読書地図

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2008年03月11日
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カテゴリ: 読書
 日本の小説について常々抱いている不満の1つとして、人が「働く」という経験、及びその場所が十分に描かれていない、ということがあります。アルバイトも含め、大多数の人々は何らかの仕事をして、それでお金を貰って生きている筈なのですが、その人々の人生の大部分を占めている「仕事」ないしは「労働」というものが、日本の小説では不均等に少ない場所しか与えられていない、と。

 もちろん「サラリーマン」が主人公の小説なんかは沢山あります(咄嗟に思いついた例で言うと黒井千次の『群棲』とか、古井由吉の『櫛の火』とか)。でもそこですら、仕事の場面、職場の場面は殆ど描かれずに、話の中心になるのは仕事外の人間関係なのです。最近手にとった柴崎友香の『フルタイムライフ』にしても、仕事の場面については大変おざなりで、作者が書きたいのはどうも個人的な人間関係であるような気がしてしまい、途中で読むのを止めてしまいました(まあ、小説としても余り面白そうではなかったし)。

 むしろこの点で言うと、マンガの方がまだマシかもしれず、現在ひどく評判のいい安野モヨコの『働きマン』や、『働きマン』の元ネタではないかと勘ぐってしまうほど良く似ている逢坂みえ子の『ベル・エポック』などは、恋愛の問題を扱いながらも、仕事の過程を相当丁寧に書いていたりもします(そもそも逢坂みえこは、『9時から5時半まで』にせよ『火消し屋小町』にせよ、仕事をよく書きます)。『おたんこナース』と『Heaven? 』の佐々木倫子に至っては恋愛のことすら書かず、ひたすら仕事の話ばかり。


 ただ『働きマン』や『ベル・エポック』は編集者、『火消し屋小町』は消防士、『おたんこナース』は看護師、そして挙げるまでもない医者、料理人、スポーツ選手を主人公にした数々のマンガ・・・と、マンガで対象となる職業は華やかなイメージがあるものや、一般に良く知られている専門職がどうしても多い。それはきっとポジティブな意味づけがしやすいからでしょう。けれどもそれは無数にある仕事の中のほんの一部にすぎず、世の中には、あまり人の目にも触れず、やりがいはあっても決して華やかではない仕事に携わっている数多くの「名もない」人々がいるわけです。そして 以前取り上げた『リチャード・ブローティガン』 を書いた藤本さんの文章を借りれば「物語を書くことの目的の一つは、『名もない』と一括される人びとの名を固有名詞にして呼びもどし、かれらの声を回復することにある」筈なのです。桐野夏生の『OUT』が、お弁当を作る工場のパートの女性たちを主人公にしたというのは、確かに驚くべきことでした。個人的に『OUT』には不満が多々ありますが、少なくともそうした「名もない」人々の仕事の場を書くことで、小説世界は実際に豊かで広がりのあるものになりました。それはもちろんミステリに限った話ではなく、前回取り上げた堀江敏幸の『いつか王子駅で』にしても、それが素晴らしい理由の1つは、例えば町工場の職人に目をむけ、その世界を立ち上がらせているような、そうした視線の広さにあるだろうと思うのです。それはまさに「他者」と出会うための回路としての小説、ということにもつながる事。

 そういうわけで、一時期そういった小説・マンガを意識的に探していた時期もあります(念のために言っておくと、これはプロレタリア小説云々とは、ひとまず関係ないです。というか、僕は恥ずかしながらブロレタリア小説なるものを一冊も読んだことがないのでよくわからんのです)。有名なところからいくと、例えば宮崎誉子の小説。独特の文体で「フリーター」の仕事について書く彼女の小説は、多くの人が知っているつもりで実は殆ど何も知らない世界を、その世界を描くのに必要な言葉で描くということを見事に成し遂げた作品と言ってよいでしょう。数ある中でも『日々の泡』は特にオススメ。女性のフリーターを扱ったものとしては、さとうさくら『スイッチ』なんてのもありました。もっと男臭い世界を描いたものとしては、秋山鉄『ボルトブルース』という自動車工場のライン労働を扱った小説があります。話がほぼ職場での出来事に終始し、恋愛の話もほぼゼロに近いのに、小説としてきちんとして成り立っていて、しかも読後感もとても良い。同じような読後感を持った小説としては、映画化もされたらしい辻内智貴『青空のルーレット』というのがあって、これは窓拭き労働を扱ったもの。ちなみに窓拭き労働を扱ったものとしては、清田聡『染盛はまだか』というマンガもあったりします。これもなかなか。それからちょっと毛色の違うものとして、夏石鈴子『いらっしゃいませ』は大企業の受付嬢が主人公。目の付けどころも素晴らしいし、一人の女性の仕事・生活に対する期待と不安を実に丁寧に書いてあって、僕は『働きマン』なんかよりずっとこの作品の方が好きです。


 こうして探してみると意外とあるものなんだなあ、と思いもしましたが、それでもやっぱり量としては全然不十分。それに、上に挙げたような作品群は、今度は仕事のことばかりを描いていて、それ以外の経験、ないしはその仕事の外側にある世界とのつながりが見えにくいという難点も抱えています。贅沢な要求かもしれませんが読者は贅沢で良いのです。きっと僕は、働くこと、生活することの細々としたことの描写から、ある特定の地域、ないしは共同体の全体が浮かび上がり、しかもその地域・共同体をすら越えるようなテーマを扱おうとするような小説に出会えることを夢見ているのでしょう。そう、ちょうど中上健次の一連の小説のような。





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最終更新日  2008年03月11日 17時18分02秒
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