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撮影地:福岡県宗像市 『唐津街道 赤間宿』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.06.29
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2024.06.15
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○近江牛ステーキ重近江牛ステーキ重、近江牛煮込み、味噌汁、自家製の漬物近江牛サーロイン120gを贅沢に使ったステーキ重。ご飯も近江米を使用している。じっくりと煮込んで作った近江牛の煮込み。酒のつまみに合いそう。日牟禮八幡宮の近く、八幡堀沿いにあるお食事処・カフェ。近江牛や琵琶湖で獲れた魚といった、地元の食材を用いたこだわりの料理が食べられる。デザートやドリンクメニューも豊富。テイクアウトもあり。今回いただいたステーキ重は三大和牛の一つに数えられる近江牛を贅沢にステーキにし、近江米に載せたもの。ウェルの焼き加減で中まで火が通り肉汁は少なめだが、肉質はきめ細かで口どけがよく、味が最高に良かった。テラス席はすぐ隣に八幡堀が流れている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.06.13
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八幡山の南麓に鎮座する、近江八幡市の市名の由来となった神社。左義長祭と八幡祭は国の選択無形民俗文化財に指定されている。御祭神は譽田別尊(ホムダワケノミコト、応神天皇)、息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)、比賣神(田心姫命(タゴリヒメノミコト)、湍津姫神(タギツヒメノミコト)、市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト))。厄除開運、商売繁盛などの御利益がある。伝記によると、131年に成務天皇が即位された時に、武内宿禰に命じて大嶋大神を祀ったのが始まりだと言われている。275年(応神天皇6年)に応神天皇が行幸され、社の周辺に御座所を設けて休憩された。その後、この仮屋跡で日輪の形を2つ見るという現象が起き、祠を建て日群之社八幡宮と名付けたという。691年(持統天皇5年)に藤原不比等が参拝し、その時詠まれた和歌に因み比牟礼社と改称された。991年(正暦2年)に一条天皇の勅願により、八幡山に社を造営して宇佐八幡宮を勧請した。1005年(寛弘2年)に山麓に遥拝所を建立し、山上の社を上の社、遥拝所を下の社と称した。1585年(天正13年)には豊臣秀次が八幡山城を築城するため、上の社を下の社に合祀し、日杉山に祀る計画が立てられたが秀次の自害により中止となった。八幡山城廃城後は近江商人の守護神として崇敬され、1600年(慶長5年)には徳川家康が関ヶ原の戦いの後に武運長久の祈願のため参拝した。1966年(昭和41年)に社名を日牟禮八幡宮に改称し現在に至る。年間を通して様々な祭事が行われているが、中でも3月に行われる左義長祭と4月に行われる八幡祭が有名で、どちらも国の選択無形民俗文化財に指定されている。木造明神鳥居。県指定有形文化財に指定されている。八幡堀に架かる白雲橋の手前にある、高さ8.8mの木造大鳥居。1616年(元和2年)に造営されたもの。楼門(随神門)。1359年(延文4年)に造営されたもの。左義長祭や八幡祭で何度か焼失しており、屋根も檜皮葺だったが現在は銅板葺に変わっている。手水舎。龍が何故か口枷を付けていた(禰○子みたいな?)。絵馬殿。1829年(文政12年)に再建されたもので、1985年(昭和60年)に社務所が新築されることに伴い現在の位置に移築された。能舞台。1899年(明治32年)に建立。老松の絵は北垣光鱗画伯によるもの。拝殿。木造の入母屋造。1188年(文治3年)に源頼朝が近江の守護職、佐々木六角に命じて造営したもの。現在は屋根を銅板葺にしている。本殿。譽田別尊、息長足姫尊、比賣神を祀る。木造の三間社流造で正面に千鳥破風がある。991年(正暦2年)に一条天皇の勅願により宇佐八幡宮の神を勧請して創建された。幾度かの修復・造替を経て、屋根は元々檜皮葺だったが銅板葺に変わり、2018年(平成30年)に発生した台風により鬼瓦が破損しこちらも銅製に改めた。鏡池。嘘偽の心で顔を水に写すと池に沈むと言われている。屏風岩。本殿の裏にある巨大な岩で、神座を護ると伝えられる。岩戸神社。御祭神は橦賢木厳之御魂天疎向津姫命(シキサカキイツノミタマアメサカルムケツヒメノミコト)。天照大御神(アマテラスオオミカミ)の荒御魂を祀る。常盤神社、天満宮、宮比・子安神社。常盤神社の御祭神は天照大神(アマテラスオオカミ)、豊受大神(トヨウケオオカミ)、熱田大神(アツタオオカミ)、津嶋大神(ツシマオオカミ)。天満宮の御祭神は菅原道真公。宮比・子安神社の御祭神は天宇受賣命(アメノウズメノミコト)、子安大神(コヤスオオカミ)。愛宕神社、秋葉神社。御祭神は愛宕大神(アタゴオオカミ)、秋葉大神(アキバオオカミ)。かつては二基の灯籠の火袋に子安大神、愛宕大神、秋葉大神の3柱の神を祀っていたが、灯籠が破損したため新たにお社を造営した。大島神社。御祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)、大鷦鷯命(オオサギノミコト)。八幡宮を勧請する以前の地主神と伝えられる。繁元稲荷、八坂神社、恵比須神社。繁元稲荷の御祭神は宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)。八坂神社の御祭神は建速須佐之男命(タテハヤスサノオノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。恵比須神社の御祭神は事代主神(コトシロヌシノカミ)、金山毘古神(カナヤマビコノカミ)。駐車場近くの石鳥居。裏参道。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.06.11
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八幡山城の城下町を琵琶湖と連結し、往来する荷船を寄港させる目的に造られた水路。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。水路の全長は4.75km、幅員は約15m。豊臣秀次が八幡山城を開き城下町を築いた際、町の都市計画の一環として整備された水路で、城を防御するための軍事的な役割と、琵琶湖の水運を利用して物流を行うための商業的な役割を兼ねていた。八幡堀によって船や人の行き来が増えたことで町の商業が発達し、八幡山城が廃城になった後もかつての城下町は商家町として存続され、近江商人が八幡堀の地の利を活かして地元の産物を各地へ搬出し、産業振興に貢献した。昭和の時代に入ると、物流は水路から陸上へと変わっていき、やがて市民の関心も薄れていったことで水路はドブ川となり雑草が生い茂るなど荒廃が進んだ。日本が高度経済成長期に入ると、八幡堀を埋め立てようという声も出てきたが、市民運動により阻止され清掃活動が開始。次第にかつての姿を取り戻していき、現在では近江八幡市を代表する観光スポットの一つとなっている。堀の沿いには白壁の土蔵や商家が立ち並び趣のある風景となっている。春は桜が綺麗で、夏は菖蒲の花が咲き、秋は紅葉に染まり、冬は雪景色が美しくなり、四季折々で違った風景を作り出す。船に乗って八幡堀を遊覧できる「八幡堀めぐり」もあり。乗船料は大人1500円、小人1000円。上流の八幡堀。ここから更にずっと上流へ向かうと、琵琶湖へたどり着けるようになっている。現在は遊覧船が堀を行き来しているが、昔はここに商船が寄港していた。明治橋周辺の景色。春夏秋冬で見える景色が変わる場所で、春は桜の花が咲き、夏は新緑が綺麗で川沿いに菖蒲の花が咲く。川辺の道には飛び石が続いている。かつてはこの周辺も荒廃が著しく進んでおり、1970年代には堀が雑草で覆われ、完全に埋もれている状態だった。しかし地元住民が協力して清掃活動に励んだ結果徐々に元の姿を取り戻していき、現在の姿になったという。清掃活動は今も続けられているといい、地元住民の皆様方のたゆまぬ努力には感服させられる。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ像。アメリカの建築家で日本で多くの西洋建築を手掛けた他、キリスト教の伝道者としても活動した、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの像。ヴォーリズ合同会社(現近江兄弟社)の創設者でもあり、塗り薬メンソレータムを日本に普及させた実業家としても知られる。英語教師として来日し生涯を終えるまで近江八幡市に留まり「八幡は日本の中心であり、世界の中心である」という思いの元、伝道活動、教育、福祉事業等の社会貢献活動を続け、彼の功績の数々を今に伝えている。八幡堀石畳の小路。滋賀県の食材を使用した料理が食べられるレストランや、アトリエが数軒ある。白雲橋周辺の景色。石畳の道が続いていて、八幡堀めぐりの遊覧船が往復交互に堀を行き来している。白雲橋から見た八幡堀。堀の沿いには白壁の土蔵や商家が立ち並び、近江商人らが活躍した江戸時代の風景がそのまま残っているかのような、趣のある風景となっている。ドラマや映画のロケ地にもなっており、暴れん坊将軍や遠山の金さんなど時代劇の撮影が多く行われている。八幡堀下流。木々に囲まれ、堀には木漏れ日が差し込んでいた。八幡堀めぐりの遊覧船。エンジン式のボートがメインとなっているが、手漕ぎの船もあり。遊覧船乗り場。遊覧船に乗って八幡堀めぐり。船の上でゆったりとくつろぎながら、堀の景観を楽しむ。5月に来訪した時は木々の新緑が綺麗だったが、春は桜、秋は紅葉の景色が綺麗だそう。折り返し地点近くで見えてくる、旧中川煉瓦製造所ホフマン窯。国の登録有形文化財に登録されている。ホフマン窯というのはドイツの技師フリードリッヒ・ホフマンが考案した煉瓦製造用の窯で、現在では全国に4基しか現存しない貴重なものとなっている。明治から昭和にかけて大量の煉瓦が生産され、現在では建造物の一部が欠落した状態ながら大切に保存されている。折り返し地点から戻る途中で遭遇した手漕ぎの遊覧船。30分間の遊覧を終え、帰着。日牟禮八幡宮の八幡祭に奉納される太鼓のモニュメント。西川甚五郎邸。寝具メーカーとして有名な西川株式会社創業の地。1566年(永禄9年)に初代が行商を始め、1587年(天正15年)、近江八幡に「山形屋」の屋号で開店し繁盛。1615年(元和元年)には江戸日本橋に出店した。2021年(令和3年)に西川甚五郎本店資料館が開館し、西川家の歴史を伝える古文書や古物の展示がされている。邸宅は内部非公開だが、一部期間のみ特別に公開されている。旧ヴォーリズ住宅。県指定有形文化財に指定されている。前述のウィリアム・メレル・ヴォーリズの後半生の邸宅。外見は質素だが両開きの窓や暖炉の煙突が見られ、洋風なものとなっている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.06.10
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江戸時代から中世にかけて活躍した、近江商人らの邸宅が並ぶ古い町並み。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。近江八幡の町並みは、1585年(天正13年)に豊臣秀吉の甥である豊臣秀次が八幡山城を開き、その城下町として築いたのが始まり。八幡堀を挟んで北が武士の居住地、南が町人の町で、その中で商業地域と職人地域に分かれていた。現在の新町通りはその商業地域にあたる。秀次の楽市楽座の元、近江商人・八幡商人らは活発に商売を行い、1595年(文禄4年)に八幡山城が廃城となり町が幕府領となると、全国に行商の旅に出掛け、八幡を本店として江戸や大坂に出店を設けるなど大いに活躍した。中でも西川甚五郎、西川庄六、森五郎兵衛は御三家と呼ばれるほどの実力を誇ったという。新町通りは、これら近江商人・八幡商人の商家が保存されており、白壁の町並みに格子戸や見越しの松など情緒ある風景が連なっている。旧伴家住宅や旧西川家住宅など一部商家は公開されており、自由に見学ができるようになっている(入場料が必要)。伴伝兵衛宅址。江戸初期から江戸日本橋へ出店した近江商人、伴伝兵衛の本宅があった場所。本宅は取り壊されたが、庭石、土蔵などが一部残されている。旧伴家住宅(八幡教育会館)。市指定文化財に指定されている。江戸時代初期に日本橋通りに出店を持ち、扇屋の商号で知られた商人、伴庄右衛門の商家。1827年(文政10年)から1840年(天保11年)にかけて建築された、当時としては非常に大きな規模の町家だった。明治時代以降は役場や学校、図書館として地元住民に親しまれ、1998年(平成10年)に復元・整備され現在は一般公開されている。入館料は一般400円、小・中学生250円(団体割引有)。駐車場から見た旧伴家住宅。よく見ると3階建てなのが分かる。旧伴家住宅の入り口に展示されている、日牟禮八幡宮の左義長祭で担がれる「ダシ」。その年の干支にちなんだものを小豆やスルメ、昆布などの食べ物を使って製作している。旧伴家住宅内に展示されている、近江八幡の伝統工芸品や甲冑。45畳の大広間。かつては作業部屋だったと言われている。天井には赤松でできた約14mにも及ぶ6本の梁が渡っており、この部屋の窓から上の部分を支えている。旧伴家住宅一番の見どころなんだとか。近江八幡市立資料館の郷土資料館。歴史民俗資料館と隣接している。かつて海外で活躍した近江商人、西村太郎右衛門の邸宅跡に建てられた、旧八幡警察署を利用した資料館。近江商人の歴史の紹介や、民俗・工芸品・文書などが展示されている。入館料は歴史民俗資料館と共通で一般300円、小・中学生150円(団体割引有)。かわらミュージアム、旧西川家住宅との共通券もあり。近江八幡市立資料館の歴史民俗資料館。八幡商人の豪商、森五郎兵衛の控宅だった建物を資料館として利用している。八幡商人が代々伝えた用具や日常品が展示されている。新町通りの町並み。白壁、瓦葺きの木造建築で戸は格子戸といった、古き良き近江商人・八幡商人らの商家が一直線の道に連なるようにして建っている。さらに庭からは大きな松の木がこちらを覗くようにして伸びている。まるでここだけ江戸時代にタイムスリップしたかのよう。森五郎兵衛邸。かつては煙草や麻布を商い、後に呉服や太物などを取り扱い江戸日本橋や大坂にも出店した近江商人、初代森五郎兵衛の邸宅。内部非公開。西川庄六邸。県指定文化財に指定されている。近江商人である西川利右衛門の息子で、蚊帳・綿・砂糖などを商い江戸日本橋に出店した後、島津藩の指定御用商人にもなった豪商、西川庄六の邸宅。江戸中期の建物で、間口13m、奥行は14.9m。内部非公開。旧西川家住宅。国の重要文化財に指定されている。江戸時代から昭和まで11代、300年にわたって活躍した近江商人、西川利右衛門の屋敷。1706年(宝永3年)に建築されたもので、瓦葺で一部2階建て、店と居宅の部分で分けられているのが特徴。入館料は一般300円、小・中学生150円(団体割引有)。かわらミュージアム、近江八幡市立資料館との共通券もあり。旧西川家住宅内部。庭。飛び石が配してあって、地面には苔が生えている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.06.09
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