PR

カレンダー

プロフィール

Ato0414

Ato0414

2003年11月23日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
私の実家は代々続く天理教だったのは、以前も書いたと思いますが、ここでちょっと・・・。

「何のためにこんなしちめんどうくさいことをしてるの?ウチの家族は・・・。そもそも神なんて存在は、この世にないっつうの!神を作り出したのは、人間なんだから。」
大学で哲学系統の勉強をしていた私は、ますますその思いを強めて社会人となり、本当に天理教とは縁が切れたかのように思っておりました。

ところが・・・。

不思議なこともあるもんです。
大好きだったおじいちゃんおばあちゃんが次々と亡くなり(天理教では、出直す、といいますが)、そのたびごとに天理教式の葬儀を行うわけです。
妙に懐かしいような気持ちになりました。

母方のおばあちゃんがなくなって、50日をすぎたある日、駅前を息子と散歩していたところ、20代前半のギャルママから声がかかったのです。「天理教のものですが」と。

そもそも、信仰なんてものは、老人が人生に疲れきってもたれるものなんだとばかり思ってたから。

興味を持ちました。
他の教会がどんな様子なのか、のぞいてみたいんですが、いいでしょうか。
そう言って私は翌週彼女の行っている教会に初参拝することになったのでした。

いやはや、わたしの想像とはまったく違った世界がそこにはひろがっておりました。なるほど、と納得せざるをえない事柄だらけで、なぜ、実家が代々信仰してきたのか、その謎の一部が解けたように思いました。
神を、拝むわけじゃなかったんだよねー。
生活そのもの、人生そのものがもう自分の力じゃどうしようもないものに支配されてるわけで・・・。

私は旅をしながら、ふとした瞬間に、よくはるかな力を感じることがあったんだけど、そういうモノが神なんだということなんだろうなー、と。宇宙の意思、とかそういうもの。

教会では、先生が、一対一で、いつも私の中にたまった重たいものをすっきりと吐き出させてくれます。そして、自分中心に考えてゆきづまっていたものを、まったく想像もつかない視点から見て、びっくりするほどあたたかい気持ちがわいてくるような、そんなアドバイスをくれます。
「はらたつぅ!ほんとムカツクんだよ、くーっ!!」
なんていう思いにとらわれて苦しんでいたはずなのに、お話しているうちに、

などと思えてくるから不思議。
いやー、生きてるっていいもんだねえ、とそこまで思えるときもある。

こういうことの積み重ねを、信仰と呼ぶのなら、しかたない、わたしは天理教の人間だというしかない。今の私には必要なんだもの。
神も仏もない世の中だと言われるけど、そんなことはないんだな、というのをこのごろ少し実感したりして。

精神と健康との関係について、最近やっと科学的にいわれるようになってきたけど、そんな研究がはじまるうんと昔から、心と体の関係を説いてきてるってのもすごいなあと思う。

心一つが自分のもの、というこの教えはほんまもんだと思う今日この頃・・・。

オウムや統一教会などで、宗教の印象が非常によくない現代において、信仰を持つ、なんていうとうさんくさい不気味な感じがします。でも、本当の信仰は、自然にひとの心に根付いていくものなのかもしれないな。
わたしも真実を求めてスタートラインにたったばかり。
大勢の人がはやく、本当の信仰のすごさにきづいてほしいと切に願います。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2003年11月23日 22時58分24秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

コメント新着

コメントに書き込みはありません。

バックナンバー

・2025年11月
・2025年10月
・2025年09月
・2025年08月
・2025年07月

キーワードサーチ

▼キーワード検索


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: