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昨日は久しぶりに高速…冬の高速って、ホントはあんまり気が進まないけど、これだけはっていう出来事が発生。予報ではかなり雪が降るとかで、下道を行こうか迷ってたけど…。日頃の行いが善かったからか、雪なんて欠片も無い。だけども、途中からガスがかかって100km/hなんてとても出せない状態。工事で速度制限も。スピード感覚もかなり麻痺した状態で走ってた…かな。平均90km/hくらいで走ってたけども、メータを見なかったら、60km/hくらいの感覚しかないのが怖い。以前に160km/hほど出した事があるけど、あの時はもっと車高の高い車だったからそれほど速く走った感覚は無かった。高速を降りて一般道までの間…制限時速40km/h…。まるで歩いてる様な早さ。人間の感覚って、いい加減なものだって事かも知れない。時間も、或る人にとっては一瞬でももう一人の人には1時間…或いは1日。観念的な支配を受けると、日常がまるっきり変わってしまう。感覚って云うのは、補色効果を狙ったパックのデザインとか壁の色に影響されたり、料理なんかでは、出される料理の順番次第で受け取る味覚も臭覚も騙される。CDなんかでの曲の順番もそうだし、もっとおかしいのは…怪我した反対の手とか足に同等の刺激を与えると、その怪我の痛みが軽減されてしまう…っていうもの。実験でも(犬での実験)片方の前足に針を刺すと、痛そうな歩き方になる。で、もう一方にも針を刺すと、何事も無かったように歩き出す…。子供なんかは転んで泣いてても、お菓子で騙される。高い人…背の低い人から高い人を見れば高いのは物理的に当然だけどもも、威圧されててもそう見へてしまう。俗に言う気迫に押されて…とか。感覚…五感何ていうのは…この五感から得られた情報何ていうのは、絶対ではないし、情報を判断するのは自分の物差しだから、更に不確実なものになってしまう。あやふやなのは五感だけでなく、短くて不正確な自分の物差しで世間を量ろうとするから、フーコーの言うように不躾と無作法を天真爛漫…或いは個性のつもりでいる若者…大人が存在する。また、ルソーの言うように、何時でも何でも手に入れられるようにしてやる事が善い事とと錯覚してるから、子供たちを確実に不幸に導いて…いや、導いてると言うより、悪賢くずるい大人達によって、不幸の方へ追い立てられてる…追いやられてるのかも知れない。子供たちに何をするかによって、その社会のモラルを計ることができる…って、上手い事を言った人がいたけど、なるほどなァって思う。ただ…現象世界は計れても…心の世界には量れないもの、量ってはならないものが在る。笑い話…みたいな話に、橋の上から魚を見ていた二人の会話の中で、一人が魚の想いを話したら、もう一人が、お前に魚の気持ちが解るものかって言う。すると、じゃ、お前に何故、魚の気持ちが私には解らないって事が解るんだ…。自分の物差しで人の心を量るとこういう事になる。心の風景って…そういうものだと思う。観念的な世界…。子供が、・積もった雪にパラソルを立てて遊んでた。上に雪を放り投げて、落ちてくるのを見てキャッキャッ言ってはしゃいでる。どんな光景を心の内に描いてるんだろ…。もっともっと強く…もっともっと優しく…色んなものに触れられたら…守る事も育てる事も簡単なのになぁ優しさより強いものはなく、本物の強さより優しいものはない ラルフ・W・ソックマン
2013.02.03
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冬の陽だまり…あったかい…けど、知らずにいるといつの間にか陰になってたりする。陽は何時も休みなく東から西にと動いて一刻も同じ場所で照らしてくれてる事は無い。屋根に遮られたり雲に邪魔されたり…。常に当たっていたいと思ったら、陽のあたる場所に自分で行くしかない。言い換えると、自分で求めれば何時でも陽の恩恵は受けられる。太陽はあと50憶年くらいは何時でもいてくれるはず。好むと好まざるとに関わらず、夜も昼も…雨の日も吹雪の日も…。人間の高い文明自体が、賢く頑張ってもあと1万年そこそことすれば、人類、或いは生命体が滅んでもまだ太陽はある…はず。それまでに、太陽系の近くの超新星爆発とか極超新星によるガンマ線バースト…それらから生まれるブラックホールなんかで破壊されるかも。ビッグバンみたいな、一瞬よりもっと短い、時間とも言えない時間(一兆分の一秒の、そのまた一兆分の一秒だとか)で宇宙を作る様なエネルギーは無いけれど、いつかはそういうのと遭遇して破滅するか…メテオ(隕石)と衝突して破滅するか…。尤も、今の人類ではそれまでに自滅…かな。宇宙が崩壊したら…人の魂はどうなるのか…って云うのは答は出てる…公案で。私には難しすぎて…言葉でしか理解できてない。【まるっきり解ってないってこと】ディスカバリーチャンネル好いなァ。放っておいたら1日中でも観てる。雑誌はニュートンが好い。当然!!修羅の門、結界師、ベルセバブ、ハンターハンター…好いなァ。頭文字Dなんて…何回観ても飽きない。毎日体罰の話ばっかり…私もスポーツって云うのかな…やりましたよ。受け取り方次第で、柔道なら投げられて怪我したら、暴行??体罰??指導??剣道で竹刀で怪我させたら…指導範囲外??ボクシングで顔面が腫れたら暴行??空手で雪の中裸足で走らせて、凍傷になったら…??度を超えたら…って、どこまでが指導でどこまでが体罰なんだろ。きょう日のは、受け取り側、観てる側がが暴行と言えば暴行。道場とかジムで教えてても、あまりにも行儀のヨロシクない人がいれば…注意を無視する人がいれば…コツンとやられても、それは指導じゃないかと。それを…何でもかんでも体罰としてでしか受け止められない生徒がいたとしたら…それは親の躾の問題もあるかと。自殺まで追い込むのは、教える側の理解度不足。もっと理解してやらないとね。師のとった行動が、自分の為にしてくれた事か単に自分への攻撃かが解らないようであれば、それは育ち方にも問題があるかと。或る時隣の子にちょっかい出して殴った事がある(子供の時に)。その時師は…私を叩きましたよ。知らない人がそれを見たら、あっあれはしごきだ暴行だって騒ぐんでしょうね。叩かれても叩かれても…喧嘩とかちょっかいを止めなかったから、最後には板の間で正座させられて、しばらく歩けなかった。足が痛くて。その時期何回叩かれたか…今だったら、完全に毎日体罰でしょうね。でも、聞きわけの無い者には或る程度仕方ないのでは…と。師が次の日部屋で一言『どうや○○痛かったか…叩いたんやから痛かったやろな。』って。家でこの事を話したら…家でもまた殴られた…痛かった。ガキ大将だったけども、そういう指導が度重なったおかげで、叩かれたり騙されたりした人は痛いんだって事が少しは解る人間になったかもって今は思ってる。虐げと暴行は、人格までも歪めてしまうから絶対ダメだけども、指導で何かを求めるときの痛みなら…と。ここはこう、そこはこう…と竹刀とかで足や手を叩いて位置を直させるときもある。傍から見ただけでは判断できないのが体罰⇔指導。阿弥陀には隔つる心なけれども 蓋ある水に月は宿らじ…ってね蓮如上人ここでは阿弥陀を師に置き換えて、師は誰かれと分け隔てなく矯める心で指導してはいるけれど、心に蓋をしてしまった人には…その気持ちは受け入れてもらえない。私はやっぱり…古いのかなァ…
2013.02.01
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