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今年も「金田政宗の旅の記録」を沢山見て頂いてありがとうございます。2024年もどうぞよろしくお願いします。金田政宗↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.31
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2023年も早いことであと少し。今年もいろいろあったっけ。良いことも沢山あり、嫌なこともそれなりにあったが、辛い思い出は捨てていって、嬉しい・楽しいことだけ持って新年を迎えよう。さて、今年の年末年始は九州南部へ旅行に行く。年末旅行はもはや毎年の恒例行事。1日目は人吉・球磨へ行き、球泉洞、青井阿蘇神社、武家屋敷を観光し、ホテルは人吉の温泉旅館でのんびり。2日目はえびの、鹿児島北部を観光して回り、出水で年を越す。元旦は初日の出を観測。なんでも出水に鶴と一緒に初日の出を見れるスポットがあるとかで、期待に胸が膨らむ。そして最後に箱崎八幡神社へ初詣に行き、帰る予定。天候が少し悪いのが気がかりだが、少なくとも初日の出は見れそう。2023年(令和5年)、今年もありがとうございました。皆さま良いお年を。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.29
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福岡藩主黒田家の別邸跡を整備して造られた歴史公園。市の名勝に指定されている。福岡藩6代藩主の黒田継高が、1754年(宝暦4年)に完成させた別邸「友泉亭」があった場所。友泉亭の名は源通夏が"世に堪へぬ 暑さも知らず湧き出づる 泉を友と むすぶ庵は"と詠んだ歌から付けられた。1978年(昭和53年)に市で初めての池泉廻遊式純日本庭園として整備され、1981年(昭和56年)に歴史公園として開園した。園内には当時の建造物がわずかながら残っており、また黒田家にちなんだ名前が付いた茶室が2つある。庭園にはツバキ、ショウブ、藤、キンモクセイ、モミジなど様々な種類の植物があり、昭和初期に建立された、回廊を持つ17.5畳の大広間からは四季の変化が見られる広々とした庭園を眺められるようになっている。入園料は大人200円、小人100円(団体割引有)。友泉亭公園入り口。入って突き当たりのところに赤色の野点傘がある。本館入り口。大日本帝国憲法の起草者の一人で、司法大臣も務めた金子堅太郎の筆による「友泉亭」と書かれた額が掛けられている。章山庵。本館にある8畳の茶室。名前の由来は黒田継高の法号である「章山道善居士」から。広間。17.5畳もの広さを持つ、書院造りの大広間。池に面しており、ここから広々とした庭園を眺められる。抹茶セットの販売がされており、季節の庭園を眺めながらお茶を楽しめるようになっている。秋になると夜間に庭園のプロジェクションマッピングが行われ、幻想的な空間が映し出される。広間から見た庭園。池を泳ぐ鯉。一匹一匹に名前が付けられていたりする。如水庵。大河ドラマでも有名な軍師、黒田官兵衛の別名である黒田如水にちなんで名づけられた茶室。本館から少し離れたところに位置し、茅葺き屋根で4畳半の広さがあり、にじり口のある本格的な茶室となっている。すぐそばには珍しい織部灯籠(キリシタン灯籠)がある。鎮守社鳥居跡。かつてこの地に鎮守社の八幡大神を祀る神社があり、1815年(文化12年)に建立された鳥居が柱だけであるが現在も残っている。藤棚。別邸跡。黒田継高が建てた別邸があった場所。別邸は池に続いて数棟の建物が並ぶ質素なものだったと伝えられる。滝。池のほとりから見た本館。大広間の後方、右側に突き出ているのが章山庵。真っ赤に色付いたモミジの木。石灯籠近くから見た、夕方の池泉の風景。蓬莱島。石橋で繋がっている2つの島で、大きい方の島を鶴、小さい方の島を亀に例え、蓬莱島と呼ばれている。四阿。親子木犀。樹齢300年以上のウスギモクセイの巨樹。10月頃になると沢山の花を付け、庭園に爽やかな香りを漂わせる。根府川石。黒田家の寄贈を受け、東京の黒田家中屋敷から移設した石。神奈川県の小田原市から産出された輝石安山岩で、現在ではほとんど産出していない珍しいもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.27
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市内の住宅地にある茶室と日本庭園のある公園。かつて福岡県を代表する百貨店だった福岡玉屋の創業者、田中丸善八の邸宅「松風荘」の敷地を再整備して造られた公園。園内には京都の数寄屋大工が1952年(昭和27年)に建てた広間や、園名の由来となった茶室「松風庵」が当時の姿で残っている。この茶室と広間に和室が加わり、庭園には杉苔の露地、四阿、腰掛待合、つくばい、石灯籠が配置され、風流を感じさせるものになっている。春は庭園にツツジの花が咲き、園内の中心にはシンボルである樹齢100年以上のイロハモミジの木があり、夏は新緑、秋は紅葉が大変美しい。入園料は大人100円、小人50円(団体割引有)。松風園入り口。モミジが真っ赤に色付いていた。階段を登った先に庭園が広がっている。待合。廊下。立つくばいがある。椿の間・楓の間。どちらも8畳の和室で、炉がある。隣りあわせとなっており、襖を外すと大広間としても活用できる。椿の間の方に水屋があり、水屋と和室との間の壁は取り外しができるようになっている。外には茶庭が広がっており、四季折々で変化する庭を眺めながらくつろげるようになっている。広間。10畳の広さを持つ広々とした和室。外にはイロハモミジが見える。外から見た広間。松風庵。松風園の名前の由来であり、この地に邸宅を構えていた田中丸家が愛用していた茶室。当時の状態のまま保存されている。京都から数寄屋師や資材を集めて造られた本格的な茶室で、障子を開けると茶庭が眺められるようになっている。茶庭から見た松風庵。茶庭。赤く色づいたモミジの葉が落葉し、苔の生した晩秋の庭園を美しく彩っていた。腰掛待合。野点広場。庭園は駿河湾と富士山をイメージしたもの。中心にシンボルである樹齢100年以上のイロハモミジの木が枝を大きく広げている。訪れた時はモミジの木がものの見事に綺麗に色付いていた。いろんな角度から見た、モミジの木。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.26
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撮影地:福岡県福岡市 『博多駅』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.25
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博多区の市街地、住吉神社の近くにある、茶室と日本庭園のある公園。元々は親子二代にわたり家業と並んで福博の発展に貢献した、博多商人の下澤善右衛門親正が1906年(明治39年)に住吉別荘を建てた場所。「楽水」は同氏の雅号。戦後は「楽水荘」と名付けられ旅館として使用され、1995年(平成7年)に市が池泉廻遊式日本庭園として整備・開園し、園名もそのまま継承し「楽水園」と名付けられた。園内には茶室が設けられており、お茶を頂きながら庭園をゆったりと眺められるようになっている。様々な種類の植物が植えられており、四季折々で異なる姿を見せ、中でも秋は約100本のモミジが園内を綺麗に彩る。入園料は大人100円、小人50円(団体割引有)。高層ビルや商業施設が立ち並ぶ博多区の市街地、喧騒とした街中に、静かに楽水園は佇んでいる。博多塀。豊臣秀吉が博多の街の戦災復興(太閤町割り)を行ったとき、神社仏閣や豪商の屋敷の土塀は兵火による焼石、焼け瓦を粘土で固めて造られ、それが博多塀と呼ばれている。楽水園入り口。門をくぐると、モミジの木々がお出迎え。和室。6畳の和室と、炉を設けた8畳の和室が2間ある。抹茶セットの販売がされており、和室でゆったりとくつろぎながら、茶庭を見ながらお茶を楽しめるようになっている。茶庭。木漏れ日が差し込む苔の生した静かな庭園。