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緑と清流 神秘家の庵さん
2010.05.21
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カテゴリ: 伝説・神話
シャクナゲ1
シャクナゲ


宣長は、生涯の師と仰いだ賀茂真淵とは、たった一度しか会わなかったが、真淵に古事記の研究を勧められた。
真淵は、古事記を読み解こうという志を持っていたので、先ずいにしえの心を理解しようと考え、万葉集を研究し始めた。
そのうち老齢になってしまい、すでに古事記を研究する時間がなくなってしまった。
1763年5月25日、伊勢松阪で宣長と真淵はたった一度出会い、古事記研究という大事業を約束した。真淵67歳、宣長34歳であった。
後に宣長は、師の悲願であった古事記研究の成果として、「古事記伝」を世に送り出したが、時の学者たちによって厳しい批判を受けてしまった。
しかし、宣長の「古事記伝」は、現在も古事記研究の先駆けというべき偉大な業績として認められている。
古事記が著されたのは、712年ごろのことで、当時読み書きが出来る人はごく一部の人々に限られていたので、読者が多かったとは考えられない。
では何のために難しい歴史書を作ったのだろう?
古事記は「日本書紀」以下の正史とは異なり、史記、漢書、後漢書に倣って書かれた本ではなく、大和の碑田阿礼なる人物によって書かれたと言われている。
そうであるなら、万葉仮名で書けば良いものを、漢文などを混入して判読し難くしたのは何故か?
碑田阿礼なる人物は実在せず、安麻呂が勝手に著したものかもしれない。
判読し難くしたのは、何か別に隠された意味があるのかもしれない。
万葉仮名と漢文を混用して読みにくくした表向きの理由は、要約できる部分は漢文にしたと言われているが、あまり説得力は無い。
何事も、古ければ古いほど謎は多いものであるが、古事記は特に不自然で、存在理由、著された意図が分からない。






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Last updated  2010.05.22 06:08:01
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