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連休なんですね・・。駅のホームも帰ってくる人、出迎える人で一杯。国道も・・何所の駐車場も車がひしめいている。やはり、日本は人で一杯!?日本人は、バケツの中のカニに似ているって言ってた人がいたような・・。カニ・・英語ではCancer、ドイツ語ではKrebs。どちらも所謂ガンを指しているいろんな説があるけど、形が似ているとかカニは中から食い破るっていう事からと言うのもある。中から食べていって、外からカニ見えた時にはもう中は空洞。カニを何匹もバケツの中に入れておくと、中の一匹が他のカニの上に乗って這い上がろうとする。そして、やっとバケツの縁に足が掛かってもう少しでバケツから出られる・・・という瞬間、他のカニがそのカニを引きずり下ろす。こうして延々と果てしない戦いをしている。他を踏み台にして登り、引き摺り下ろされて。そしていつもブツブツと泡を吹いている。芥川竜之介の蜘蛛の糸にもそういう人間の浅はかさが出てくるけど・・。本来なら先ず一人を皆で押し上げて、次に一人づつ引き上げてもらうのが合理的なはずなのに・・解っているはずなのに・・出来ないでいる。日本人は押し着せを着て皆同じでないと、皆同じ所に居ないと落ち着かない。何所に行っても団体で動き、団体で騒ぐ。誰か一人が上を行くのに嫉妬する。全体を一度に上げる事は難しくても、徐々に、一人ずつでも上に持っていく。こういう気持ちが無いと、結局全部がダメになる。もし、周りに這い上がろうとして、バケツの縁(一歩先)に足が掛かってるカニ(人)がいたら・・押し上げてやらなくては・・。発明発見をしようとしている人、社会に貢献しようとしている人・・何かの形で貢献している人を見かけたら、少なくとも引き摺り下ろすような事だけはして欲しくない・・と思う。本来日本人は・・仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌を弁えている筈の民族なんだから。
2007.04.30
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山の緑も『新緑』を通り越し、木々それぞれの色がやっとで出したこの頃。暑い・・という感じさえする。草を焼いている光景とかを目にすると、『草むしり』という言葉が懐かしい。杉の木を植えるのは必要なのかも知れないけど、山を見る度に思うことは、昔の山とはかなり違ってるって事。スギ花粉・・というのも、『外来』の杉を多く植林したため・・なんていう話も聞こえてくる。それはともかく山を眺めると、昔のような『山』は無い。必要だから、金になるか・・の杉林が目立つ。確かに、物理的に役に立つかも知れないけど、景観とか心の癒しは少なくなった。森林浴とかいう言葉もあるけども、いろんな木、いろんな草があって初めて自然だと思うし山を彩ったり生き物を育ててるのは他でもない、こういう名も無いような木や草だと思う。杉林の所だけなんの彩りも無く、散策すれば目を楽しませてくれるのは、やはり色んな木の葉や花や実だと思う。それに集まってくる鳥や、昆虫も生への営みを感じさせてくれる。言い換えれば、どの木も草も・・全て無駄なもの、無意味なものは無いって事だし、もう一歩踏込んで考えたら、人間だっていろんな人が居るからこそ世の中成り立ってるし、面白いんだと思う。何か意味があって生を受け生きているんだから、キャリアがどうとかエリートがどうとか言う前に、自分は何の意義有りや・・を考える。『君子は人の美を成して、人の悪を成さず』とは孔子の言葉。他を認め、良い所は褒め称え心をともにし、良くない時は自分の事のように思い、助言もし協力を惜しまない。これって・・共に生きるって言う事だと思う。自分も生かされている、他も生かされている。自然から教えられた一日。
2007.04.29
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お客さんの中には、とても気の良い人がいる。今日も・・お金の話になって、『貸しても、忘れる事にしてるんです』っていう答えが返ってきた。『今までにどれだけ貸したか判らないけど、返されないのかも知れないし。それに、返さない人の事は忘れた』・・だとか。面倒見の良い人で、友達も多い。で、私は言った事があった。友達・・今も昔も代わってない?・・って。やはり出入りもあったらしい。『貸せばお金を失い、友も失う。借りれば倹約がばからしくなる』って言葉の通り。私は、やはり貸したのは忘れる事にしている(めったに貸さないが)。お金は失うかもしれないけどその方が楽だし、世間を狭くするのは返さない人の方だから。『アダは水に流せ、恩は石に刻め』・・で、借りた時には心から感謝の気持ちを添えて返す事にしているし、今でも忘れる事はない。大抵の人は・・一度返せば『これで貸し借りなし』って思ってるかも知れないけど、そうではないと思う。どんな形でも救われたとすると、その時助けられたからこそ今の自分があるんだし、だからこそ返せる自分が在る。返せたっていう達成感。感謝の気持ちを持てる自分が在るのも助けられたからこそだと思う。与えられたら、今度は自分が与える・・。そういう連鎖、循環があれば、決して恨みも妬みも起きてこない。盗られた・・じゃ、今度は奪おう・・では限りない荒野を進むのと同じだと思う。歩いた跡には草一本も生えてこないのではないのかな。いつまでも根に持って、自分自身身動きが取れなくなってしまう前に。つまらない事に引っかかってしまって動けない心を開放出来るのは自分だけ。一歩離れて見直す余裕・・作らないと。
2007.04.28
