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月の上でウシとのんびり散歩してたら、3秒後にトラに変身。下(地球)を見ると境内に人がいっぱい集まってカウントダウン。年が変わってみんなバンザーイ。せんとくんがあっかんべーしてた。トラが追いかけてくるから、シカせんべいで気を引こうとして失敗。食われる寸前、若田さんと野口さんに助けられた。という、ゆうべのせがれの夢。
2010.01.28
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長々書いてきたけれど、書いてるうちにどんどん心が軽くなった。全部が全部、思いきれたわけじゃないんだけど、でも振り返ってみて、変な罪悪感を感じる必要も、被害者意識を持つことももう何の意味もないことがわかってきた。なので、最初に書きだしたときより、すっかり気持ちが落ち着いてしまった。引越しのことが、1年前、2年前、結婚当初、別のタイミングで起こっていたらきっとわたしが心配したような騒動になっていたんだと思う。だけど、ここに至る、一つ一つ何かが起こるたびに、お互いに何かを譲ったり、あきらめることを学んできたのかもと、整理してみてわかった。いろんな過去の出来事の結果が、今に繋がって来たんだろうな。引越しすることがいいことなのかどうなのかは、まだわからないけれど、このタイミングがあってこその話、いろんなものに感謝しつつ、新しい生活に踏み出さなくちゃ。棟上げ報告後、旦那は義父のところへ時々顔を出して、詳細を伝えていった。わたしが義父と顔を合わせる機会には、引越しの話題が全く出なかったので、どこまで言っているのか、どこまで伝わってるのか、よくわからなかったけれど。しかし、義父が義姉にはその話をちらっと伝えたのか、一度旦那の携帯に義姉から電話があり、引越しの話を聞かれたらしい。するよ。くらいしか答えない旦那にたぶん、義姉はじれったい思いをして、直接会って話を聞かなければと思ったんだろう。それで、正月の対面となった。今までの経験では、義姉がいると義父は妙に強気になるというか、あえて物事が大きくなる傾向があるので、会うのが怖かった。旦那実家に着いて、顔を合わせるなり挨拶もそこそこに、「引越しするって??いつするん??」と前のめりな感じで聞かれて、きたーーーと思ったけれど、旦那は返事もしないので、わたしが引き気味に答えておいた。座敷に上がってからも、家の場所や、どんな家か、マンションはどうするのか、根掘り葉掘り聞くので、旦那頼む。。と思うのに、また反応せず、義姉はわたしを凝視して質問攻めにしてくるので、どこから答えたらいいやらと思っていると、せがれが、勝手に答え出した。「場所はねぇ、大阪のばあばの家の隣の隣の隣の隣の隣の。。。。。。。。(エンドレス)」義姉が「近いのか遠いのか良く分からへんねぇ」と苦笑い。それから、どんどんせがれが中心となって家について語ってくれた。せがれには、義父も義姉も突っ込みようがないようで、和やかに話が進むではないか~子供に救われるとは情けないような気もするけれど、助かった。。それから、すっかり大きく成長した姪っ子たちの近況などの話題や、今住んでいる場所のことなどにそれとなく、話を振ってみると、自分のほうのことになると、義姉はあまり乗ってこないので、姪や義兄が答えてくれた。なんとも微妙なバランスだなぁ。お互い自分のことには実に消極的だ^^;義姉が旦那さんの転勤で、どこかへ引越しするという話を義父から聞いていたんだけど、転居案内が来ず、旦那も詳しく聞いてこないので、年賀状も前の住所のままに送って、まだ年賀状も届いておらずわからなかったけど、聞くと去年春までに引っ越していたらしい。今までのことを思えば、そう嫌味なことも言われず、喧嘩腰にもなられず、ドキドキしていたことは杞憂に終わって良かった。。これでわたしが思い悩んでいた障害はなくなったわけで。胸のつかえが下りた思いで、新しい家のことを考えられるようになった。わたしの愚痴や過去へのこだわりで長々とした話になりましたが。読んでくださったり、コメント頂いた方々に、とにかく感謝感謝です!頂いた言葉から、気持ちを軽くしていただいたり、新たな気づきもありました。また、ぽつぽつかもしれませんが、まったりと更新していきたいと思いますのでよろしくお願いします~
2010.01.22
