躰道∞(無限) 

2006年03月05日
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 今大会で感じられたことを言うと、麻雀部屋をあけたときの煙たいのと同じ不満が多くなってしまう。けれども正直に言うことにする。
 まず。中階以上の選手に頭脳の奥行きが感じられない。もしくは気の充実が間合いとよく絡み合うことなく技だけをだしている。渡波うんぬんというより、これはその他の選手にも同じ事を強く思う。
「当てる」とひとことで言っても先の先を読み、これ以上ないタイミングで間合いを制し技をくりだすのと、相手が逃げるよりもとにかく速く当てようと意識するのとでは大きく違うと思った。小学、中学の諸君にこのような説明をしても理解しがたいことだと思うが、躰道を武道を長く続けていくにはこのような内面の躍動を楽しむ感覚が必要となってくると思うのだ。肉体面で壁を感じたり限界を感ずることはごく簡単に体験できる。そして挫折し、あきらめることも一瞬でできてしまう。ところが、人として内面の要素を高めていくことを重点において、人間力を高めることをするにつれ底の見えない充実が壁にぶちあたればあたるほど湧き出てくることだと私は思う。

 初階の動きを審判としてみると、海開きをしたばかりの浅瀬に脛までをいれたくらいの感覚で判定を始める。というのは、ある程度年数を重ねて鍛錬してきたものは緊張にも慣れてある程度『こなせる』ようになってくる。ところが、初階の心持は慣れのない中で、進路を見失わないでものごとをできるかどうかが大きく勝敗を分ける。審判かけだしの私でも審判は審判で、人の人生に関わっているに違いない。海開きといったのは、その浅瀬に足を踏み入れたようにその競技者の中に入っていく私は、その沖はどうなるのか、つまりこの先はどうなるのだろうかということが気がかりになってならない。それは、判定のあと、大会の後、予選の後だったりの話になってしまうことなのではあるが、一番の楽しみになる階級である。宮城のこの連中はとくにそうだろうと思う。初階女子の一人に大きな変化を感じたことがあって私自身ヒントにもなり、手本にもなった。先が細く、ひょろっとしているのに鋭い芯がはいったな、と思えた。

 中階は、『勢い』と『無難』の戦いになる。無難に戦い、その選手が勝てば「あー」というリアクション。勢いが有効技を放てば「おー」となる。私の目で無難と思うことがあっても本人は一生懸命なのだろう。しかし、それを判定するのは我々だ。周囲が覇気を感じなければそれまでだ。つまり、選手は初心に帰る気持ちを思い出す年代でもあると思うのだ。

 上階になると一般を意識するもの、自分はまだ中学一年生だからと体格差に脅える選手など一様ではない。そんな思い込みは個人の自由であって、異性を気にする時期に自分の好きな子を意地をはって守れるのかおまえは!!と言いたい。思春期の不安定さの中でこそみいだせることがあるし、本当の挫折や憎しみを持つこともできる。問題は時間が流れても、なお、まだそうなのかどうか、だと私は思う。

 個人的に載せてほしい写真があれば、メールをください。返信しアドレスを送ります。そうしたら画像を添付してください。コメントも受け付けます。渡波だけでなく、どこの協会のかたでもいいです。大会の写真がないのですー。





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最終更新日  2006年03月05日 22時22分49秒
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とうとう出ちゃったね  
ゆう さん

http://himitsu.ath.cx/5
(2006年03月15日 08時15分30秒)

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