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朝からカラスが鳴く。やっと夜が明けたというのにギャーギャーうるさい。そう言えば、もう直ぐウルサイ時期かも『五月蝿い』・・なんて。もともとカラスも人間の言葉を理解し、話し、忠実な友であったらしい。色も真っ白で・・・気高く、気品に満ちていたとか。ある時、猟師が遠くまで狩りに出かけた。家に残って、主人の帰りを待つ妻と猟師の間の連絡を、カラスは毎日欠かさず忠実にこなしていたが・・・。ある日、毎日同じ事ばかりするのにも飽きたカラスは嘘をついた。『貴方の奥方は最近浮気をしているらしい・・』・・と。これは一大事と、猟を止め帰ることにした。家で待っていた妻は、遠くから聞こえてくる愛する夫の足音に心弾ませて迎えに出た。ところが・・深い霧の中。その人影を見た猟師は、『あれが間男か・・さては私の足音を聞いて逃げ帰るか』と思い、その人影めがけて矢を放った。矢は見事心臓を貫き・・息絶えた。駆け寄ってみれば・・それは片時も忘れる事がなかった愛する妻の変わり果てた姿。猟師は、例え一瞬でもカラスを信じて妻を疑った自分の罪を嘆き悲しみ・・悔いた。その悲しみを聞き届けた神は、2度と嘘をつけぬようにカラスから言葉を奪い、代りに醜い鳴声を与えた。きれいな白い衣を剥ぎ取って、その罪の深さを書き加えて黒くした。・・なんて、話といえば話し。白いカラスも居ますからね。たった一言の罪。一瞬でも疑う心の弱さ。ただ、嘘も方便という言葉がある。仏教では目的に近づける為の手段も方便というけど、人を幸せにするための嘘に限られる。真実より合理的に、現実に人を幸せにできる事なら・・。
2007.04.27
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此処のフリーページのCに、エリノア・ルーズベルトの言葉を載せさせてもらってます。『あなたの心が正しいと感じることを行いなさい。行なえば非難されるでしょうが、行なわなければ、やはり非難されるのですから』・・確かに、正論を唱えても耳に栓をして横を向いている人、聞いていても、少数意見・・ということで片付けてしまう人も居ると思う。第一、『正論』っていったいどんなものか私も知りません。その時々の世の中に順ずる意見が正論なのか、自然に耳を傾け目を向けて、宇宙を知ろうとする、可能性を求めるのが正論なのか。それとも、もっと普遍的なものを求め、考えるのが正論なのか。受け入れられるのが正論なら、それは時代によって異なる事になってしまう。かってガリレオが受け入れられなかったように、ソクラテスが毒ニンジンを飲まされる事になったように、時代に合わなければ正論ではないのなら、今の世の中の常識で考えたら・・・『愛』ということも、排他主義の『自己愛』そのものになってしまうと思う。私は無条件的な、盲目的な宗教崇拝者でもないし、かと言って無心論者でもないし・・。言えることは、いつの世にも変わらないもの・・変わってはならないモノが存在するのではないか・・って事ただ一つ。だから・・私は信じるままに、生かされるままに。『母も父も、そのほか親族がしてくれるよりも、さらに優れたことを、正しく向けられた心がしてくれる』って云う釈迦の言葉・・・私にはまだ信じきれるところまで行ってはいないけど・・信じたい。行き着くところがどんな所かは知らない。けど・・そこは選んでいける所ではない事だけは確か。きょうもガンバラネバ。正しいと信じた事へ・・・
2007.04.26
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物事、どんな簡単な事でも順番を誤れば巧くいかないし、後悔もする。順番通りにいけば、どんな結果が出たとしても、それが最良の答えだと思う。結果というものは一つの変化で全てが変わってしまう。仕事でも、人生でも、順序というものがある。一つ狂うと、次々と変化して予想も出来ないような結果になってしまう事もある。昔・・商家の主人が、孫が生まれたという事で、寺の坊さんに何かめでたい言葉を一つ書いてくれと頼みに行った。坊さんは暫く考えて筆を取った。『親が死に、子供が死んで孫が死ぬ』と書いてくれた。主人は顔を真っ赤にして怒った。『親も子供も孫も死んで、何がめでたいものか』・・と。大抵の人は怒りますよ、私もこれを読んだ時、え??何がめでたいの・・って。坊さん曰く『もしも、子供とか孫が先に死んだらどうなさる』同じ死ぬのでも、順番ならば当たり前、諦めもつくけど、最近は、この順番すら狂ってきている。災害はともかくも、人災だったり、交通事故、病気、事件・・いろんな事でこの順番が逆さになったり同時になったりしている。私もいろんな場面を実際に見てるから、テレビなんかでそういうのが報道される度に・・残された人の気持ちが解るだけに辛い。『親が死に、子供が死んで孫が死ぬ』・・こう考えると、つくづくめでたいと思うし、こうあってほしいと思う。一つの行動、一つの考え、それがどんな結果をもたらすかを考えてから・・って思う。何事も、順番通り・・を無視するから悲劇が始まる・・のでは。逆もまた真なり・・は時と場合ですから、誰かが悲しむような結果にならない様、自分の行動から考えてイキたいです。
2007.04.25
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『今日は!!』って言う声が玄関から飛び込んできた。『○○ですが、ガスのメーターを交換しますので・・』と言う事でした。そういえば長い事交換してないし、ホースもかなりくたびれている。自分で交換しても良いのだが(資格は持ってる)・・不精なんですよ、私は。交換し終わって、『最近どうですか』って聞かれて????よくよく見れば、以前スロットで時々目押しをしてあげてた人だった。最近・・というか、此処数年行ってない。目押し・・神業のように言う人もいるけど、あんなものやる気があれば誰だって。人って、自分の出来ない事を出来る人、知らない事を知ってる人をみて、『あの人は・・』って、良くも悪くも言う。自分でやろうともせず、知ろうともせず、悪く言ったり否定する事が多い。私も、知らない事とか世界は、無いのと同じ・・と思っていた時期がある。確かに、英語でも知らない単語は聞き取りにくい・・か、聞こえない。行った事も無い、未だ発見されてない奥地・・秘境は無いのと似ている。けど、だから・・『無い』のではない。自分が知らなくても、人は英語で話すし、ジャングルは地球を救ってる。デパートなんかで買い物をした後で、『あれ・・これ何所に売ってた?』って言う質問をよく聞くけど、それも自分が見なかっただけ、気が付かなかっただけ。知らない世界とかモノは無いのではなくて、目を向けた者にだけ見えるんだから、自分の向いている方向に在る世界だけが全てのように見えてしまう。言い替えれば、嫌な世界、暗い世界に目を向けてたら・・どんどん落ち込んでしまう。挙句、素晴らしい幸せな環境に住んでる人を妬み、恨み、自分の世界に引き込もうとする。暗い世界も素晴らしい世界も、自分の心が作るもの。自分の中に在って、周りのそこ彼処に在るものではない。周りに在るのは『全て』です。『人は誰でもそう見られたいと思っている人物像になっていくものだ』とは、デニス・ウェイトリの言葉です。理想を持っていさえすれば、少しづつでも、確実にそうなっていくと思います。
2007.04.24
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最近の子は弱い。何かと言うと解らない、見たくない、出来ない・・っていう答えが返ってくる。解らないんではなくて、『解ろうとしない』。出来ないのではなくて『やろうとしない』。見たくないのではなくて『見ようとしない』。多分、何でもかんでも『ダイジェスト版』になってしまってるから、ちょっと難しいモノとか事を見せると理解できない。母親が幼児に細かく砕いたものを与える様に、いつまでもこのダイジェスト料理』で育てられた子は、ちょっと堅いもの、大きいものを与えられても食べる術を知らない。食べたとしても、柔らかな、細かなモノしか受け付けない消化器官は直ぐに消化不良を起こしてしまう。私の子供の頃のおやつ(こんな物は無かったけど)は身欠きにしんとか、自分で考えて作った物しかなかった。七輪で火をおこし、自分で焼いたりして食べたし、畑に行って採っても来た。お陰で、散々医者に走った事もあったらしいけど、そのうちに考えるようにもなったし、身体も頑丈になった。これは食べ物の話だけど、物事に対しても同じ事が言えると思う。いつまでも人の作った(考えた)物ばかり受け入れてると、些細な事にも対処出来ない。難しい物事に出くわすと、逃げてしまうか壊れてしまう。若い人ばかりを責めるのではないですよ、年寄りも同じです。自分から積極的に難しい問題を捉えて考えてみるのも良いのでは?自分でバリバリ骨まで砕かなければ、消化出来なければ弱くなるばかり。言いたい事を言うのではなくて、言わなければならない事を言い、したい事をするのではなくて、しなければならない事をする。見たいものを見るのではなくて、見なければならないものを見てほしい。強くなれば、どれがそうなのかも判断できるし、行動も出来ると思う。消化の良い物ばかりでは・・人間退化してしまう。
2007.04.23
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裏山でうぐいすの声がする。いつもはワラビとかゼンマイなんかを採りに行って、山で聴く声だけど、今日は家の縁側で暫く聴き入っていた。庭に山鳥が飛んできて、一生懸命実を啄ばんでいた。極普通の光景だけど、そんなもの何が楽しいんですか・・と言う人がいる。車を走らせたり、映画を見たり、食事をしたり・・それらも楽しい事かも知れない。私もドライブも好きだしおしゃべりも好きだ。ただ・・楽しい事って何だろうって思った時、嫌な事の反対??それも個人の価値観の問題ではないかと思う。『楽しきと思うが楽しきの基なり』って松平定信という人が言うように、それは心の問題だと思うし、どんな事の中にもこの楽しいと思う事を発見できる人は幸せだと思う。平凡でも、嫌な事でも、楽しみ方って発見出来ると思う。毎日、殺人、事故、飢餓で数え切れない人が亡くなってる。家でも会社でも・・挙句の果てに学校でもイジメとか何らかの衝突がある。最近は慢性になってそれらを楽しんでるような傾向さえある。楽しみを通り越して快楽を求めてしまってる。刺激を求めるあまりそうなってしまったのだろうけど、反対の立場の人は・・楽しいどころか苦痛でしかないっていう事に、本当のところ気が付いていない。社会現象・・その言葉で片付ける前に、皆が、もっと、何故って思ってほしい。普通、平凡、それが感じられないような人間にだけは、私はなりたくない。
2007.04.22
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庭木を手入れしている光景をよく見かける。以前は隣にもそういう事が好きで、盆栽とかもかなり持ってた人が居た。その人は、種の有る木なら自分で蒔いて育てるくらいの人で、よほどの事がない限り、買ってきた苗・・は、無かった。その盆栽とかを見ると、以前こんな話があったのを思い出す。私は生け花をやってるけど、過去も未来も断ち切って『今を生きる』。それが生け花。だから、生ける時には花が向きたがってる方に向けて、一番美しく見えるように・・花と話しながら生けます。盆栽は・・過去も未来もあるけども、枝を摘め、捻じ曲げ、時には折ったりして形を整え、枠にはめる。いくら一生懸命大きくなろうとしても、摘まれてしまって時には枯れてしまう。運が良くても製作者の思いのままに育てられてしまう。生け花も盆栽も、ある意味人間の自己表現の道具にされ、自分の意志とはまったくかけ離れた形にされてしまう。私の親はよく言ったものです。豪華でも、あの花は『今』一瞬の命だし、形も大きさも申し分無いあの盆栽も、言わば奇形なんだ。見るものが満足できる様に造られたものだから、どちらも自然の草花、自然の大木には到底及ばないんだぞ。伸び伸びと大きく育った大木だからこそ木陰も出来るし、鳥も住める。毎年咲く自然の花には・・虫も来るし、実も付けるだろ。ただ・・野放図に育ってしまうと役に立つどころか邪魔になる。草刈も枝打ちもしてやらないと自滅してしまうから、それだけしてやればならないけど、あとはそのままが一番なんだ。これは、人を生け花と盆栽に例えて私の父が話してくれた事です。生け花も盆栽も、人にしか出来ない・・自然を身の回りに取り込む最善の知恵、文化だと私は思う。けど・・錯覚してはならないのは、それが自然では無いという事。本物の人、本物の自然は、人知の及ばないところに在るし、決して犯してはならない聖域だと思う。エンド・オブ・ザ・ワールドとか火の鳥なんかでも人の愚かさ・・語ってます。もっと『賢く』生きていける筈なんだから・・・。
2007.04.21
