躰道∞(無限) 

2006年03月25日
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 本院からの連絡でS範士に連絡をし、福島県にあるスポーツセンターの武道場で審査をするべくむかったのは本日の朝八時半。私が範士の自宅に着くなり範士の姿がみえて運足を止めることなくそのまま福島浜街道へ方向を狙う。そしてエンジンは熱した。

 途中、二度の休憩を挟む。ゆったりとしたペースで進んだ浜街道だったこともあり着いた時間もおおらかさがある時間だった。福祉大の幹部連中が駐車場で待機していた。学生の表情から見て取れるものは音楽のようなBGMだ。ようは、やる気がオーラの形でみなぎっていてこちらがリズムにのせられる。福祉主将の表情には特にゆとりがある。と、私には思えた。

 昼食が先にあってその後に審査を行うといった形になった。昼食は静かなものであったがその静かさは緊張の炎が灯され始めたもののように思えた。その経験を私も踏み、気持ちもわかる。ただし、そこでのまれてはならない。それを裏づける証拠に範士はひょうきんさを表にだしていて、すでに審査をはじめていたように私には思えた。おそらく、競技を行った彼氏、彼女の動きを照らし合わせるために、なんらかの採点がなされていたのだろうと思った。あくまで個人的な見解。しかし、実際には審査を終えた後に、昼食では「あーだったのに……、こうだったのに……」といったふうに後々印象を裏付けたり、いい意味で裏切られたりしたことではないだろうかと思った。

 審査の後、範士からの指導があった。私にとっては何度も聞いてる同じことであるが、白帯を卒業したばかりの人間も集う場での表現方法には、だれにも彼にも同じではない強弱も感じられ自分にとって共感する部分が内容と等しいほど話し方にもあった。

 審査も終了。指導時間も時計の針はおおらかさはあったがほどよく終了し、福祉大主将の締めで区切りをつけた。

 我々は、といっても範士と私の二人。帰りの車は国道6号を走り出した。
 私が就職を県外に希望し山形、新潟、と現場移動をしていき最終的に福島浜通り地方で退職をすることになった。その経験、というと大げさになるがそのときのちょっとした道路を記憶した知識と食べ歩いた食堂の知識が範士を夕食に誘った。最終的には誘った私が範士からごちそうになったかたちにはなったものの、自信をもってすすめることのできる食道でラーメンを食べていただくことができた。



 躰道。それは、心でするもの。誰かが鬼をしてくれれば、複数も鬼は存在しなくてもよい。ただし、鬼の存在が薄くなれば誰かがせざるをえない。そもそも、甘く楽しみたい、そういう気持ちを抑える己に鬼を飼えるようになってはじめてきづくことでもあるし、そうなってこそ鬼の影には暖かい日差しがあるというもの。

 本来の自分は、こうなのだ。と言い訳をしてもなにもはじめられない。このままでは「不景気だから」などといった言葉に迷わされ、頑張っても仕方のない世の中と勘違いをされたくない。努力とは宿った新しい生命を産み、そして育てること。それを漢(おとこ)は永遠に追求していく。

 男女の差別は、母の偉大なる存在にあるし、特に男はマザコンである。そのことを誰も否定する権利はないけれども、それを制御し武道を通じて彼女らを守る側になる必要があると私は思う。

 波の打ち寄せる力というのは一つの産出で、同時に受精で感動でもある。感動に共感が加われば世界に一滴の統一がもたらされると思う。その統一とは、一人の存在にほかならないし、一つの団体にほかならない。一つの星にほかならなく、一つの宇宙にもほかならない。すると、ほったんは一人の人の思想にほかならない。それが性を、差別を超えた存在なのである。

 創造というのはその後に口外され進歩がある。

 風も温度の変化もなければ木の実は地上に降りえないし、後のことまでに発展しない。

 力のない男性にも与えられた創造、進化を悪く言えば利用しない手はない。それでも母親の宇宙には打ち上げられた花火の一滴でしかありえないのであるから。





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最終更新日  2006年03月26日 00時03分36秒
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