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日にちが開いてしまって、どこまで書いたやら。。いったん最後の方まで書いたもののパソコンがフリーズし、飛んでしまったので、改めては、気が遠くなってしまって。途中で下書き保存をせにゃならん。しかし、それをついつい省いてしまうのがO型~?しかし、力尽きている間に、友達から電話をもらったりして。身近な友達にはブログのことなんぞ言っていないのだけど、もともとブログを始めるきっかけとなった友達と、遠く離れた地に住んでいる友達だけは知っていて。転勤で何度も引越しを繰り返しているその友達とはなかなか会えないので、ここで近況を知ってもらえるのは、なんとなく嬉しい。読んで時々電話をくれるのも、嬉しい。どんなに離れてても、つながりあってるんだなって。その電話をくれた日も、なんとなく話をしたいなーと頭に浮かんできて、でも、とてもいい天気だったので、子供と公園におでかけしてそうだし、別の日にしようと思ったら、彼女の方から、かけてきてくれた!友達のいる方の空は今にも降り出しそうな天気だよって言われて、あーそっか。こことそっちは、距離があるんだな。って思い至った。なんでも、自分基準でものごと考えてたらいかんいかん。でも、嬉しい偶然だった。わたしが思い出してるときに、相手もわたしのこと思い出してくれてるなんてね。電話と言えば、父がわたしに電話をしてきて。そういえば、母が一泊旅行へ行くって言ってた日だったので、留守番中になんとなく寂しいのか電話をかけてくることがあるから、そうなのかなって思ってたら、違った。急なお通夜に参列をしなくちゃいけなくなって、次の日の母が帰宅する頃に、不在にするけど母が鍵を持ってでかけてるかどうかわからないから、どうしようと。出かける前に、宿泊先のパンフレット置いとこうか?と母に聞かれて、なんもないやろうし、いらん!と父は言い、携帯を貸してやろうかというと、いらん!と母は言ったらしい。あの夫婦らしいやりとりだが、油断大敵だな。前の旅行の時にも鍵を持って出なかった母が、父の帰宅が遅くなってしまって、家に入れず、近所の公園のベンチにぽつんと座って待っていたらしい。その時の教訓を生かしてちゃんと鍵を持って行ってくれればいいけど、うっかり屋の母だし。鍵を置いて行ってるかどうか、わからないの?と聞いても、そんなもんわからん!って。。旅行会社だけは、書類が残っていて分かるというので、聞いてみたら?と電話するように言ってみたものの、時間外でつながらないと。翌朝もう一度時間内に電話したらいいやんと言うと、仕事だしそんなことはせん。忘れてたら、忘れてたらで、待っとけばいいねん。いい薬になるやろうなんて言う。冬に外で待ってろとは薄情な~~~とあきれた。仕方がないのでわたしが朝電話して聞いてあげると請け負った。旅行会社に電話し、急用で連絡が取りたいのですがと依頼すると、もしも調べがついてわかれば、添乗員に連絡をとって、電話出来るかもしれませんと言ってくれた。かかってくるかなーーーーーと待っていると、小一時間後、電話が鳴った!出ると、大声で、受話器の向こうから、せっかちに「何?何の用か早く言って!電話借りてるの!!添乗員さんの電話でっ」え、お母さん?と聞き返すと、「tacoちゃん?良く聞こえへん!早く!何?どうしたん。はっきりいいなさい!」言うも何も、話す隙間っちゅーものを与えてくれ。。ほんま、母のこういう物言いにはうんざりする~とにかく、負けじと声を張って「○○さんが亡くなって、今晩お通夜にお父さん参列するって。。」と言いかけると、さっさと、「あーあーそう。鍵持ってるわ。じゃ。」で切られちゃった。知りたいことはわかったものの。普段はあれこれ必要以外に話が脱線する母なのに、なんとそっけない。ほんとに、まったく。感謝してくれとは言わないが、もうちょっと愛想ってないの。やれやれ。。と次は父に電話して、「連絡付いたよ。鍵持ってるから大丈夫だって」と伝えると。「あーそうか!ならいいな。ありがとう~」と。ちょっとだけ報われた。。いつも振り回されてバカを見るわたし。しかし、そんな勝手な母も変なところは気ぃ遣い症で。手料理をふるまってくれて、手土産ももたせてくれて、こっちが恐縮しなくちゃいけないのに「なんもお構いできんでごめんなーーー」と、帰った翌日あたりに電話が来たりする。その割に、こっちが気を悪くするようなことをしても、しれっとしてる。何か気が焦っている時や、余裕がないときは、超身勝手、炸裂。帰ってその後も全く連絡はないし。全くなんとも思ってないんだろう。父は父で子や孫や自分の身内には非常に寛容なのだけど、母には常に俺様なので、その間に挟まるわたしは非常に疲れる。ちょうど間をとって、普通にふるまえないのかなぁって、いつも思うけど、ずーっと関わってきて変わる様子もないので、変わらないんだろう。ま、子供は親を選んで生まれてくるらしいから、わたしはこの両親を、旦那はあの両親を、そして、せがれはわたしたち夫婦を、選んで来たということで。子供からすれば、親に感じる不条理は宿命なのかな。幼い子供は無条件に親を愛するものね。親は子供を産み育てる責任を感じて、理屈や感情に左右されながら、子供を可愛がるけれど。親はとかく、子供が親に苦労をかけて、子供が大人になっても変わらず愛してるって、思い込みがちだけど、案外そうじゃないのかも。子供の方が親に深い愛情や、切れぬ縁を感じるってこともあるんじゃないか。結局は、親も子も、お互いさまなんだろう。自分以外の人は変えられないと、まず思い知るのが、自分の親との関係からかなと思う。これを前提に考えれば、人とのかかわりもずいぶん楽になるのでは。閑話休題。。またまた振り戻って、秋に大阪で地鎮祭をした。その時にハウスメーカーさんが自社ラベルの酒をお供えしてくれて、それをおさがりとして頂いて帰ったものを携えて、旦那は義父へ家を建てることを報告に行った。わたしからすれば、順番が全然違うのでは。。と思うのだけど、旦那は義父の性格上、物事が中途半端に進んだ状態で言うと、あれこれと文句を言ったり反対するので、きちんと決めてから、言わないといけないと。今まで散々小さいことでもなんでも、決めごとの度に揉めるのを見たり、巻き込まれたりしてきたわたしには、どうしたら最善かなんてさっぱりわからない。わたしが何か考えたり、アドバイスして良くなった試しもない。世間一般とか、わたしの常識とか、そういうものはどこにでも通用するものじゃないともう充分思い知っているし、生まれてずっとのお付き合いしてる旦那がそう思い、自信があるなら、それに任せる。わたしが選んで今一緒にいるのは、旦那なわけで。それについていくしかない。旦那が選んだ親なんだから、旦那と親との間にわたしが何を口出しできようか。で、旦那の考えが正しかったのか。わたしが想像したような、怒られる、大反対されるとかとかはなかったそうで。旦那がどんなふうに説明したのか非常に知りたいけど、無口で口下手で、根掘り葉掘り聞いても、事細かに説明してくれないから実際どうなのかわからないけど。。とにかく反対されなかった、喧嘩にならなかった。という結果だけを喜ぶべきだな。旦那曰く、一度にあれこれ言っても理解しにくいだろうから、小出しに話をしていくつもりらしく、また後日詳しく言うわ、てったって、棟上げしてたら建ててるってことだもんね。事情は伝わったんだろう。今までは何かあると、たちまちこちらに電話がかかってきて、あれこれ言われたりした経緯があったので、またそうくるかと、数日はおびえて過ごしたけれど、それもなく。なんだか拍子抜けな打ち明けとなった。
2010.01.21
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長々と過去に振り戻って、ねちねちとどうにもならないことを書いているのだけど、書いているうちにどんどん、混沌と考えてきたことがクリアになってくる。クリアになったものを見据えると、それほど深刻なことでもないように思えるけれど、その時その時には、恐ろしいほど追いつめられた気分で日々を過ごしていた。でも、過ぎて見れば、嫌な経験からも学ぶところは多かったと思っている。それでもたまに胸の奥で古傷が痛むと言うか、何かのきっかけで振り戻ってしまって、モヤモヤとした気持ちが湧いてくることがある。それって完全に今までのことを手放せていないからじゃないかと思う。きれいごとなく、ここで一気にぶちまけて、こだわっていたことを手放して、ぐだぐだ悩んでた自分におさらばしたい~深く悩まない、人を悪く思ったりしない、ねちっこくない、鷹揚なところが自分らしさだとずっと思ってきたのに、ここ数年で真逆になってしまっていたよ。もうすぐ環境が変わるんだし。どんどん背中を押されるように進んできた。発端は、昨春のある日。