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ツバメが来てますね。川面に低く飛んでたから、雨って思ったのに降らなかった。去年、借りてたビルの玄関にツバメが巣を作った。私がワイヤーで飾りを作ったら、それを利用して造ったものです。このビル始まって以来初めての出来事だと言ってたけど・・。今年は引っ越してしまったから判らない。来ているのだろうか。雛鳥が落ちないように受けを作ったのに・・2羽落ちた。結局巣立ったのは4羽。2羽は痩せこけて死んでしまった。今はその墓の場所も私しか知らない。野生の雛鳥が巣から落ちてても手を貸してはダメだと本には書いてある。食物連鎖・・自然淘汰・・。人が手を付けてはいけない領分だとか。確かに結果はそうなったけど、落ちてる雛の傍から離れない親鳥を見ていると・・自然と手が出てしまう。人間ほど勝手な生き物はいない。植物でも動物でも捕るだけ捕っておいて、絶滅って言葉を聞くと保護・・ですよ。自分達で散々荒らしておいて、食物連鎖を謳って・・今度は保護。それを食料にしている動物から取り上げてしまう。これは保護しなくては・・って事でその餌を取り上げてしまうんですよ。言い換えれば、今テーブルで食べようとしていた料理を取り上げてしまうんです。食べれなくて死んだら・・その動物は保護の対象外だから・・かな。自然環境、食物連鎖で絶滅しても・・それが自然ではないの・・って言いたい。どんなに頑張ったって全てが保護できる訳ではないし、それが自然の摂理なら、人が介入するべき問題じゃないかも。自己満足する前に、自然を荒らさないようにする事、保つ事、回復する事が大事ではないのかな。森林も伐採して、入り江も干拓して、河川にはダムを作り、空気は汚し放題。で・・失いそうだから保護??もし、動物達が口を利けたら、人間並みにモノを考え、自然保護を始めたら・・。真っ先に人間を排除すると思う。自分達の足元を考えれば・・小手先だで解決できないところまで来ているのに気が付く筈なのに。目先だけの事を問題にしている次元ではない筈なのに・・。人権だけはシッカリ主張している。動物、植物・・全ての生き物もこの地球で生きていく権利があるのに。
2007.04.20
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最近の子供は親の言う事を聞かない・・と、人が集まると話題になる。じゃ、自分達はちゃんと親の言う事を聞いて育ったのか・・って言いたいが、それこそ修羅場を見る事になるのでとても言えない。・・私達が子供の頃は、言うなれば『ほったらかし』状態だった。学校から帰ると、一分とは家に居ない。さっさと遊びに行ってしまったが、どこの家も仕事の手を止めてまで構ってはくれなかった。ある日、私はよそ様の庭の植木鉢を割ってしまった事がある。そっとその場を離れて、気付かれないように家に帰った。ところが・・親はちゃんと解ってるんですね『何してきた!』雷一発。当然晩御飯ももらえない。・・しぶしぶ理由を話すと、『お前が悪い、今から行って謝ってきなさい』ところが、謝りに行って帰ってくると、ニコニコした顔で『腹へったか・・』ですよ。今のように、あれは危ないからダメ、これもダメっていって全て親がしてしまう、これでは、子供はなんにも勉強できない。子供を守っているつもりでも、結局子供のいろんな『芽』を摘んでしまう。こういう事をしたら人はどんな思いをするかとか、叩いたり切ったりしたら痛いとか、自分のやった事は自分で答えを出さなければならないとか・・・。いろんな勉強の場を奪ってしまうから、親の心なんて解らない。まして他人の思い、痛み・・解る筈がない。これはインドの話しですが、孤児たちの成長が遅いのは、母親に見守ってもらう『目』が無かったからだ・・って言う結論をだしたところさえあるくらい、見守るっていう事は大事です。・・一様に解釈してもらっては困りますが、そういう結果もあるって言う事。施無畏の言葉でもあるように、温かく優しく子供を見つめてやる目・・心が無いから、子供の芽が伸びない。施無畏、施無畏者とは観世音菩薩の別名です。口を出さず、失敗しても温かく見守ってやる事が大事・・・かも。会社でもそうだと思います。一度やって見せて、それからやらせて、そして誉める。人の話をよく聞き、考えられる人間を育てたかったら・・これしかないのでは。子供って・・ホントは素直なんです・・芽さえ摘まなければ。
2007.04.19
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アメリカの銃乱射事件・・長崎の市長死亡・・悲しいですよ。なんでこんな事が・・って思う。誰かの言葉にありました、地上の一番の病原菌は人類である・・・と。私も・・一瞬、理性を失いました。これが人間のする事・・・って。私も・・思いつめた時、そういう考えを持った事はあります。無いという答えを出したら・・大抵、全部とは言い切れませんが・・ウソです。人間・・誰しも弱い。だから、少しでも上に登ろうと必死にもがく。そんな時目の前に『楽』というものが見え隠れすると、ついつい求めてしまう。自分の精神を安定させるために・・見せ掛けの『楽』のために、人を傷つけ、人のものを奪う。人の尊厳を犯してしまう。生きていくって・・厳しいものだし、辛い事もある。けど、だからといって他人にはけ口を求めたって、結局自己破滅っていう結果で終わる。これは古今東西何所に行っても、どんな時にも変わる事の無い不変の法則。求めるものは、自分の中にあるっていう事に気が付かなければ・・地獄です。千葉の高校教師が猥褻・・って言う事件もありました。古い言葉を持ち出せば・・今が『末法の世界』??釈迦は見越してたのかも知れない。少し落ち着いてきた。 他人が悪いからといって腹を立てる。これって・・アドレナリンが出るんですよね。じゃ・・他人が悪いのに自分も身体壊すっていう事になる。そこに至った社会を構成する我々にも少なからず責任があるんだから、悪い事は悪い。でも、腹を立てないで・・。追求するより反省を促し、大きく包み込む事が大事かな。それといつも思うことだけど、事件を起こしたのは個人なのに・・その周りの人をも同じように、同罪のように見る人、言う人がいる。大きな誤りだと思う。これは地球規模の・・・問題なんだから。今日は・・さすがに感情に流された。・・・反省・・・私の作文(?)おかしい?
2007.04.18
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なんか夜中に音がする・・キーィ・・キィィ・・キィー・・キーィ・・ここ数日夜中になると聞こえてくる。ついに発見した。その音の出所を。何の事は無い・・こいのぼりの一番上の矢車が回ってる音だった。初めは知らなかったので、夜の2時ごろ聞こえた時には、え・・!?と思いながら外を見回したが、外灯の下には何にも見えない。なんだろう・・と思いながらも2時・・丑三つ時。軒下三寸下がる頃・・草木も眠る・・っていうあの時刻。やっぱりゾッとしますよ。霊が頻繁に徘徊するのもこの時刻・・だとか。私の・・もう逝ってしまった母親が、生前に姉の死を感じたのもこの時刻。なんか枕元に気配みたいなものを感じるので起きたら、姉が座っていた。母『なに・・姉ちゃんこんな夜中に』って話し掛けたら、姉『一回だけ顔を見たかったから寄せてもらったけど、もう・・帰る』って言って、すっと部屋から出て行ってしまった。電気を点けて時計を見たら夜の2時半。母は父を起こして今あった事を話してから障子をを開けたら・・戸も雨戸も少し開いていたという話。 信じる信じないは個人の自由。もう・・こいのぼりの季節なんですね。まだまだ肌寒いのに・・鯉は元気ですよ。鯉は出世の意味もあるけど、潔さの象徴でもあるとか・・まな板の鯉・・ってね。さ・・鯉に負けずに頑張ろう!
2007.04.17
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大抵の人は、自分の心に忠実・・なんだろね。それを素直って言う人もいるけど、そうじゃない。身体が勝手に行動してしまって・・なんて言ってるけど、そんな事は無いはず。何かを欲しいと思っても、大抵の場合給料前とかで辛い事がある。その、欲しいと思う気持ちに忠実だからこそ、従うからこそついつい手が出てしまい。出来心・・でも、心に従っている事に変わりは無い。こんな事言ってた人がいる。『心に従うのではなく、従えるべきは自分の心である』・・って。心なんて、何処からともなく沸いてくるものではないと思う。前にも言った、潜在意識がどっちを向いているかで、フッと過ぎるものがある。それに負けて、不道徳な事、迷惑な事をしでかしてしまう。心が自分のものなら、そういう思いを抑えるのも良いし、自在に操れるように・・従える事が出来たら・・そういう思いは起きてこない。自分に言い聞かせるって言葉があるけど、自分だからこそコントロール出来ると思う。お金が無かったら、働こう・・とか、今度の給料日まで・・とか。ただ単に欲しい・・だから拝借する。これでは動物と同じ。我慢するのではなく、方向さえ変えれば自然と心を従えた事になるんじゃないかと思う。腹が立つ・・叩きたい・・で、叩く。自分に従うべきものに従ってたらこうなる。言わば、自分の影に引っ張られているようなものですよ。心を従わせる事・・難しいかも知れないけど頑張らねば。あ・・バルザックの言葉に『理性が先に立てば、恋は後になる』っていうのがあるけど・・・この場合はどうなんだろ・・心に従ってみる??
2007.04.16
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地震・・ど、話が何処に行ってもこの事で先に進まない。日本は地震の国っていう前提で考えれば・・とは、被害にあった人達に対しては不謹慎。解ってはいても、ある日突然一変してしまうんだから少しの配慮がほしかった。ところで、地震・・天変地異と、今回の中国っていうので憶い出した話がる。昔、中国のある街に、真面目で親孝行の青年がいた。毎日街の真中にある泉の亀の目を見に行くのが習慣だった。作り物の亀の口から毎日涸れる事無く流れ出す水は、街を潤していた。青年が何故毎日亀の目を見に行くかというと、亀の目が赤くなったら天変地異の前触れだから、非難するように・・と父親から聞かされていたからだった。ある日・・その話を聞きつけた友達が、仲間に『おい、一度からかってやろう』って言う事で亀の目を赤い石と取り替えてしまった。何も知らない青年は、いつもの様に亀の目を覗き込み・・『大変だ!皆さん、天変地異の前触れです。早く高台に非難してください』青年が慌てふためいて家に帰っていった後、皆は腹を抱えて笑い転げていた。家に帰ると、青年は親を背負って高台に避難した。暫くすると・・天は暗くなり、物凄い風とともに雨が降り出して、瞬く間に街を飲み込んでしまった・・という話。地震はナマズだけではない・・なんて言うのは冗談ですが、やっぱり人をからかってはダメですよ。亀の目が赤くなる・・っていうのは、こういう人間の心を予測したものかも知れないし・・。人を不幸にしようとする心。それは、いつかは地球そのものを破壊してしまう。あ・・地割れが起きても地震とは限らない・・。植物の芽が出るときも地割れは起きる・・から。
2007.04.15
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今回中国から来られた温家宝首相・・。これで少しは日中の関係前進があるといいんですが。人柄は判らないけど、テレビなんかで見る限り・・経歴なんかを見る限り・・心配ない人だと思う。私は中国にしても韓国にしても、仲良くしていきたい国、しなければならない国だと思う。歴史では、どちらの国も日本にとって色んな面で勉強させてもらった国々。言わばある意味『師』なんだから、仲良くしていかないと。店に来た中国の女の子とも話した事があるけど、可愛いですよ。温家宝首相は色んな面での気配りを忘れない人だと思う。思い出した言葉に『走っている馬から花を見る。馬から降りて花を見る』っていうのがある。日本の政治かもこう在ってほしいですよ。『松上の鶴』では何にも解らない。尤も、解ろうとしないのかも。知れば何らかの手段を講じないといけないですから。温家宝首相は良い意味で馬から降りて・・を実行していた。確かに・・世界平和を唱える人は多いけど、それなら先ず隣人からではないの・・って言いたい。最初に家庭。次は隣人。次は町内・・・ってやっていかないと。足元が固まらないうちに大きいものを抱えても踏ん張れないと思う。今回の訪問で・・ホントの春が来るといいと思うのは私だけ?
