タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

PR

×

Profile

タコ社長1952

タコ社長1952

Comments

タコ社長@ Re:「国高1969」というサイトを作りました(07/19) 「国高1969」管理人さんへ ありがとうござ…
「国高1969」管理人@ 「国高1969」というサイトを作りました あれからもう50年ですね。 時間があればの…
Yuta Kashiwagi @ Re:母と一緒に働いたプラスチック加工工場(08/11) こんにちは 来年からプラスチックの成形販…
タコ社長@ Re:いろいろバランスを取りながら、、、(09/24) 移転しました。 <small> <a href="http:…
タコ社長@ Re[1]:まず、皆さんのご意見を伺いたい!(01/17) 田楽みそさん >社長さん、初めまして。 …

Favorite Blog

今日の散歩 やすじぢいさん

バリの日本食レスト… JLmamoさん
From おおさか mayu0208さん
y'Odare cLub  To… y'Odare cLub. Tomochanさん
ようこそ我が家に ディジュさん
湘南のカモメ 湘南のカモメさん

Archives

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月
2008年02月23日
XML
テーマ: 海外生活(7812)
カテゴリ: 移住模索期
「タコさん、賄いができましたよ。」中国人のヤンさんは日本語が達者だった。勤めていた日本食レストランが閉店した後、このヤンさんが作ってくれる賄いが本当にいつも美味しかった。大体は、中華料理だったが、特にナスの味噌煮なんかアッという間に作ってくれる。実は、これは今、私の作る限られた日本食の一つになっている。そして、残ったものはパックに入れて持ち帰って、翌日の朝ごはんになった。1985年、永住権を求めて働いていた頃のことだ。

レストランのあったサウスヤラから、フラットのあるトゥーラックに歩いて帰る。行きも帰りも30分ずつかけて歩いた。トラムに乗るのがもったいなかった。金は極力使わないようにしていた。

金曜、土曜は帰りがいつも1時を回っている。メルボルンの青山六本木と私が勝手に言っているサウスヤラとトゥーラック、カフェなどはまだにぎやかだ。歩道に置かれたテーブルの横を通る。酒に酔った人たちが大声で騒いでいる。私は、今もらった暖かい残り物の賄いのパックをしっかり抱えて、人にぶつからないように歩いて帰る。若い金髪の女性達も目につく。きつい香水の匂いが追ってくる。皆、楽しそうに話している。私は、どっからみてもうらぶれた仕事帰りの背の高いアジア人だ。できるだけ早く通り抜けて歩いてフラットに帰った。道の反対側を通れば静かに帰れるのに、どういうわけかわざとそこを毎晩通ることにしていた。

週75ドルのフラットに着くと、そこは全く一人の空間だった。貰ったテレビを見ながら、これも貰った丸テーブルでビールを飲む。疲れているから余計なことは考えずにそのあとすぐに寝る。来る日も来る日も同じパターンが続いた。

だが、不思議と不安とかはまったくなかった。何の保証もなかったが、必ず永住権が取れると信じていた。これにはなんの根拠もなかった。33歳にもなって本当に楽天的に自分の将来を夢見ていた。物事を憂いたり、悲観し過ぎる人間だったら今私はここにいなかったかもしれない。ただ、皿洗いをし過ぎて手の皮がベロベロと剥けることが気になってしかたがなかった。それを、手紙で親に伝えたら日本からどっさりと「ニベヤ」のクリームが届いた。両親のためにも永住権を取ってしっかりとオーストラリアでやっていこと思っていた。










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008年02月23日 21時19分30秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: