読書地図

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2008年03月28日
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テーマ: お勧めの本(8118)
カテゴリ: 読書
「分解して組み立てられるくらいの、単純だが融通のきく構造が、機械にも、社会にも、人間関係にも欲しい、と田辺さんはいつも考えていた。息子や娘とも、もちろん妻ともそんなふうにつながっていられれば、どんなに健全か。単純な構造こそ、修理を確実に、言葉を確実にしてくれるのだ」(堀江敏幸『雪沼とその周辺』)

「地図にない場所」というエントリ を書いたとき、地図にない場所=どこにもない場所=ユートピアだなあと思いつつ、そのことについては書きませんでした。けれども、ファンタジー作品に限らず、多くの小説作品は、ユートピア小説と銘打っていなくともユートピア的な要素を持っているとは思います。例えば北村薫、加納朋子、坂木司等の書くソフトミステリは、作者及びその作品の愛読者たちにとって、「こうであってほしい人間関係」や「こうあってほしい場の雰囲気」のようなものを書いていると思うのです。ライトノベルであれ何であれ、戦闘/戦争ものが好まれるのは、話が作りやすいということもあるでしょうが、そこに必然的に伴う規律のある秩序だった人間関係の場に対する憧れという要素もある筈。そういえば藤本和子さんも、リチャード・ブローティガンの『西瓜糖の日々』をユートピア小説と書いていたような。

 冒頭に掲げた言葉が示しているように、堀江敏幸の『雪沼とその周辺』もまた、おそらくは、そうしたユートピア的な願望を内に秘めています。「雪沼」がおそらくは架空の、「どこにもない場所」であるというだけではありません。その題名通り、雪沼の周辺に住む人々をめぐる7つの連作短編からなるこの小説が全体として描き出すのは、ゆるやかで押しつけがましくはなく、けれどもどこかに確かなものを持っている人間関係なのです。1つ1つの短編がそういう話なのですが、また短編同士が、かすかな、気をつけなければ見落としてしまいそうなほどの、うっすらとした関係でつながっているという構成も、またそうした人と人との関係のあり方のアナロジーであるようにも思えてきます。つまりは、「単純だが融通のきく構造」を持った小説。描かれる1つ1つの人間関係は、決して矛盾や葛藤を排したものではなく、むしろ無骨でごつごつしたようなものですが、少なくともそこには、そうしたものをそうしたものとして引き受けつつ、同時に「言葉を確実にしてくれる」ものを持とうとする意志が見えるのです。


 こんなことを考えながら『雪沼とその周辺』を読んでいる最中に、ふと思い出したのはムーミン谷のことでした。僕はムーミン谷のシリーズもまた優れたユートピア小説だと思っているのですが、そこでいう「ユートピア」とは、やはり矛盾や葛藤のない世界ではありません。しかし、雪沼と同様、ムーミン谷にも、「単純だが融通のきく構造」が確かにある。この連想はおそらく決して突飛なものではないと思います。実際、『おぱらばん』に収められた「のぼりとのスナフキン」で、堀江さんはムーミン谷の住人についてこんなことを書いているのです。

「スナフキンが独立不覊の存在であることは疑うべくもないけれど、旅をつづけて少し顎のあがりかけた彼にもっとも適した濃度の酸素を吹き込んでやる仲間たちの振る舞いの方にこそ、じつはムーミン谷の秘密が隠されているのだ。感情のじかの接触におぼれず、それをゆっくり育てたり修復したりする時間の使い方に、あの連中はいかにも長けている」

 この文章を見つけて、ああ、きっと「雪沼」というのは、堀江さんにとってのムーミン谷なんだな、と僕は一人で得心していたのでした。





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最終更新日  2008年03月28日 16時29分28秒
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