。おじさんは手を振った。私も手を振りかえした。大きな幹に沈み込むように枝の上に位置をとったおじさんは、桜にうずもれているように見えた。

昼ごはんを食べ、日当たりのいい縁側のガラスに寄りかかって、ぼうっとしていた。おなかいっぱいなのと、遊びつかれたのと。うとうとしたい気持ちだけれど、お昼寝するのももったいない。明るい春の日なんだもの。
と、突き刺すような音が聞えた。祖父が後ろからやってきて、外をのぞいた。
「何の音?」
「救急車のサイレンだよ。」
「きゅうきゅうしゃ?」
白いやかましい車がやってきて、赤い光を不吉に撒き散らしながら、祖父母の家の前の角を曲がった。
(いかん、)口の中につぶやいて、祖父は様子を見にいった。すぐに帰ってきて、私をすくいあげるように抱き上げると、奥の間で昼寝をさせた。奥の間は、陽が当たらなくて寒かったけれど、横になるとすぐに眠気がやってきた。ふすまの向こうで、祖父母の声が遠く聞えた。
(落ちなさったそうだ・・・桜から・・・)
おじさんのことだと直感した。明日はおじさんに会えないのかな。眠る前、最後にそう思った。

次の日、祖父母は畑に出なかった。黒い服を着て出て行ったきり、夕方まで帰ってこなかった。今日は外に出てはいけないといわれていた。心細くて、私は土間にうずくまって、祖父母の帰りを一日待った。
その後の記憶は、しばらくのあいだ、ない。体を冷やして、寝付いたらしい。苺とれんげの季節の終わるころ、私は本復し、ひさしぶりに外に出た。
凹んだ敷地へ遊びにいくと、桜の木は根元から伐られていた。断ち切られた株が、そこにあった。
おじさんとおばさんの家は、なくなっていた。玄関まわりの花の鉢も、庭に面してひらめいていたカーテンもなくなって、ただの空き家がそこにあった。
私は家に帰り、二度とそこに行かなかった。

桜を見ると、ほのか寒さを覚えるのは、春の気温か、記憶のせいか。
あの日の、陽の光いっぱいに浴びた桜ほど、見事な桜はいまだ見ない。





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最終更新日  2006年03月28日 07時51分35秒
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