躰道∞(無限) 

2005年12月18日
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 人の力というのは、りんごを山ほど入れた袋の底がぬけて道路に撒き散らしたときに手伝ってくれる人間の行動だけではなく、人の想いを知ったときには今言ったような手助けよりも力になってくれるときがある。

 人は発展途上中にその段階を認めてほしくてしかたがない。私もそうだ。ただ、自分はここまでやった。だから褒めてほしい。その気持ちもわかる。でもそれは行動のことで、本来こちらが求めているものではない場合が多い。それはこちら側の願望が本当に浸透しているのかどうか、という疑問が残っている場合だ。嫉妬心や言動の良し悪しへのこだわりというものが邪魔をして物事の本質を捉えることができないで体と見た目の技術が成長してしまえばなおのこと、人の言った真意をモノにしていくのは困難を極める。

 本質というのは例えば大根。畑で見るのは食料。アスファルトの隙間でみるのは娯楽。決めつけてしまえばこうだが、マスコミを通して得る情報を自分が持った知識を使って理解しようとすればこのように考える。この考えは人間の目から見た大根への本質の予想でしかない気がする。大根の楽しみとはなんだろう。大雑把にアクロバッティックにいうと「おしん」の人生に思える。大根が一人で歩き出せばそれだけでウルトラCだ。
 本質の大事なことは変わらないということだ。どれだけの進化をしたとしても、成長を遂げたとしても『本質』というのはそのままだ。本質というのは予想で考えるものではなく法則を決める上での原点だと私は思う。
 映画『羊たちの沈黙』でハンニバル・レクター博士がクラリス捜査官に言った「ものの本質を見抜くことが大事」というのを私は感情や欲望を持つ以前に存在していることだと考えた。
 欲や感情は元素を否定してまで押し通せるものではない。元素もなにもかもを飲み込んで宇宙を見下ろす手段はただ一つ創造だ。

 音より早いのは光。では光よりも遅いものは何か?太陽が山の陰や太平洋の向こうから現れたその瞬間に自分の額は明るく、そして一瞬遅れて眩しさを感じ目を背ける。どんなに頑張っても光線が向かってくる瞬間を目で捉えることは不可能だ。それほど光は速いが、光が存在することは条件というものもある反射だ。そういった条件がある。しかも留めることもできない。全部発散されている。創造というのは条件を一切必要としない。脳にイメージが飛んできた瞬間に音も光さえも侵入することは許されない。様々なものごとがスライドしあいひと時も一定ではない。しかし、行動を起こし形にしてしまうことによって芸術にもなりうるのが創造。そこには光の反射なくしてはなしえないことかもしれない。それでもだ。もっと先に創造があるから光は生物を生み出し生物の思考によって光は自身のスピードを超えられる。

 ものごとの本質を知る。私は本質には段階があるように思う。その段階的本質は積み上げていき、踏みしめて知っていくことは行動として大事だが。もっとだいじなのは常に完成したものを求める気持ちが大事だ。根本的な本質。根本も本質も同じように捉えがちだがそうではない。根本は概容で本質は精神。そういうふうに私は考える。
 人間の本質を変えるのは難しい。不可能かもしれない。DNAを変えるに等しいことかもしれない。

 ただ、問題なのはそこで目を背けないことだ。これまで自分が進んできた道と違うからと言って本質に何かを埋め立てて自分の居心地だけをよくしようとしては絶対にならない。

 自分の納得できる法形というのは、それを求めているだけで、求め続けるかぎり一生創造で衰えていても気持ちが真っ直ぐであればそれは進化である。私はあのターザンの一行に創造進化の一品をみた。





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最終更新日  2005年12月18日 17時23分44秒
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