躰道∞(無限) 

2005年04月03日
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 躰道は、日常に持ってきてこそ力を発揮するというもの。

 最高師範は『文武両道』を大切に考えている。学生のうちは、勉強とスポーツ。社会人になれば仕事(常に勉強ではあるが)と趣味で行う運動。

 ただし、スポーツや、趣味である運動で怪我をしたりして仕事や勉強をおろそかにしてはいけないという意味に私はとらえて話を進めることにする。

 準備体操をするのは当たり前。怪我をするからなどが、その理由。怪我をすると仕事、勉強にも悪影響をおよぼす。

 だれでも知っていることだが、そうなのだ。

 だから、どうすればよいか。私の考えではこうだ。えーと、武道、スポーツ、をしながらでも日常の生活とつながりのある事はないかを探す。だ。

 例えば、蹴りを行うというだけでも、練習中と日常ではだいぶ違うのである。泥棒を追いかけながら蹴るならば、走っている相手に自分が止まって蹴りを出しては、まんまと逃げられてしまう。そこで、どうするか。飛び蹴りが一つの手段であるが、ジャンプ力に自信がない場合は、けして効果的とはいえない。そこで、躰道の技の基本『転技』を用いる。前転からの蹴りや、側転からの足刀。側転バク宙からの首からみ。などなど、追撃する方法がある。


 こういったふうに、普段の生活を躰道に結びつけることによって、技の存在意義が自分の中にできあがってくるというもの。

 柔道での寝技の意味は何でしょう。試合で勝つため。

 躰道での突きの意味は何でしょう。大会で優勝するため。

 みんながこのように考えてしまうと勝負にだけこだわってしまう。勝ちも大事だが、ただ勝つだけではなく勝ったら勝ったで、何かを残さなくてはならない。海の魚を全部取ってしまったら次の世代がいなくなる。と同じように勝つだけに執着しすぎると、戦う相手がもういないから面白くない。したがって辞める。あいつと戦っても絶対に勝てないから面白くない。だから辞める。

 そういう考えでは何をしても面白くない。先ほど「残す」といったのは、「人の心」の中に何かを残すということだ。試合を見ればよくわかるが、心を躍らされ、手に汗を握らせてくれる試合をして、その試合後に余韻がなければならないのだ。

「ゆとり」みたいな「遊び心」のような。

「無理無駄」があってはならないと言うが、それはあくまで現時点で自分が描く理想の姿にある人のことだと私は思う。目標に到達するまでには何度も無駄なことをするべきだと思う。ただ、同じ無駄を繰り返さなければよいだけだから。

 結局、花に水をやるのも、母の日にカーネーションを贈るのも、一緒だってことだ。優しい気持ちがあるってことで。

 躰道も勉強も同じ。みんなができる事が自分はできない。恥ずかしいから、練習する。復習する。ただ、少しくじけてしまうと「やめたいなー。やだなー」になってしまう。

 なんでも同じ。

 金魚の水が臭くなったら取り替えなくちゃならない。タッカのパンツが臭ってきたら取り替えなきゃならない。ところが、パンツは取り替えなくても死なないけど、金魚の水は取り替えないと魚は死んでしまうのだ。



 金魚もナマケモノも、実は常に動いているのだから。そして、その環境も動いていなくてはならない。

 金魚の水槽の水は動いていないと酸素が生じないのと同じで、変化し続けなければならない。

 ここで躰道をもってきて〆る。『躰道とは体軸の変化によって攻防を行う武道である』





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最終更新日  2005年04月03日 23時51分03秒
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