草履を履いて自由に散策できるようになっている。水琴窟。つくばいの水落ちの箇所にある排水口の下の地中に小洞窟を設け、その中に生じる水滴の音を反響させ、かすかな音色を楽しむもの。茶庭から見た建物。楽水庵。この地に別荘を建てていた下澤善右衛門親正が、茶に親しんでいた時の茶室を復元したもの。広さは4.5畳。池泉。池はひょうたん型で、鯉などの水生生物が共生している。周りは様々な植物が自生しており、四季によって異なる姿を見せる。滝。自然石を配して造られたもの。鮮やかに色付いたモミジの木。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.23
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延岡市の市街地中心に位置する、宮崎県を代表する近世城郭。別名は「縣城」または「亀井城」。続日本100名城に選定されている。豊臣秀吉の命により延岡に赴任した高橋元種が1601年(慶長6年)に築城を始め、1603年(慶長8年)に完成。五ヶ瀬川、大瀬川を外堀とし、その中洲にそびえる小山に本城を築いている。本丸、二ノ丸、三ノ丸の構成で、天守閣はない。本丸と二ノ丸の間には高さ19mの通称「千人殺し」と呼ばれる巨大な石垣がある。延岡藩(縣藩)初代藩主となった高橋元種は1614年(慶長19年)に改易されてしまい、その後は有馬氏が3代70年続き、三浦氏、牧野氏と続いた後、幕末まで内藤氏が120年以上にわたり藩主を務めた。1870年(明治3年)に廃城となった。現在は城跡が城山公園として整備されている。園内には300本の桜があり花見の名所としても有名で、花見の時期には夜間にライトアップがされている。また、ヤブツバキが108種3300本が自生しており、日本三大ヤブツバキ群の一つに数えられている。城山公園入口。延岡城の歴代城主が記された碑がある。仲田又次郎翁像。初代延岡市長で、後に9代目延岡市長に就任し戦後復興事業、教育施設整備、上水道施工などに尽力した仲田又次郎氏の胸像。石御門跡。かつて城の裏門があったところで、2019年(令和元年)に発掘調査が行われた際に門の礎石や岩盤を削って構築した階段が見つかっている。三ノ丸跡。天守台の北側に位置する曲輪。三階櫓跡。天守閣を持たない延岡城で一番大きな建物だった、三階櫓があった場所。三階櫓は1655年(明暦元年)に当時の有馬氏の手により完成し、高さは土台下から約15.6mあったという。1683年(天和3年)に焼失し、その後も再建されることなく、現在は櫓台の石垣だけが当時の姿のまま残っている。三階櫓跡にある、後藤雄吉顕彰碑。近代日本で初めて一等操縦士と一等飛行士の資格を取り、1924年(大正13年)に日本初となる世界一周旅行に成功した、延岡市出身の飛行士後藤雄吉の栄誉を称えて建立された顕彰碑。天守台。一説では天守閣があった場所と推定されるが、実際に存在していたかどうかは不明。城内で一番の高台になっている場所で、延岡の街並みが一望できるようになっている。鐘撞堂。かつては太鼓櫓があった場所だが、1877年(明治10年)に西南の役で焼失。翌年に今山八幡宮に寄進された梵鐘が移設され、鐘楼が設置され時報の鐘が撞かれるようになり、現在も鐘守の手によって続けられている。現在の鐘は二代目のもの。あくまで時報を知らせるための鐘であるため、来園者が勝手に撞くことは禁止されている。本丸。広々としたところで春になると沢山の桜が咲き、花見の客で賑わう。内藤政挙公像。延岡藩最後の藩主であり、明治維新後は教育に尽力した他、延岡の発展に努めた内藤政挙公の像。二階門(櫓門)跡。二階部分が櫓、下部が開閉式の門になっていた二階門が設置されていた場所。敵兵を迎え討つ役割を持ち、門の大きさは南北約6m、東西約17mあったといい、城内で2番目に大きな建物だったという。二階櫓跡。延岡城の西方を守る位置にあたり、二層二階構造の二階櫓があった場所。二階櫓は廃城令が出て取り壊されるまで残っていた、数少ない建物だったという。千人殺しの石垣。法長約22m、高さ約19mの巨大な石垣で、九州でも屈指の規模を誇り、宮崎県内で唯一の高石垣。一番下の根石を外すと、石垣全体が一気に崩れ、1000人の敵兵を殲滅すると言われていることから「千人殺しの石垣」という通称が付いた。桜の時期になると夜間にライトアップもしくは壮大なプロジェクションマッピングが行われ、夜桜と共に幻想的な光景を作り出す。二ノ丸広場。城内で最大の広さがある場所で、主要な曲輪であったとされる。1951年(昭和26年)にこの地に遊園地が開園し、公園や動物園があり、1988年(昭和63年)に閉園するまで市民の憩いの場になっていた。ちなみに訪れた時は10月にここで行われる「のべおか天下一薪能」の準備がされていた。井戸跡。縦横1m、深さ1.5mほどの大きさの井戸が2つあった場所。牧水歌碑広場。宮崎県出身の歌人、若山牧水の歌碑が3つ並んでいる。左の歌碑(2枚目の写真)には牧水が晩年に詠んだ歌である"なつかしき 城山の鐘鳴りいでぬ をさなかりし日聞きしごとくに"が刻まれている。毎年3月になるとここで牧水歌碑祭が開催される。北大手門。城の表門にあたる。門幅5.4m、高さ7.2mで、瓦葺の四脚門。元々は周辺の石垣だけが残っている状態だったが、1992年(平成4年)に延岡城の絵図や発掘調査を元に門が復元された。周辺は沢山の桜の木があり、門前にはしだれ桜も見られる。また、門の側には延岡藩主だった内藤家の墓所がある。北大手門東側石垣。石面には沢山の刻印が残っており、その刻印が大坂城の一部で見られる刻印に類似点が多いことから、大坂城築城に関わった技術者が石垣の構築を行った可能性があるとされている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.16
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鉾立山の麓にある、高野山真言宗別格本山の寺院。「のみやまさん」の通称で親しまれている。本尊は千手千眼観世音菩薩。篠栗霊場開創以前よりこの地に祀られてきたと伝わる石仏で、秘仏として厨子の中に安置されているが、10月の秋季大祭の法会の時だけ御開帳される。呑山観音寺の山号にもなっている鉾立山の由来は諸説あるが、玉依姫(タマヨリヒメ)が彦波剣武鵜茅葺不合尊(ヒゴナミサタケウガヤフキアエズノミコト)に嫁いだ際に鎮座する山の高さを見比べるため、頂上に鉾を突き立てたことが由来と言われている。鉾立山の麓である呑山の地で古くより祀られた1体の千手観音を起源とし、呑山の観音寺として今に伝わる。霊験あらたかな祈願の寺院として広く知られ、年間の参拝者は100万人を超えている。広大な境内には本堂の他に天王院や大師堂など多くの御堂が建立されており、3000体以上に及ぶ水子地蔵や六地蔵池などの見どころがある。春は桜、シャクナゲ、コブシ、夏はアジサイと新緑、秋は紅葉、冬は雪化粧と四季を通じて景観の変化が見られる。中でも秋の紅葉景色は千本のモミジや千本のドウダンツツジが境内を赤く染め上げ、県内有数の紅葉スポットとして多くの観光客が訪れている。お茶処萩や。大駐車場のバス停のそばにある小さな和カフェ。コービーや抹茶と共におはぎやよもぎ餅がセットで提供されており、うどんなどのメニューもあり。表参道。大百観音堂。弘法大師の高野山御開創1200年を記念して建立された。堂内には100体もの観音像が祀られている。大百観音堂裏にあるドウダンツツジ。訪れた時は見事な赤色に染まっていた。呑山観音寺本堂。大悲殿とも呼ばれる。本尊である千手千眼観世音菩薩が祀られており、秋季大祭の法会の時に御開帳される。霊験記が伝えられる場所で、寛永年間に香春岳の麓に住むお鈴という女性が亭主を殺めて亭主の店の番頭と仲良くなり、その後この本堂に訪れて鰐口の綱を引いたところ、撥ね上がってお鈴の黒髪を巻き上げてしまったという。これによりお鈴は己の行いを悔い、黒髪を観音様に帰依し改心したと伝えられる。その霊験記から昔は沢山の黒髪が奉納され、本堂に掛けられていたそうだが、現在は無数の折り鶴が天井から吊るされている。阿弥陀堂。阿弥陀如来が祀られ、左右に十一面観音と子安聖観音が安置されている。御堂の後ろにある桜の木は「福聚桜」という固有の品種で、2021年(令和3年)に新種登録された。