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高尾すみれ

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緑と清流 神秘家の庵さん
2010.05.27
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カテゴリ: 万葉集
あやめ1


山上憶良は、ポスト柿本人麻呂の位置にいて、山部赤人や大伴旅人などと同時代を生きた。
旅人と共に、大宰府を中心とした文雅の中で多くの秀作を詠んだ。
億良の名が最初に史書に登場するのは、遣唐使の書記官に選ばれて渡唐した701年だった。
漢文学や仏教、儒教などの素養が深く、帰国後は、後の聖武天皇が皇太子時代の教育係、伯耆の守や、筑前の守などを歴任した。
屋良の歌の特徴は、愛別離苦、生老病死、貧困など社会問題や人生を真正面から取り上げた。
人生と対峙し、庶民生活の哀歓をみつめて歌にした。
また、親子や家族の問題、子を愛する気持ち、家族を思う心などを詠んだ。

瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものぞ まして偲はゆ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠し寝さぬ

(瓜を食べれば愛しい子らを思い出すし、栗を食べればいっそう切ない、いったい子どもの面影はどこからやって来るのか、目の前にちらついて眠れないほどだ)

この歌の前には、長い漢文の序文があり、釈迦如来の言葉が引用されている。
「自分は衆生を我が子のように大切に思っている。子への愛ほど深いものはない」
釈迦でさえそう思うのだから、我々凡人はどうして子を愛さずにいられよう。
憶良は端的に屈託なく、人間の愛を詠った。






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Last updated  2010.05.28 06:05:41
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