落語サークルのおけいこ帰りにわたしの実家へ寄った時、近所にあった大きい駐車場が整地され、分譲地としてのぼりが立っているのを見かけた。古くからの住宅密集地で、住民の出入りは少なく、売り物件はほとんどない地域なので、珍しいことだ。旦那は見たとたん、俄然興味を持ったようで、実家に着くなり折込チラシを探してすぐに電話をかけ、不動産屋に話を聞くことになった。チラシを入れた途端、半分ほどの区画は売れたという。旦那もいきなり買う気満々で、残っている場所で気に入った土地を押さえておいてと頼んでしまった。わたしもややこしいバックグラウンドがなければ、買ってもいいかな?と思うくらい、交通至便で、学校も近い、実家も近い、生まれ育った地元で勝手も分かっていると、何かと安心で魅力的な土地ではある。が、旦那は田舎の長男で、義父は一人暮らしで、こっちに引っ越してくるなんて、無理なことはわかっていた。わたしの両親だって、そんなことしたら、うちが呼び寄せたみたいに思われると困るし、わざわざ買わんでも、今のマンションで充分だろうって反対した。が。普段無口で温厚そうな旦那だけど、思い込むとものすごく頑固で絶対に譲らない。その辺、義父の血が流れてる~って思わずにはおられない。旦那は家を建てることに最初からこだわっていた。、結婚すると決まったら即、自分の実家の土地に家を建てるつもり満々で、いそいそと住宅展示場周りなんかして。間取りをどうするとか、設備がどうとか、そういうことを考えるのが大好き。が、義父に同居もしないで別宅を建てるのはあかん!と却下されたので、方向転換し、とりあえずマンションで生活をスタートすることになった。それでも10年ほどここに住んだ先には、家を建てたいなぁとはずっと話していた。わたしはマンションでもいいから、出来ればもっと旦那の会社の近くとか、そうでなくてももう少し大阪に近い便利なところがいいなーなんて思っていた。義母が亡くなって、同居案もご破算になってからは、ずっとここで住み続けるしかないなとわたしはあきらめてしまって、それまでチェックしていた不動産のチラシも全く見る気にもならなくなってしまっていたけれど。旦那はそれでもあれこれチェックし続けていたので、あきらめ悪いなぁとあきれていた。そんなところへ、降って湧いたようなこの話。旦那の実家からも、この県からも離れて大阪へ、しかもわたしの生まれ故郷へ、わざわざ土地や家を買って引っ越すなんて、どう考えてもありえない。わたしの友達ですら、そんな話をすれば、まず第一声に「お義父さんは?」と聞く。「こっちの家はどうするん?」と聞く。それが一般的な道理なのだ。でも、旦那の道理では。いくら土地が旦那実家にあると言っても、今の自分にはどうしようもない。古いしきたりで固まっている今は、あそこには住むのは嫌だし、義父もわたしたちの思うような家を建てることは反対なので無理。ローンを組める年齢に限界があるので、建てるなら早くしなくては。だからこそ、気に入った土地が売りに出ている、このタイミングを逃す手はない。せがれだって、少しでも小さいうちに転校した方がなじみやすいだろう。義父に分かってもらえるようには、自分が責任を持つから。そう言われても、やっぱりどうなんだろう。本当にいいんだろうか。わかってくれるんだろうか。自分の地元に新居を構えられるなんてと、何のしがらみもなければ嬉しい話に思えるが、周りの人の反対とか考えるととても喜んで受け入れる、そんな気になれない。その頃、あれこれと悩んで落ち込んでるわたしを心配してくれた人がいて。その人に、思っていることを打ち明けた。すると、今どうにもならないことに束縛されたままずっと生きてるつもり?このままだったら義父に何かあってからしか、動けないよ。それをずっと待ってるつもり?と言われた。なるほど。確かにそれを待っているだけになってしまっているかも。今はどうにもならない。どうにかなるまでは、どうせずっとこのままいるしかない。そう思ってきたのは確かだ。なんだか、ひどいこと考えてたもんだ。そんなの一体いつのことだかわからないよ。その前にこっちがどうかなっちゃうかもしれないよ。旦那さんが、自分の親のこともわかった上で、家族の幸せをちゃんと考えてくれて、今が変わるチャンスだと言ってるのに賛成しないでどうするの。親に何かあった時は助けてあげたらいいけれど、今はその時期じゃないんだから、考えたって仕方ないよ。旦那が言ってたことと同じだ。こっちが動いたら、あちらも動かせるようになるかもしれない。わたしの方も旦那の方もどっちの親のことも気になるし、今は旦那側は動かせないからまずはこっちから環境を整えて置いた方が先のためになると。何事もタイミングが大事だと言うことだ。とにかく土地はすぐにでも手を打たなければ売れてしまうので、契約すると旦那は決断した。土地を契約すれば、次は家を建てることへと進んでいく~突然の決断で、ハウスメーカーやらとの打ち合わせがが始まって忙しく過ぎながらも、ずっと気になり続けたのは義父に了解してもらえるかということ。旦那がどんなふうに話を切り出してくれるのか、それで喧嘩にならずにちゃんと納得してもらえるのか、ずっと心配で仕方なかった。