天神鎮守社、淡島明神鎮守社。当山の鎮守社で、学問の神様である天神様(菅原道真公)と女性を病気から守る淡嶋明神様をそれぞれ祀る。大師堂。弘法大師が祀られている。1998年(平成10年)に再建されたもの。鉾立稲荷明神社、十三仏堂。稲荷明神社は商売繁昌、五穀豊穣の神様として知られるお稲荷様を祀り、十三仏尊は回忌、法事の仏様。戒めの階段。本堂の表参道にあたる急な石段で、悪事を働いたり煩悩があると踏み外すといわれる。猪上茶屋。本堂の近くにある小さな食事処。お土産の販売もあり。極楽住生院。閻魔大王を祀り、地獄絵を見ながら堂内を回れるようになっている。六地蔵池。極楽住生院のすぐ目の前にあり、大きな水子地蔵像と六地蔵尊の7体が池の上に並んでいる。水子地蔵。3000体以上を超える水子地蔵が並んでいる。水子地蔵というのは、命を授かるも生まれてくることのなかった精霊を弔う地蔵様。知顕の滝。七福神堂。大黒天を中心に七福神が祀られている。周辺は紅葉が綺麗だった。鐘楼堂。瑜祇大宝塔。両頭愛染明王を祀る。2022年(令和4年)に落慶されたもの。瑜祇経という密教経典に説かれる塔で、多宝塔の原型であると言われる。瑜祇塔は全国で5基しか現存しておらず、九州では初の建立となった。さらに木造の建立は高野山の瑜祇塔に続き2例目と、全国的に見ても珍しい塔となった。天王院表参道。紅葉が色鮮やかに染まっていた。客殿。普段は門が閉まっており内部非公開となっているが、一部期間のみ門が開き内部を見れるようになっている。ここも周辺の紅葉が綺麗だった。天王院参道。石畳の参道の両脇に苔が生しており、モミジの木が連なりトンネルのようになっている。講堂。僧侶の伝授会や修行研修の場として用いられている。愛染堂。愛染明王を祀る。福徳増長、夫婦円満、恋愛成就、良縁が祈願される。天王院本堂。浪切不動明王を祀り、厨子の中に秘仏として安置されている。12月の八千枚護摩供大行の時に御開帳されている。建物は間口7間、奥行き8間の欅造りで、篠栗八十八カ所中最も規模が大きい。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.07
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広島県山県郡安芸太田町 『三段峡①』の続き。雌滝。黒淵から水梨口へのルートで最初に遭遇する滝。落差は44m。落葉で埋め尽くされた長い斜面を、1本の長い糸がかかるようにして流れ落ちている。雄滝。雌滝のある場所から少し進んだ場所にある。落差は30mで、凸凹とした岩盤を静かに水が流れ落ちている。蛇杉橋。1988年(昭和63年)の記録的な集中豪雨によって発生した"岩屑なだれ"により道が寸断されてしまい、対岸に道を通すために1993年(平成5年)に架けられた吊橋。名前はかつてこの近くにあった杉の名木に由来する。南峰橋。虹杉橋の上流にある、もう一つの吊橋。こちらも1993年(平成5年)に架けられた。名前は三段峡を世に紹介した、熊南峰氏の功績を称えて付けたもの。大淵。女夫淵のような大きな淵で水深が深く、日が差し掛かると水がブルーに輝いて見える。耶源。縦の節理面を持つ巨大な岩盤が天に向かって伸びており、その根元を激流が走っているスポット。V字にえぐれたところが薬研に似ていることからこの名が付いた。黒淵から水梨口の間の渓流。水深の深いところが多いが、水が底が見えるくらいに美しく澄みわたっている。楓林館跡。かつてこの周辺にあった集落の住民によって運営されていた旅館の跡。同館の利用者が減少したことに伴い、1958年(昭和33年)に解体された。猿飛。高さ20mの崖が両岸から迫り、幅3.6mの狭い峡谷を渡舟で進むスポット。峡谷を進んだ先には渡舟でしか見れない滝、二段滝が見られる。今回は時間の都合で見れなかった。残念。水梨口から三段滝の途中で見かけた。真っ赤に色付いたモミジの木。目的地の三段滝まであと少し。三段滝。三段峡を代表するスポットの一つ。その名前の通り3段の流れを持つ滝で、下段の落差は10m、中段と上段は8~9m。奥行きは130m。水量豊富で豪快に水が流れ落ち、四季折々で周辺の景色と共に美しい景色を作り出す。滝の目の前に展望台が設けられており、滝よりも更に高いアングルから眺められるようになっている。大きな滝壺。その大きさは40坪にも及ぶ。展望台から下りて滝壺近くから見た滝。個人的にはこちらから見える景色の方が好き。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.03
