パクス・ジャポニカ Vol.2

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2017/06/06
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テーマ: 城跡めぐり(1260)
JR山陽本線明石駅のホームから見る明石城は、2棟の隅櫓の間に土塀を備える姿が壮観です。
明石城遠景 (2).JPG


明石駅の北側近くにある明石城跡は、兵庫県立明石公園として整備されています。

山陽本線と公園の間には、かつての水堀跡が残っていました。
明石城外堀.JPG
水堀跡

明石城明石公園入口 (1).JPG
明石公園入口
桝形の石垣が見られるのは、かつての三の丸虎口の跡でしょうか。


明石駅からは遠めに眺めていた隅櫓も、近づいて公園内から見てみると迫力があります。
明石城巽櫓外側.JPG
南東の巽櫓(現存)

明石城坤櫓外側 (2).JPG
南西の坤(ひつじさる)櫓(現存)


明石城本丸土塀.JPG
西側の本丸土塀

明石天守台石垣.JPG
同じく西側にある天守台石垣
隅石は算木積みでしっかりと積まれ、重厚感があります。


その本丸へ入るの虎口は、北側に石垣が残っていました。明石城北側搦手虎口.JPG
こちらは搦手になると思いますが、おそらく櫓門で固められていたと思います。

桝形を抜けると視界が開け、本丸広場が広がっていました。
明石城本丸.JPG
本丸跡


そして先ほど見てきた本丸の建造物を、今度は内側から眺めることとなります。
明石城本丸天守台内側.JPG
天守台跡
天守が築かれる予定でしたが、実際には天守は築かれなかったようです。

明石城坤櫓内側.JPG
南西の坤櫓(現存)


明石城巽櫓内側.JPG
南東の巽櫓(現存)
城外から見上げると迫力満点でしたが、内側から見ると物置程度の感じがします。

それでも坤櫓と巽櫓の間の土塀は、内側から見ても迫力満点でした。
明石城本丸土塀内側.JPG
土塀(現存)
鉄砲狭間と矢狭間が交互に切られて、芸術的な機能美を感じます。


明石城本丸より明石海峡大橋.JPG


当時の本丸には坤櫓と巽櫓だけでなく、当時は本丸の四隅にそれぞれ隅櫓があったようです。
昔は方角を十二支で表しましたが、現存する巽櫓(南東)と坤櫓(南西)だけでなく、北西には乾櫓と北東の鬼門には艮(うしとら)櫓が置かれていました。

明石城乾櫓跡.JPG
北西の乾櫓跡
わずかに櫓台が残っています。

明石城艮櫓跡 (1).JPG
北東の艮櫓跡
西側の仮想敵国、すなわち島津や毛利の抑えを重視するならば、この櫓はあまり機能しなかったかも知れません。


明石城の縄張そのものは東西に延びる縄張だったようで、本丸の東側に二の丸の曲輪があり、さらにその二の丸の東側に東丸が配されていました。

北側が搦手なのに対し、本丸の大手虎口は東側にあったようです。
明石城二の丸虎口.JPG
本丸と二の丸の虎口

明石城二の丸.JPG
二の丸の曲輪跡

二の丸と東丸の間は、東西と南北に虎口跡のようなものがあって、実務的にはここが大手虎口だったかも知れません。
明石城二の丸大手虎口.JPG
南側の大手虎口

明石城二の丸搦手虎口.JPG
北側の搦手虎口
こちらが搦手に続く虎口だと思うのですが、北側の急な斜面に造られています。

明石城東丸虎口.JPG
二の丸と東丸の間の虎口
いずれも石垣が桝形に積まれており、堅固な印象を受けました。

東丸の曲輪跡に出てみると、二の丸と同じくらいの広さがありました。
明石城東丸.JPG
東丸の曲輪跡


東丸からの虎口は二重になっていて、さらに堅固な印象があります。
明石城東丸大手虎口.JPG
東丸大手虎口(内側)
内側に馬出があり、内桝形になっていたようです。

明石城東丸大手虎口 (2).JPG
東丸大手虎口(外側)
建造物はなくなっていますが、当時は重厚な入口になっていたと思います。


東側の大手方面にも水堀があったようで、今もその名残を見ることができました。
明石城薬研堀.JPG
薬研堀
どこにでもある普通の池といった風情ですが、薬研の名前からして深く掘り下げられていたと考えられます。

明石城箱堀.JPG
箱堀
牛蛙の鳴く普通の池ですが、名前からしてこちらは広く浅く掘られていたのかと思います。



明石城は、すでに江戸時代に入った1618年、徳川秀忠の命によって小笠原忠真によって築城されました。

水陸共に交通の要衝にあった明石は、徳川家康が「仮想敵国」としていた薩摩の島津氏と防長の毛利氏を抑える要衝であったと思われます。

そのためか城主も目まぐるしく代わり、築城主の小笠原忠真は築城後に 豊前小倉 に転封となっています。
その後1632年に松平康直が 信濃松本 より入封となりますが、その松平康直も急死したために、わずか1年で城主が甥の松平光重に代わることとなりました。
松平光重も在城5年で 美濃加納 に転封となり、代わりに入城した大久保季任も10年で 肥後唐津 に転封となっています。

歴代城主の顔ぶれをみると、徳川譜代で固めた印象ですが、現代の転勤よりも過酷な異動ではなかったでしょうか。

日本城郭協会「日本100名城」





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最終更新日  2018/01/18 12:13:47 AM
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