2010.01.09
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旦那実家での悶々もそうだけど、問題は住処にもあった。マンション内にはせがれの同級生が数人いる。一人の女の子を除けば、違う保育園や幼稚園通っていたので、関わる機会が少なく、戦いごっこ、ゲーム、サッカー好きが集まっていて、兄弟構成も似た家庭が多く、一人っ子のせがれとは興味が全く違うので、遊んでもお互いつまらなそうだった。小学校へあがってからは、集団登下校で、ただ一緒に行って帰ってくるだけのことだと思うのに、それがトラブル続きの日々の始まりで。自分たちと違う趣味だったり、思う通りにならないこととか、最初のうちはそんなささいなことがきっかけでちょっかいを出してきたんだと思う。その子たちは、列で歩くのを好きな順番に入れ替わったり、走ったり、道草したり。せがれは、決められた順番を守りたいし、歩いて、道草をしたくない。テレビ番組の話や、流行りの歌なんか大声でしてる子たちに加わらず、落語の練習を一人でしてるせがれ。兄弟がいる子たちと一人っ子のせがれ。何か自分たちと違うせがれが、だんだんうっとおしいと思いだした子たちは押したり小突いたりから始まって、それにせがれが反発すると、どんどんエスカレートして、蹴ったり叩いたり、エレベーターに乗せないようにもみくちゃに嫌がらせをしたり。その子たちは、親や先生の前では実に狡猾で、口裏を合わせ、せがれが悪いとしか言わない。全治数週間の大けがをさせられたこともあって、その時は周りの子の証言もあり、一応親子で謝りに来たけれど、そのときでさえ、子供は黙りこくっているし、親だって責任の元はそっちにあると言うような口ぶりだった。その後も嫌がらせが続き、どうしてそういうことをするのかと理由を聞くと、歩くのが遅い、一人で落語を喋って気持ち悪いとか言う。わたしはトラブルの元をなくせばいいのかと思って、人が嫌がることはしないように、スピードも合わせて、うるさいと言われないよう黙って歩くようにと言い含めた。そうしたところで、また何かと難癖をつけては、嫌がらせは続く。せがれも頑固だから、弱い立場でも理不尽なことに対して決して屈しないので、間違ったことに対して、黙っていない。余計に相手もエスカレートして、何度もけがをさせられ、毎日帰宅しては泣いていた。小さなマンション、親もお互い知りあってるので話をしては見たものの、とにかく自分の子供の言うことしか聞かないし、立場にたたない。個人では、ちょっと引け目を感じてる人も、自分が仲間内で悪い立場になるのが嫌で話を合わせているのがわかった。学校の方でも注意はしてくれたし、わたしもなるべく目を配っていたけれど、人目のあるところでは手を出してこなくても、子供たちだけになると、やってくる。せがれもいろいろ考えて、一人ずつと話をすれば、その時は悪かったとかごめんと言うのだけど、数の力、仲間といると変に強気になるというか、止められなくなる。親も子も家族ぐるみでのつながりがあって、その輪の力を大事にまとまっている。そしてある日、マンションの中で、数人がかりであんまりひどくせがれに手を出しているところを見て、わたしが叱った。子供たちに話をしていると、母親たちも出てきたので、毎日続く出来事を言って、本当に困っているということを伝えたのだけど。このままだと、またいつか大けがにつながるかもしれない。今までも何度も言ってきたことだけど、普通に何事もなく行き帰りするだけのことがどうして、そんなに難しいことなのか。自分がされて嫌なことは人にもしないで欲しい。危ないことはしないで欲しい。ということを頼んでみたのだけど。しかし、親は、子供の話を鵜呑みにして、元々のきっかけを作るのはせがれ。