躰道∞(無限) 

2005年08月05日
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 私の友人に空手を習っていた者がいて、その彼に総合格闘技の指導者としての以来がきているらしい。

 私は躰道の指導者として講習会をうけて、というふうに勉強中である。術技や理論を勉強し、それの100%を誰かに伝えたからと言って、その人間が躰道を行っている人間としてどういった環境でも対応でき、どんな精神状態にもっていかれても耐えるだけのモノになるかは別のことである。

 一行目にいった彼は商売をしていて、その関係で彼から仕事を依頼され今日の午前中に移動中の車の中で話をすることができた。
 その中で彼の口からこういうことがでてきた。「おまえは何かのモノを教える先生のようだ。学校の先生のようだ」
 こう言った本人はどういう意味で言ったのかは深く聞かなかったが、そう言われたのは私がこう言ったからだ。「躰道を行って、何十年も続けて、だからどうした。その習った、もしくは体得したモノが社会(仕事、学校)生活で良い影響が現れなければ意味がない。(表れる、という言い方よりも行動をおこしている『現』を用いた)」さらに続けて、「社会にでてから、あの上司は矛盾している。むかつく。というようなことは誰にでもある。お客に対してでさえ思う。それを武道の躰道が非常にフェアである。平等であるのに、この会社、もしくは学校はおかしい。というふうになってはこまる。逆にそういう逆境を跳ね返すパワーを身につけておいて社会にでれば、会社への利益=お客様へとつながると思う。なぜ、そうつながるかと言えばこういうことで、むかつくこと、納得できないこととは個人のことで、その感情が邪魔をして退社、そこまで行かずともシカトをしたり、すねてみたり、というふうになるのではないかと思う」
 今の「」の半分は今、打ちながら足した言葉であるが、こういうことである。ただ、こうも言った。
「ただし、自分のことであれば我慢もできるが、後輩が判定に納得していない、その後輩に私も納得させられない。そういうことがあればそのことについては納得できる意見を聞きにいきたい」

 はっきりいって矛盾である。だけど、私の勝手を言えば周囲の矛盾、わがままを認めるのだから、私の矛盾も認めてくれよ。ということである。



 気持ちを出すときは好きなときで、それは行動としてでている。伝わらない気持ちは噴火をすることのない溶岩と同じであり、どんなにすごい熱をもっていてもなんの影響もない。強(し)いて言えば温泉を沸かす力になるのだろうか。でも、その中の一リットルだけではどれほどの力を示すのだろうか。
 感情を表すには、まず初めに周囲のことを考え、好きなもののことを考え、行動に移し、それが現れ、ようやく最後に「人に伝わる感情」になるのではないかと思う。

 せっかくの愛を伝えなければ何もならぬ。愛が憎しみを産むこともある。それでも温泉好きな人間のようにそういうものに癒される人間もいる。





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最終更新日  2005年08月05日 18時24分59秒
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