躰道∞(無限) 

2005年06月03日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 日曜日に行われた審査会。しかし、当日都合のよくない受審者が21名いた。学校の行事である運動会や、部活の試合にあたるからだろうと思う。

 そんな中で、渡波道場からも5人の受審者がいた。

 そういった会員のために特別審査会という名目で木曜日に女川の体育館で受審させていただくことができた。

 審査官は志摩範士で、時間は七時半を数分か過ぎたころ開始された。

 終了した時間は九時ギリギリではあったが無事に終了した。

 タクミの五条訓で始まって、そのまま一番初めに呼ばれた名前もタクミであった。彼の中段の構えは背中が内側に入っていて少々小さく見える。もう少し胸を張って堂々と……と言いたいところだが、上段を構えさせると、それはもう堂々としていて文句のつけようがないのである。したがって中段を矯正するというやりかたよりも、開身の体や直身の体である上段、下段の鍛錬をしつつ鏡をみるなどして自分で高みを目指していただきたい。



 カナは腰を下げよう、下げるんだ、という気持ちがよく表れていた。ただ、今後の審査、大会では、「そういう意識」をもっていては勝つことも昇級することも難しいと思う。だったら、では、どうすればいいの?と思うかもしれない。そのとおり、思って当然。それは、「試合だから、審査だから」という考えが強すぎるからだ。腰の高さというのは、躰道の理論の中での決まりごとを行うことによって自然にちょうどいいようになる。だから、稽古の中で、自分に厳しくし、「腰を下げるのが当たり前」のようにならなければならない。あとは構えの手の位置が線上に対し不正確であった。文句ばかりいっているようだが「腰を下げる」という思いは重要で、色帯のカナに期待するのは上で話した「この次」なのである。

 サヤカの場合は目が「できている」というふうに見えた。目ができているというのはどういうことかというと、「その気」になっている。精神的に大きなものをもっているようにみえた。実技的には目立った注意点は少なかったが自分の前髪を首を振ることでなおすのはよくない。なぜよくないか、それは相手への注意よりも自分の前髪のほうに集中力がいっているからだ。だから、この前の練習で私が言ったようにピンで留めるのもいいが、わざとそのままにしておいて、目にかかろうが気にしない集中力を身につけていくのも鍛錬の一つだと思う。その辺は自分の判断でよろしく。


 なにかにつけて私たちや親がしゃしゃり出てしまうよりも、信じてやることが大切だと思う。もしも本人が悩み苦しんだときには、そっちから質問をしにくることをきたいしている。だから、私の考えでは実技の指導よりも大事だと思うのは「自分で考える」力をつけてやることだ。そのためには、「その気になる」ということが重要で、自分で思い込まなければならない。どういうふうに思い込むかといえば、簡単で、テレビにでてくるヒーロー、ヒロイン、映画の主演、のように躰道、武道の主人公になる。実際はすでに主人公ではあるのだが、その程度がどの辺なのかが大事なのではないだろうかと思う。陰でコソコソと誰かの悪口をいったり、なにかにつけて「かったるい」を表情にだしたり、友達二人でグルになって誰かをバカにしたり(そういうことをすると本人は意外と気づいている)、と、まぁ、こいうった人間には誰もついてこないし、人が自分をみようとしなければ誰も本人を必要としなくなる。
 不器用であれ、どうあれ失敗をしてもいいから、本当にカッコいいものを望んで精進していってほいしものである。『紅いの豚』などの考えも私のなかでは影響をうけているが、みなさんはいかがだろう。見た目ばかりを気にすると逆にカッコわるくなる。本当にカッコいいと言うことは……。

 馬の世界を人間が見ると、早い馬はカッコいい。になるのだ。

 躰道の世界を、躰道を知らない人が見ると何がカッコいいの?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年06月03日 15時02分48秒
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

天空の鯨5623

天空の鯨5623

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: