パクス・ジャポニカ Vol.2

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2012/09/06
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テーマ: 城跡めぐり(1306)
旧国境と都県境がなかなか一致しないのが下総国です。
現在は利根川と江戸川を都県境として茨城県・埼玉県・千葉県・東京都に分かれていますが、旧下総国はその4都県にまたがる国でした。

下総の中心地は千葉県市川市にあり、現在も地名が残る 国府台 に国府がありました。
(ちなみに武蔵国との国境は隅田川で、武蔵と下総の両国に架かる橋が 両国橋 です)


その下総国と常陸国の国境付近、利根川を渡った茨城県坂東市に逆井城があります。

逆井城物見櫓 (2) (500x375).jpg
二ノ丸南の虎口にある二重櫓
戦国末期の時代背景を基にして復元されたものですが、このような二重櫓が実際に建っていたかどうかは不明です。


「疑わしきは巨人に有利」とは言いますが、「疑わしきは北条氏に有利」ということでギリギリセーフでしょうか。
総見板張りは「さもありなん」といった感じですが、入母屋破風と望楼を備えた櫓が二ノ丸の虎口にあるのは奇特な気がします。


この二重櫓に続く土塁上には、板塀と物見櫓も復元されていますが、関東の戦国城郭はむしろこちらの方が近いのかも知れません。
逆井城物見櫓 (1) (500x375).jpg
二ノ丸の空堀と土塁の跡
空堀の土塁を掻き上げた姿こそ、関東の戦国城郭だったと思います。


二ノ丸には戦国期の建物が移築・復元されており、さながら戦国城郭の博物館のような感じでした。
逆井城関宿城門 (2) (500x375).jpg
移築・復元された 関宿城(千葉県野田市) の城門
戦国時代には北条氏・上杉氏・佐竹氏が争奪戦を繰り広げた城の遺構が、明治の廃藩後に巡り巡ってなぜかここにありました。


逆井城主殿 (1) (500x375).jpg
主殿跡
こちらは茨城県潮来市にあった大台城跡を発掘調査して、出土した遺構を参考にして復元されたものです。



建造物もさることながら、二ノ丸の周囲には土塁と空堀の跡がはっきりと残っており、当時の縄張りまでもがわかるほどでした。
逆井城西二の丸空堀 (3) (500x375).jpg
二ノ丸西側の空堀跡
底の方は埋まってしまっていますが、薬研堀だったでしょうか。


逆井城西二の丸空堀 (500x375).jpg
角張った空堀に北条流の縄張りを感じます。

二ノ丸は本丸の三方を囲むように、凹型の広がっており、その周囲に土塁と空堀の跡が残っていました。
逆井城西二の丸土塁 (500x375).jpg


逆井城西二の丸 (2) (500x375).jpg
二ノ丸西側の曲輪
平坦で広い曲輪が広がっており、佐竹氏の拠る常陸攻略のための陣備えの場所だったかもしれません。


随所に北条流の築城術を見る逆井城ですが、中でもお見事だったのがこちらです。
逆井城本丸馬出 (500x375).jpg
本丸の馬出し
まさに北条氏特有の角馬出しです。
北条氏の城郭は数々見てきましたが、これほどまでに見事に残っているのは数えるほどでしょうか。

本丸の馬出に続く空堀には、「鐘掘池」という池がありました。
逆井城本丸空堀鐘掘池 (2) (500x375).jpg
1536年に逆井城主であった逆井常繁が、北条方の大道寺駿河守(政繁)の城攻めによって討死した時、大道寺駿河守の奥方は先祖代々に伝わる釣鐘をかぶってこの池に飛び込み、最期を遂げたと言われています。

後にその鐘を探そうと、何人もの人が池を掘ったため、「鐘掘池」の名前が付けられました。
城跡にはこの手の話はつきものですが、由来がリアルすぎて薄気味悪く、蛙が飛び込んだだけで、後ずさりするほどでした。


本丸の空堀は二ノ丸の空堀よりも幅が広く、堀底も作られていたようです。
逆井城本丸空堀 (500x375).jpg
鉄砲戦を意識した箱堀だったでしょうか。
堀底には北条氏特有の畝堀や障子堀だったのかも知れません。

逆井城本丸櫓門と橋 (1) (500x375).jpg
本丸と二ノ丸の空堀に復元された橋と櫓

逆井城本丸土塁 (500x375).jpg
本丸土塁
逆井氏の時代は本丸までが城郭だったようですが、北条氏の時代に大幅に拡張されたものだと思われます。

それにしても戦国城郭の遺構がよく残っており、日本100名城に選ばれてもおかしくないと思います。
(というよりも「なぜ選ばれなかったのか」といった印象です)


逆井城の歴史は、1450年頃に小山義政の五男である常宗が、逆井の地を領有して逆井氏を名乗ったことに始まります。

ところで逆井城の復元建造物を見ただけでも歴史背景に忠実だと思いますが、解説看板にある逆井城の年表にも「北条五代記」・「上杉家文書」に始まり、「大久保文書」「芦名文書」など、意固地かと思うほどに出自が明らかにされていました。

本丸の「鐘掘池」の由来にあるように、1536年には逆井常繁が、北条氏康の家臣である大道寺駿河守(政繁)と筑波合戦で討死し、逆井城も北条氏の支配下となりました。
(逆井城にある年表では、「筑波合戦は歴史的、史料的にもあり得ない」ときっぱりです)

それでも現存する遺構はまさに北条氏によるもので、常陸との国境に近い最前線でもありました。
1577年には佐竹氏・宇都宮氏・結城氏・那須氏・山川氏などの反北条連合軍と北条軍が激突し、逆井城が北条軍の本陣となりました。
(二ノ丸が集結地だったでしょうか)

この時に有名な風魔小太郎率いる「風魔党」が、逆井城から常陸へと潜入していきました。
(「風魔党」とは北条氏のラッパ集団、すなわち諜報活動と攪乱を行う、現代のモサドのような存在です)

同時に北条氏の軍制集団である玉縄衆の中から、鋸引き職人が玉縄城より派遣され、逆井城も現在に残る北条流の城郭へと拡張・改修されました。

多くの関東の戦国城郭と同じく、1590年をもって逆井城も終焉となるのですが、豊臣秀吉による小田原の役の時、逆井城も降伏・開城しています。





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最終更新日  2018/09/06 08:31:51 PM
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