2007.04.14
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雨・・桜も終わりかな。昼には桜の花吹雪をくぐって走ったのに。桜って・・生ける時は吉野の桜を連想して生けるんですよ・・って教えられたものです。裏花一輪、幹を一本、見越しの松を一本、高いところは蕾・・・て習ったんですが、『吉野の山の山桜 断ち割りて見よ 花の在りかを』・・は有名。毎年毎年咲く桜花。けど、割って何処を探しても花は見付からない・・って言う意味。これってものすごく深い意味があって、『薪火合い交はれば灰となる』と同様・・深すぎて私には感じる事しか出来ません。つい先日、こんな話が聴こえてきた。女子高生が店の前で、友達にこんなこと言ってました。A『ダイエットってこんなに難しいものだと思ってなかった・・もう止めたい』B『そう・・私も止めようかしら・・結果出ないし・・』A『・・・』B『・・・』私『こっち来てお茶でも飲んでく?』って言う会話から始まって、もう止めたいの?って言ってからこんな話をした。これは私が父から教わった教訓。片栗知ってるかな?あれってなかなか固まらないよね。で、諦める?少しの水で溶いてから、ゆっくりと・・絶え間なく熱いお湯を注いでかき回してると出来るんでしょ?それも、ある時一瞬で固まる。もし、固まらないからって途中で諦めたら・・もう2度と固まらないよ。A『・・・』B『・・・解った!』彼女等の年頃って難しいって言うけど、そんな事ない。素直なんですよ、とても。私も父からこの話を聞いたとき、あ!って思ったんですよ。準備だけしても、熱いお湯、言い換えれば情熱を絶え間なく注がないと、どんな事でも成らない。今か今かと注いでも・・ある一瞬が来るまでは固まってくれない。『後一尺で出る水を 掘らずに出ずという人ぞ有き』とか『山水も 木の根岩が根くぐらずば 大海原に如何で出ずべき』なんて。努力しなければ・・苦労しなければ何にも得られないって云う事。後ほんのちょっとの努力を惜しんでダメにしてしまうって云う事。みんな忘れてる。自分の中の熱いものさえ無くならなければ・・必ず・・と思う。私ももう少し踏ん張って頑張ろう。
2007.04.13
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またまた道を外れてしまった人がいる。この頃・・っていうか、最近特に酷い。教育が原因なのか・・環境なのか。ボルネオだったかな、こんな話があった。二人の兄弟が住んでいた。二人共とても親孝行で、両親にはいつまでも長生きしてもらおうと、不老不死の水を求めて旅に出た。そして・・その水の在るという島に着いた兄弟は、一人の老人から島の奥深くへと進む道を聞き出した。老人がら、決して道の真中以外は歩いてはならないという忠告を受けて。兄弟はそれは簡単な事だと思い進んだのだが、なかなか真中を歩くのは難しく、とうとう道から外れてしまった。・・どうだろう、道の外に出てしまった兄弟は・・そこにあった草木の種が身体に付いていろんな草が生え、身動き出来なくなってしまった。そこへ例の老人が来て泉まで連れて行ってくれた。そこの水を浴びると・・身体に生えた草木は流れ落ち、それが不老不死の泉だと知った。話はめでたしめでたしで終わっている。が・・この『道』は人が歩かなければならない道。そして、『草木』はいろんな誘惑。泉の水は教え。真中を歩くのって・・大変なんですよ。ついつい余所見をしてしまう. とかく誘惑には弱いんだから、余所見しない事。 修行の身では繁華の地を徘徊してはならないという理もあるように、誘惑に負けない自分を作ってからでないと行ってはならないし、行く必要も無い。君子危うきに近寄らず・って。ただ・・面白くない人間にだけはならないようにしなければ。 みんなが手を繋げば一人だけ外れるなんてこと無いんですが・・。
2007.04.12
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こんな事を言ってるのを聞いた。『今日も誰も来ないかも知れないから、そこそこにしておこう・・』って。ある修行僧が淵の傍で修行していた時、上の方で鷺達が鳴いていた。あまりの喧しさに、僧は、『静かに出来ないのか、もしお前達のせいで修行が成らなかったら、三度生まれ変わりお前達を食い殺す』と叫んだ。それでも鷺達は鳴き続け、とうとうその僧は淵に飛び込み自らの命を絶った。それから、その淵には大山椒魚が現れて次々と鷺達を食い殺した。っていう話がある。修行が成らなかったら・・お前達を食い殺す。ではなくて、修行して悟りを開いたときには、必ずお前達も救ってやるから静かにしておくれ。でないとダメだと〆てあった。 私もそう思う。邪魔ばっかりして、出来なかったらお前等のせいだぞ・・その時は覚悟しておけ。っていう経験は私もかなりあるけど。この本を読んでから少しは考え方を変えた。上手くいったらお前達にも良い事あるから、静かにしてくれないか・・って。初めから『ダメだったら』では、自分がそう思ってるのでは上手くいかない。『必ず上手くいく』って自分でも信じて、成った時には皆にも分ける。そうでなければ成るものも成らない。松下幸之助氏は、人の為に・・・っていう考えを書生時代から持ち続けて、ある日二股ソケットが閃いたとか。頭が下がります。ダメだからそこそこに・・も、来た人に楽しんでもらいたいっていう気持ちが大事。そこそこだから・・来ない。来ないからそこそこに・・・悪循環。楽しんでもらおう・・それじゃ行ってみよう・・じゃ、もっと楽しんでもらおう。物事って・・そんなものだと思う。心は目に見えない。けど、だからこそごまかしの効かない雰囲気となって感じてしまう。あ・・裏って云うのは心の事だそうですね。私も知らなかった。表に出てこない部分。今日も良い日、明日も良い日『日々これ好日』・・ガンバラネバ
2007.04.11
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今日は朝から少し暑いくらいの天気。で・・越前海岸の潮風ラインまで行って来た。途中、スーパーでパックの寿司買って出発。暑いので窓を少しだけ開けて走った。国道を走り河野の海岸に下りて潮風ライン。右に行くと民宿とかがかなり在る。行くまでに桜はかなり観れたので、海を見ながら昼食。ここら一帯は釣り客が多い。小さな漁船・・釣りの人、山には桜も少しあったが、連翹、早咲きの山吹、木瓜、それに菜の花の畑だろうか・・黄色い花が咲いていた。突然・・なんなんだろう、鳥の群れ。70~80ッ羽位が枝から枝に群れていた。ゲートを通ってラインを走り、敦賀の喫茶店『あん』で休憩。それから気比神宮を左に見てアルプラを右に曲がって・・・あ・・桜並木発見。どこかに神社があるのかも知れない佇まい。道が混む前に帰途。・・かなり日焼けしてしまったが、気持ちの良い一日だった。昔ならこうも簡単に海に来たりするなんて出来ないだろうに。生け花をやってたせいで、何か花に気を取られてしまう。この間・・これってグロリオーサですね・・って言ったら顔を眺められた。花の名前を知ってるのって、そんなに不思議な事なんだろうか。倉田さんの言葉に『原始人は、恋人に花を贈る事によって人間になった』っていうのがあるけど、花って・・大事なものだと思う。亀井さんの『無用の用』の中に書かれたこの言葉、深いですよ。(倉田さんは亀井さんの師)花によって癒され、花で心を表現する。これって・・人間だけ。花なんて、実際何の役にも立たない。けど、大きな意味を持ってる。禅の只管打座と同じで、ただ座るだけ・・これといって何の役にも立たない。けど、だからこそ意味がある。だからこそ・・今まで続いてる。何かの役に立つのであれば、もうそれがいらなくなった時・・意味がない。何にも意味がないように見えるものほど不変の必要性があるのでは。自分の周りをもう一度見回そう・・・新しい発見があるかも。
2007.04.10
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久々に登校する小学生を見た。一年生は見られなかったけど、やっぱり新学年だからどことなく感じが違う。『頑張れよ』って車の中で一人呟いてた自分・・。なかなかブログが進まない。やる事が多過ぎる訳でもないのに。多い時で1日4時間の睡眠・・あんまり削れないし。なんにもしなくても一日。寝る間も無く何かをしていても・・・1日。この間、西田幾太郎とか志賀直哉とかの話があった。時間って何だろうって考えた時、私はこの人の名を憶う。時間・・点の連続。点、面積も何もない・・点。点の集まったものが線だけど、ここでは時間としている。一瞬・・一瞬・・それの繋がったものが時間の流れ。無いものが集まっても、科学的にはゼロ。で、時間って観念的なものって事になる。一炊の夢って言葉のように、一生もうたた寝の間。田中先生の本の中の話しにも、これに似たような話があった。モノが落ちるのを見たとき、ある人は一瞬に感じて、ある人はスローモーションのように感じる。アインシュタインの相対性では、お互いの位置とか速度っていうので考えてあるけど、感覚的に・・・も、違う。楽しい時間は短く感じ、辛い時間は永遠に続くかのように長い。・・とすれば、考え様によって時間は自由なるものかも知れない。車校の先生の話の中で、事故を起こした時・・もう死ぬかも知れないと思った時、その瞬間の場面がものすごくスローに感じたらしい。その後、なんか一瞬に今までの人生が思い出されて走馬灯の様に見えたとか。愚痴あり後悔あり・・だけど、そこだけが人生ではない。時間を自在に操って、楽しい人生にしていきたいと思う一日だった。
2007.04.09
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朝・・。今日はなんて車が少なかったんだろ。ん!?日曜日。なんか曜日の感覚がまったく無い。選挙は大体の予想通りの結果に終はったし・・それにしても投票率ってかなり少ない。前のとか、平均とか言ってるけど、本来全員参加っていうのが目的。行けない、行きたくない・・色々あるんだろね。そのなかで最も多いのが、誰がなっても同じだからって言う意見。同じではないんだけど、同じ結果にしかならない事が多いって言うのも現実。何故なんだろ、一度上に挙がってしまうと理性がまったく無い。無いというよりマイナス思考回路しか持ち合わせなくなる。権力の座って・・そうなんだろうか。 ん?権力っていうからおかしくなる。第一、なんで『先生』?私なんか、そういう人に会った時でも、否定はしないけど肯定もしない。一種の職業としてでしか見ていないし、何をやったか確かめるまでは貶しもしないけど誉める事もしない。こういう言葉がる。『金持ちがその財を自慢しても誉めてはならない。それをどう使うかを見てから誉めても遅くはない』どうせ認めてもらおうとするなら、良い事で認めてもらえるようになってほしいものだが・・。
2007.04.08
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どんな事が一番幸せか・・って言われても・・。どんな事かは解らないけど、心が晴れる瞬間っていうのは解る。例えば、街とかスーパー・・或いは公園で子供(赤ん坊)の笑顔を貰った時。親子連れで仲良く散歩とかしてるのを見たとき。今だったら、ピカピカの一年生が楽しそうにしてるの見た時。年寄りが静かに庭を眺めているのを見た時。畑仕事で汗を流している人を見た時。身障者の手を引いて階段を上る高校生を見た時。桜の花一輪・・風になびくのを見た時。裏山で、鳥の囀りを聴く事が出来た時・・・・。幸せって・・こういうものの中にあるんだろうか。それとも、こう云うものに出会えたこ事、感じられた事そのものが幸せなんだろうか。
2007.04.07
