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2005年11月22日
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(要旨)

 堀内さんは、お母さんのお腹にいたときから、目が癌になってしまいました。1才もならないうちに医師から目玉を除去するよう宣告されました。お母さんは、それが信じられなくて他の医師にも見てもらったのですが、同じことしか言われませんでした。大阪まで行って目を見てもらったのですが、やっぱり同じ診断。大阪から高知へ帰るフェリーの中で泣いている子供をおんぶして、一緒に死ぬ子とを考えました。「目が見えないのではこの子が不幸だ。しかし、一人であの世に行かせると(目が不自由だから)、自分も一緒にあの世に行って、案内をしよう」と思ったそうです。泣いてばかりの子どもをおんぶして、そんなことを思いながら、最後に自分の子どもを見ようとしたとき、子どもは(偶然か)泣きやんで‘ニコッ'と笑ったそうです。(自分は覚えていない)そのときお母さんは、「あの世を案内するのではなく、この世でしっかり案内をしなければならない」と、我に返ったそうです。

 幼稚園では、(入園時)目に見えないことが分からない子どもたちが近寄ってきて、目玉のない目を「見せて!」というので、彼はまぶたを自分の手(指)で開けて見せてあげていました。最初は多くの友達が怖いもの見たさ(?)に集まってくるのですが、だんだんと気味悪くなり近づかないようになりました。目の見えない堀内さんは近くに友達が近くにいるかいないかわからない子ともよくあるようになったとか。

 ある日、「佳くん、目の中を見せて!」といわれたので以前のようにまぶたを手(指)で開けたときに、砂や砂利を目の中に入れられました。『痛いっ!』と叫びながらそんなことをやった連中に殴りかかろうとしたときに後ろから、お母さんが手をとってやめさせました。
 「お母ちゃん、何するん!こんな悔しいことだっまとる訳にはいかん!」
「佳、かわいそうなのはお前ではなく、そんな子だよ。だから、手を出してはいかん!」何でお母ちゃんはとめたのか、そのときは分からなかった。


 父親はメチャ怖くて、嫌いでした。ある日、磯釣りに連れて行ってくれました。船で沖まで行き、磯に上がろうとしても、父は手をとってくれることもありませんでした。あるとき、磯に上がれずに海に落ちてしまいました。「お父ちゃん助けて!」と叫んでも助けてくれませんでした。それを見ていた見ず知らずのおっちゃんが助けてくれました。しかし、父はお礼も言わず、「何する!」と反対に怒ったのでした。自分の力で助かる方法を身につけさせたかったのでしょうか。(父親はそのあたりではスポーツ万能で通っていて、今で言うレスキュー隊の隊長でした)

 高知には波の高いところがあり、さらに台風が近づいていました。そのとき、父は波のなかに僕を入れるのでした。「佳、自然に逆らわないようにするんだ!」そういわれて、自分は溺れない方法を体得しました。だからニュースで「深みに入って溺れた」の『深み」という意味が分かりません。そんなことを思うと父に感謝しています。

 5才から高知の盲学校に行くことになりました。年2回家に帰ることができました。家は四万十市(それまでは中村市)、家から盲学校に帰るときいつも母と一緒でした。盲学校について、母に「バイバイ!」といって分かれた後、トイレの中で泣いていました。母も、汽車(列車)のトイレの中で泣いていたらしいです。ですから、汽車のガタンゴトンという音は、今でも懐かしい、悲しい思い出の音になっています。

 盲学校にいやな先輩がいました。先輩はもてていました。なぜかというと、ギターが弾けたからです。僕も女の子にもてたかったので、先輩がいないうちにこっそりとギターの練習を先輩のギターでしていました。しかし、いやな先輩だったので、少しでもさわったことがばれたらマズイので、ギターを畳に置いたまま練習をしました。ですから、自分がギターを弾いている
右手が(左利き)ギターの下からではなく上から弦を押さえるのですが、かっこわるいでしょうか?かっこがいいからかっこがいいのではなく、一生懸命やっているからかっこいいのではないでしょうか!?

徳島の言葉でおかしいのが「いける」。前にI中学校に行ったときに、そこの校長先生が、「ストーブあるけど、イケルで?」というのです。そのとき、‘ストーブに乗ってどこに行くんだ!!」と思いました。徳島市内の新町川あたりでよく聞いていると、女の子が、「イケルん?」「イケル!」イケルで!」「うん、イケル、イケル」というのが大変おかしく聞こえます。『イケル』という言葉は、『大丈夫』という意味なんですよね

 盲学校を卒業して、鍼灸師として整形外科病院に就職しました。

そこでの怖い話しをします。

 僕は、トイレに行きたくなったので、ノックをしてズボンやパンツを下ろしたとき、膝に生暖かい感じがしました。何と、おばあさんがいたのでした!おばあさん、パンツを下ろす前にいることをいえよ!その前にノックしたときに合図をしろよ!皆さん、怖いでしょう~~~(笑)

おばあさんの話をしたのでおじいさんの話をします。

 おじいさんは脳卒中で体が不自由なのですが、おじいさんは相撲と宮本武蔵のテレビ番組が好きでした。おじいさんが来るたびに「宮本武蔵」の話しをしていました。おじいさんも僕に「先生、宮本武蔵をみたか?」とか話しかけたりして楽しくおしゃべりをしていました。しかし、しばらくそのおじいさんは病院へ来なくなりました。ある日、その息子さんが僕の所へやってきて「亡くなりました。堀内先生に会うのがものすごく楽しみにしていました」と。

 みんなに言いたいのは『自分を好きになれ』ということです。どんな自分でも自分を大事にして、好きになってください。人にも命がある。動物のも命がある。自分たちが食べている肉や魚、米や野菜、全て命があります。大事にしましょう!



また、涙。感動。でした。


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最終更新日  2005年11月23日 01時03分34秒
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