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安芸太田町と北広島町を流れる太田川水系紫木川流系にある峡谷。国の特別名勝に指定されており、日本百景、森林浴の森100選、日本紅葉の名所100選にも選定されている。柴木から聖湖、横川口まで約16kmにも及ぶ、流紋岩と花崗斑岩からなる峡谷。西中国山地国定公園の代表的な景観の一つで、同県にある帝釈峡と共に広島県を代表する景勝地となっている。手つかずの自然が広がる峡谷で、高々とした崖や階段状の滝は中国の山水画を彷彿させ、夏は新緑、秋は紅葉が美しくなり、季節を通じて渓谷美が楽しめるようになっている。峡谷内には黒淵、猿飛、三段滝など多数の見どころがある他、渡舟(有料)に乗って景色を楽しめる流域もある。正面口周辺には食事処や売店の他に、日帰り温泉のあるホテルもあり。峡谷入り口は正面口、水梨口など複数あり、同様に散策コースも複数ある。正面口から峡谷の中間にあたる黒淵までの往復コースの所要時間は約1時間半で、正面口から三段滝までの往復コースの所要時間は約5時間。高低差のある遊歩道を歩いていく必要があるため、やや健脚向けであるといえる。また、遊歩道は一部区間の幅が狭くなっているので注意。今回は正面入り口~三段滝のコースで見れる景色を紹介。三段峡正面口。周辺には土産屋や食事処、日帰り温泉もある旅館が立ち並ぶ。まさしく三段峡の玄関口といったところか。長淵。正面口から入って最初に見える景色。長さが100m続き、三段峡最長の淵であることからこう呼ばれている。夏季には川辺で水遊びができ、カヤックも楽しめるスポット。三段滝を目指して、いざ。狼石。遊歩道を歩き始めてすぐ右手にある巨岩。姉妹滝。正面口からのコースで一番最初に見れる滝。落差は30mで、竜ノ口の淵に向かって水が流れ落ちる。2条から4条の流れを持ち、水量は少なめ。竜ノ口。狭まった崖と崖の間をまるで竜の如く、轟音を上げながら激流が走る。赤滝。その名前の通り赤色の岩盤を持つ滝。落差は15m。赤色になっているのは、紅藻類のタンスイベニマダラが付着しているため。庄兵衛岩に掘られたトンネル。女夫淵。三段峡の中でも屈指の大きさを持つ淵で、大小2つの淵が寄り添うように続いていることからこの名が付いた。石樋。200mにわたって一つの大きな花崗岩盤が浸食され、水路のような流れができているスポット。浸食の大きさは深いところで8m、幅は3~6m。天狗岩。花崗岩が板状の岩となって露出した大岩壁。石樋観音。石樋にある巨岩がまるで祠のようになっていて、これまたその中に観音像のような石が立っている。蓬莱岩。峡谷の真ん中を、牛のように横たわっている巨岩。古代中国の仙人が住む蓬莱山に似ていることからこう名付けられた。正面口から黒淵までの間で見れる渓流。水は澄みわたっていて、紅葉とともに織りなす景色が美しかった。黒淵。三段峡を代表するスポットの一つ。内黒山と柴木山の間に柴木川の激しい流れによって形成された、比高600mの大きな峡谷。100mに及ぶ絶壁に囲まれ、その間をエメラルドグリーンの川が流れており、その光景はまるで中国の山水画を彷彿させる。三段峡中間地点にある黒淵荘。峡谷内で唯一の食事処で、峡谷の景色を楽しながら食事を楽しめるようになっている。メニューは鮎やうどんなどの他に、三段峡の天然水で淹れたコーヒーや、夏季は流しそうめんもあり。下流⇔黒淵荘の間を運航している黒淵渡舟。船に乗りながら三段峡の四季折々景色を楽しめるようになっている。広島県山県郡安芸太田町 『三段峡②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2023.12.02
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