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人って、些細な言葉の行き違いで誤解したりちょっとの思いやりで理解し合えたり。最近意志の疎通が計れてなかった人がいる。車の中でその人からの電話を受け取った。その人『今日あっちの家に行ってから帰るので遅くなる・・』と。私『遅くなるのは良いけど、夜は寒いんだから風邪引かないように』その人『こんなので心配してたら・・・雪が無いだけ良いと思わないと』私『あんまり遅くなるなよ、お前も大事な家族同様、メンバーの一人なんだから』 ここからその人の声が一変して嬉しそうに『帰ったら話しするから・・』仮にこの会話のセリフが逆になったら・・って思ったら、ある話を憶い出した。ご主人が仕事から帰ってきて、『ビール頼む』奥さんはさっそく冷えたビールを持ってきて栓を開けた。奥さん『あ・・瓶が欠けた・・。けど、ガラスは重いから沈んでるわね。大丈夫だから・・飲んで』ご主人『そんな物飲めるかい・・危ないだろ、殺す気か』っていうんで取っ組み合いの喧嘩になったとか。これもお互いのセリフが逆になってる。奥さん『あ・・瓶が欠けた、もうの飲めないわ。危ないから代りの持って来るね』って言えばご主人『ガラスは重いから沈んでるよ。もし浮いてても、粉みたいなのじゃ危なくないから・・大丈夫』ってなるかも知れない。なんか・・世の中の殆どの揉め事って・・こんなんじゃないのかな。相手をほんの少しで良いから思いやったら、大抵の事は・・って思う。あれからその人も帰ってきて、昨日までさっと二階に上がってしまってたのに、今日は遅い夕食済んでから、なんと延々3時間話してた。フッと出た言葉だったが『・・お前も大事なメンバーの一人なんだから』つい出た言葉・・。いつも何とかしようって思ってたし、考えてた。常に思い考えて、潜在意識がそっちの方に向いてたから出た言葉かも知れない。こっちから傍に行かないと、誰も来てはくれない。相手を変えるより自分を変える事の大切さ・・。そして、その方が易しい。
2007.04.06
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日野川 の河川敷ではゲートボールなんかが始まって・・散策したりしている家族、ウォーキングを楽しんでる人・・って思ってたら。今日は寒い日。もう、吹き抜ける風も桜色・・っていうのに。なんなんだろね・・時々こんな事がある。風花が舞いそうな・・。雷が鳴りっ放しでパソコンもどうしようか迷いながらっていう状態。此処(家)からは桜も見える。木瓜とかの花も・・。宗教がらみの事件と言うか、出来事がまた。なんでそんなのに引っかかるんだろ。宗教って・・大元の教え(大元教ではないです)の筈なのに・・って思う。死んでもまた生き返るなんて・・キリストの復活じゃないでしょうに。時々、こういうのが出てくる。医療を拒んだり、迷信的な儀式があったり・・。確かに、リリジャスサイエンスとかのように精神を重んじるのは良い事だけど・・私も否定はしないけど。だけど、その域にまで達してない人にそれを強要するのは宗教家のする事ではないと思う。最後まで責任をもてるのなら、それだけの力が有るのなら・・結構な事だけど。私の知ってる人はこう言ってる。神に頼りなさい・・けど、100%頼れない、信じれないのなら仁術でも構わない。それでその人が助かるのであれば、それに越した事は無い・・と。即身仏っていうので、木喰生活をした人達もいた。それはそれで目的が在っての事。意味を知っての事。納得しての事。復活・・って云うものをどうとらえて今回の事件は起きたんだろ。万物に必ず当てはまる『死』。マインドコントロール無しで理解しないと。
2007.04.04
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久々になんとなく地上波テレビを見たら、『昔の学校』というのをやっていた。昔も、確かにいじめはあったし、感情で生徒を怒る先生もいた。私もかなりのガキ大将(3代目)だったし大人の言いなりにはなった事がない。けど・・子分の面倒は見てましたよ、いじめっ放しではなかった。先生も怒るのではなくて・・そう、叱るって感じかな。テレビ見ながら・・何故か涙が・・・。昔は、何をしても相手を思いやる心って言うものがあった。自分を主張しながらも、先生も生徒同士でも必ずどこかで相手を思いやってた。今のように、人を殺すのではなくて、『人を生かす心』っていうものがあった。言い換えれば・・ある本に書いてあった言葉だが、『愛とは人を生かす心』。・・そう、愛があった。何でも分け合うって言う事が当たり前の事だった。何故・・今のようにお互いの足を引っ張ったり、押さえつけたりする様に・・。修身復活・・なんていう言葉も出てきているとか・・。教育勅語、軍人勅語なんて言っても、今の人には解らないかも知れないし、私なんかもその言葉しか知らない。けど、世界各国で、何ヶ国語にか訳されて、形を変えて、言葉を変えて、現在使われているっていうのが現状だとか。今の日本でそんな事したら、軍国主義・・って事になってしまうし、内政干渉も甚だしい言葉が国外から浴びせられる。・・国旗を燃やされても、踏みつけられても・・何の反応も無いのは日本人だけ。ガンジーではないけど、無抵抗主義・・?そのくせ日本人同士となると、同胞意識どころか敵対心の塊。牙むき出して爪立てて傷つけあう・・なんなんだろ。修身とかではなくても、宗教とかではなくても・・もっと『愛』って言うもの教えて欲しい。大人がこの『愛』って言葉を使いたがらないのって・・これも日本人だけ。テレビを見ながら思った事。日本人は・・頭は進化したかも知れない・・けど、心は退化してる。形だけの発展の為に、一番大事なものを捨ててしまったんだろうか。
2007.04.03
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震災 にあった人たち・・まだまだ大変ですね。よく、今回は死者が少ないので良かったです・・っていうコメントがある。とんでもない!その家族、親戚、友達にしてみれば、不謹慎な言い方かも知れないけど・・他の何百何万の人が死んだのより悲しい事だし、死んだ本人にしてみれば・・自分以外の人全てとの別れになってしまう。残った我々の世界から見れば一人でも、あちらの世界から見れば・・・。死んだ人,怪我をした人を含めて、その周りの人までもが人生の岐路に立った事になる。少ないとか多いとか・・そういう言い方、考え方。私は嫌いだ。そういう言い方しか出来ない状況・・っていう事もある。けど、例え少なくても・・少ないからこそもっと配慮の余地があると思う。私の母は事故で逝ってしまったが、寿命で逝く時でさえ悲しいものを・・予期せぬ事故っていうもので別けられてしまった者の思い・・。もう少し思いやってあげてほしいと思う。事件でも事故でも、取材の人は仕事でインタビュー。死ぬより辛い思いの中で、やっと堪えている人の気持ち・・家族・・恋人・・友人・・でなければ解らないのかな。
2007.04.01
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