タコ社長,オーストラリア・メルボルンのスローライフな日々

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テーマ: 海外生活(7813)
カテゴリ: 忘れられない人々
「豆腐屋のおにいちゃんったらね、ほんとうに失礼しちゃうわ。前の家の今井さんの奥さんのことはちゃんと奥さんっていうのにね、わたしのことオバサンだって。失礼しちゃうわね。もう、買うのよそうかしら。」


それまで、山形出身の親切ないいおにいちゃんだと褒めていたのに、この日を境に母はこの豆腐屋にあまりいい顔をしなくなった。10歳くらい年下の今井さんの奥さんと張り合っても仕方ないと、私は子供心にはそう思っていたが。まして、今井さんの奥さんは京マチ子風の色気のある方で、豆腐やのおにいちゃんも気があったのかもしれない。

「おねえちゃん、元気になって本当に良かったって言われたよ。」
戦争中から戦後にかけて、母は秋田出身の従兄弟の家に住んでいた。家は、世田谷の経堂にあった。ここの家の子供たちは、もう皆70歳に近いが、いまだに母のことを「おねえちゃん」と呼ぶ。こういう言い方は、一生付いて回るからこれからも変わらない。

母はなんだか、この「おねえちゃん」という言葉が好きなようで、この言葉を発するときは若干オクターブが上がるように聞こえる。母の青春を過ごした世田谷の家の生活がこの言葉にもしっかりと込められているのだろう。

タコ社長、ちょっと前まではこちらで日本語教師をしていた。英語を母国語にする人たちに日本語を教えていた。勉強して初めて知ったことも多く、また驚かせられることの連続でもあった。日本語の人をさすときの代名詞の多さ、というよりこれは無限に作り出されてしまう。こんなこと一つとっても、興味が尽きなかった。

「奥さん」も「オバサン」も、そしてこの「おねえちゃん」も日本語だからこその機微がある。英語だったらどうなるのだろうか。名前とかになるのだろうか。

母が、アイダホ生まれのアメリカ人とかじゃなく、秋田県仙北郡生まれの日本人で本当に良かったと思うのは、こういう日本語の懐の深さを見せ付けられるときだ。



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Last updated  2009年01月19日 21時21分26秒
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