男の子は元々やんちゃなもの、多少手を出したとしてもそれは仕方がない。けがをさせられるのが嫌なら、毎日わたしが付き添って送り迎えをするか、集団登校をなくすように学校へ申し出ろ、と父親まででてきて言われた。まるでどこかの国のように、少しでも謝った方が負け。自分たちの立場さえ良ければ、間違ったことをしても構わないという理屈。そもそもせがれ自体が変わり者だからと人格を否定するようなことまで言ってきた。でも、逆にそこまで言われたことでわたしも何か吹っ切れた。表立ってトラブルになってるのが、うちとの間だけと親たちは思っているのかもしれないが、実のところ、子供たちは学校でも同じようなことをしている。いじめられて登校拒否寸前になってる子が学校へ相談していたり、その子たちが悪さしてることことをよそからも聞いたことがある。地域の活動などでも、自分たちに都合のいいように勝手を通してると、他の保護者は不満を持っている。仲間内で固まってなあなあで通していけているから、自分たちがなんでも正しいと思い込んでいるが、他の人たちは面倒にならないようにと、表立って言わないだけで、実は反感を持っている人だって少なくない。せがれがおかしいなんていいますけど、学校ではみんなと仲良くできてます。でもあなたの子が学校でも同じようなことをして、困ってる子は他にもいますよ。と言ったら突然顔色が変わって、黙って逃げるように帰ってしまった。その後、ご近所では、父親まで出てえらい剣幕でどなり散らして逆切れしていたといううわさが立って、友達に大丈夫だった?と気の毒がられてしまった。学校にも、今までのこと、言われたことをまんま伝えた。集団登校の廃止とか、学校の決まりごとの是非にまで言及されていましたが、わたしとしてはうちの子に普通にトラブルなく登下校してほしいだけなんです。学校側は、登下校の方法を変えるつもりもないし、相手の親に話をしますといった。その話の詳細は聞かされなかったけれど、とにかく、手を出されることはなくなった。たぶん、親も人並み以上に世間体を気にする人たちなので、うち以外にも問題があると聞いて、旗色が悪いのを察し、はじめて子供たちに怒ったか、言い聞かせたんじゃないか。学校でも先生が子供たち同士で話し合いをさせて、お互い嫌なことをしないという約束をしたらしい。本心から反省したわけじゃないと言うのがわかるのは、それ以来、直接暴力的なことは、してこないけれど、ものすごい目つきで、わたしやせがれを睨んでくる。マンション上層の廊下から、歩いているのを見てたりしても、気がついて、目配せしあって、睨んでくるのがわかるくらい~今までだってそうだけど、挨拶しても返事もないが、睨みだけはしてくる。いくら言っても分かりあえない相手がいるということを、今回のことでわたしも学んだ。この10年ほど普通にご近所づきあいしてきて、多少調子のいいところがある人たちだなと感じるふしはあったけれど、それなりに物が言える関係を築いてきたつもりだったのでこっちの道理が通じる相手だと思い込んでいた。だから、せがれの気持ちや良さもいつかあの子たちもわかってくれるんじゃないかって、せがれも自分のことを認めてもらいたいって言っていたので、それに近づく日が来るかもと期待して見守ってきたんだけど。でも、それはまずあり得ないことだと、理解した。で、せがれにも、そう教えた。子は親の鏡、あの親の理屈で育った子供たちは、どうしようもない。あの子たちが悪いというよりは、親が悪い。正しいことを教えてもらっていないのに、理解するのはまだ無理だろう。いくら学校や周りに教えてもらっても、子供のうちは親の影響が強い。もっと成長して自分なりの判断力がついて、変わる日が来ないとは、限らないけれど。たまたま近所にそういう子が固まってるのは残念だけど、危害が及ばない限りのことは目をつむりなさい。今までなんと言っても納得しなかったせがれも、親たちの様子を見てやっと理解ができたようで。学校の方でも親同士が揉めるのは困るようで、今まで以上に気にしてくれ、その子たちの兄らが卒業して、公平な目を持つ上級生がリーダーになってからは、並び順や歩き方もせがれが正しいと認められて、普通に登下校できるようになった。今は淡々と振り返られるけれど、その頃はほんと、なんとも言えない真っ暗な毎日を過ごしていたもんだ。。
2010.01.08
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旦那の決断に至る、1か月ほど前。旦那実家で法事があったので、旦那とわたしは準備や当日の手伝いで動いた。法事や墓参りの後には、食事までのつなぎにせがれが落語を披露して喜んでもらい、義父もご機嫌になって飲んだり食べたりしていたし、親戚たちも帰って、片付けて。と、滞りなく終わって、ほっとしていた。用事でわたしとせがれが自宅へ帰ってる間に、旦那から電話がかかってきて、義父が市役所で、うちの何やら証明書を取ってこいと言ってるぞと。そんなもの何に使うの?と聞くと。山を買って、その名義はせがれか旦那にしてやるから、そのために使う書類って。山!?なんじゃそれーーーーーーそんなこと今までちらっとも話に出てないのに、意味がわからない。先祖代々の田畑山林だけでも、すべて活用も管理も出来てないのに、さらに買い増す?聞くと、知り合いから買ってくれと頼まれたそうで、材木として使えそうな立派な木が育っていて、今後家を建てるとかにも使えるから、お前らの財産にしてやると。そんなもんどないするねん。今ある分でも持て余してるのにって断ったけど、聞かんねんと。とにかく今聞いて、はいわかりました、なんて受けれる話じゃないしと旦那実家へ戻った。旦那実家は、築年数が3けたというような、古民家。しかも建築当時のまま、ほとんど手を入れぬままに存在している。元は立派に建てられた家と言えど、さすがに経年し、いろいろ現在には無理がある。義姉もリフォームでもいいから使い勝手良くしたらと帰省の度に言っていた。義母は生前、暖かい家に住みたい。。と漏らしていたらしい。が、義父には、所有する山で育った木を使って、立派な家を建てる夢があって、今の家をリフォームするとか、自分が満足行かない家を建てる気は全くなく、家族になんと言われようと、そのこだわりを頑として譲らなかった。しかし、突然の不幸で一人暮らし生活になり、寂しいと口癖にしていたのが気の毒でもあり、周りからも同居するのが人の道とも言われ、それならば、ちょうどせがれが小学校へあがるまでの1年足らずの期間で、同居できる家を建てようと提案した。その時点では親戚の人と、洋風の家でもなんでも、同居するなら、若いもんのいいようなのを建てたらいいなんて、調子よく話していたのを聞いていたので、わたしも普通の家を建てていいもんだと思っていたし。家で法事から葬儀が営めないといけないという、義父のこだわりを取り入れ、1階に広い二間続きの和室があり、義父の寝室、みんなで使うLDKにトイレ・浴室、2階にわたしたちの寝室と子供部屋、家相にも配慮した間取りを旦那がハウスメーカーに相談して作ったものを見せると。義父は即、こんな家は、あかん!と却下した。まず、家の中にトイレや浴室があるなんてだめ。(昔は臭いとか、衛生面やらのことで、外に別棟であるべきものだったのだと思うけど。。)そもそも、うちの山の木を使わんで建てられんような家は絶対あかんと。一般的なハウスメーカーや工務店では、工法や保証などのため、自社の規格にそって加工した材料を使って、家を建てるようになっているので、材木を施主支給するなんて無理。一本一本品質のばらつきがある木をうまく使ってくれる技術を持っている大工さん自体少ないし、職人の技を駆使して、コツコツと長い期間かかって建てるとなると、どれほど費用がかかることだろうか。木を切り出し、運搬、乾燥させて、加工して、と木材に加工するまでの費用だって一体どれほどかかるやら。なんて話をすると、お前らの甲斐性がないだけや!となぜか怒られてしまった。家族の思いや一人暮らしの寂しさより、自分の理想がまずありき、なのだ。。そして、同居は実現せずに話は終わった。山を買うことにわたしたちが、すんなり賛成しないものだから、どんどん義父の機嫌が悪くなって、いらんってことは、この家を継ぐ気がないのか!義姉の名義で買って、全財産もそっちに継がせてやってもええんやぞ!変に薄笑いさえ浮かべて、罵倒する勢いになってきた。いい加減にしてほしいと怒りたい気持ちもあったんだけど、旦那がもう怒ってるし、せがれが目の前にいて、大人げなく言い争うのも嫌だったし、なんと言っても納得しないだろうと思ったので、とにかく帰って、また旦那と話あっておきますと言って逃げた。なぜか最後に、お前の両親にも話しておけ。誰に言っても、わしが正しい。お前らが非常識なんじゃと締めくくられた。旦那にしてみれば親で、わたしにしてみれば婚家で、ほっておけないから気にしたり、来ているだけ。せっかく一仕事終わってほっとしたところだったに、ねぎらいどころか文句ばっかり。ただ悲しいというか、情けないというか、やるせないというか。法事に来もしない義姉や、無関係なうちの親とか、そんな人まで引き合いに出して何なんだ。。その頃は、近所の子とせがれとのトラブルが日々続いて悩んでいたころで、(2009.3あたりの日記にちらほら書いてるけれど)身内にまで理不尽に辛く当たられ、気分が落ち込んで仕方なかった。でも、わたしが落ち込むと、せがれも連鎖して暗くなるし、トラブルの方もどんどんエスカレートして相当な修羅場に発展していった。そっちの対処に気をとられて、それきり、義父からも音沙汰なしだったので、わざわざこっちから首を突っ込む話でもないしと、放置状態になってしまった。
2010.01.06
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今年もぽつぽつ、まったり更新になるかもしれませんが、いや、間違いなくそうなりそう。がしかし!どうぞよろしくお見限りなく、お付き合いくださいませ。毎日宿題に追われていたけれど、やっと終わって七草がゆ食べて学校へ送り出して、ほっ。。年をまたいで、お互いの実家を反復。高速を使えば、1時間前後で行き来できる距離。事故渋滞で3時間近くかかった時もあって、うんざりしたこともずいぶん前のことのように感じる。手伝い、顔見せ、墓参り。こっちでついた餅やら野菜やら米やらをあっちへ。あっちでこしらえたおせちやらお酒やらお菓子やらをこっちへ。またあっちゃ行って初詣。こっちゃ戻れば仕事始め。正月よあれよあれよという間にさらば~例年通りの過ごし方ではあったけれど、イレギュラーもあった。義母の四十九日以来、3年ぶりの義姉一家全員との再会。義姉の常にわたしたちのテリトリーにずけずけ切り込んでくる姿勢が苦手。お義兄さんは気さくだし、姪っ子たちは可愛いんだけど。。義姉がわたしたちにわざわざ、久しぶりに会えるタイミングを図って来ている理由はわかっていたから、内心は穏やかではなかった。いまだに義母の四十九日の朝、「わたしはもうここの人間と違うから、一切関係ない」と言われたことは、胸にグッサリ刺さったまま。にもかかわらず、何かの度に、面と向かっても、わざわざ電話をかけてきても、細かいことに難癖つけてきたり、嫌味を言われたことも絶対忘れられない。別所帯の義父を義母が亡くなってすぐに同所帯として考えることが、おおげさながら、『人間として当たり前』と親戚や近所の人に言われて。ならばと気の進まない旦那を説得して同居計画も練ってみたけれど。わたしなりにあの家を良くしようと思って頑張ってみたけれど。結局まったく何も変化させられないまま、勝手に傷ついて挫折感を味わっただけだった。一般的な道理が通用しない、あの家なりのバランスがあって、そこは嫁の気持ちが受け入れられる余地がないことを思い知った。義母もたぶんいろんなことをあきらめていたんだろうなぁと思う。でも、受け入れられないなら、無理して行くことはないってことで。義母が元気だったころと同じ関わり方でいいってこと。ほどほどの距離感で、こっちはこっちの所帯、あっちはあっちの所帯。周りの人になんと言われても、思われても、道理がどうでも関係ない。今まで通りイベント事や農繁期の手伝いだけに行くので構わないってことね。善意の押し売りを勝手にしていたのかもしれない。わたしにとっての今の所帯は、旦那とせがれとの3人家族であって、それを一番大事に、無理をせず暮らしていくことだけ心掛ければいい。そう心の中で、納得してからは、随分気が楽になった。周りに対しても、変な罪悪感とか言い訳とかを持ち続けていたのを、手放してみた。だって、わたしにどうしようもないことに対してまで、責任持てないから。そうやって、またしばらく平穏な日々がつづいていたところへ、旦那がとんでもない計画を立て始めた。わたしはそれに最初は賛成できなかったけれど、何度も話し合って次第にその方がいいのかもしれないと納得できたから、それに乗ろうかと思った。でも、どうしたって、親戚とかに、良くは思ってもらえないことだから、本当は嫌だった。今でもわたしの中には、いろんな気持ちが織り交ざって複雑だけど、そんなこと語っても、誰も何とも思ってくれないこともわかってるけれど。
2010.01.05
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