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kobatake toshiko

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2007.08.06
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カテゴリ: プライベート
今日は8月6日。


父は登校途中、被爆し、生死をさまようほどの大やけどを負い、
(原爆被爆者援護法第一条、第一号に認定され原爆手帳を貰っています。)
母は原爆投下翌日、動員で広島市内に入り、死傷者の救援をしたそうです。
汚染された空気を吸い、激しい嘔吐に苦しみ、原爆被爆者手帳第二号を貰っています。

従って、私と兄は被爆二世です。

父は原爆に関してほとんど口にすることはなく、
あえて言えば、体の三分の一を火傷したにもかかわらず、


被爆50年が経ち、原爆の体験を記録すべきだ、と沢山の方に薦められ、
父の記憶から、ずっと消し去ろうとしていた当時の実状を、
やっと記録に残してくれました。
そのことで、初めて私たちはあの日の悲劇を知ることができました。

誰が悪い、と指を差すことが目的ではなく、
歴史上の事実を生の声で正確に伝え、
二度と同じ過ちを起こさないためにも、
世界の人に原爆の残酷さを認識してもらうため、
被爆2世として、この記録を英訳することが私の義務だと確信しました。

現在、父の原爆被爆の記録の日本文原本及び英訳はロンドンの帝国戦争博物館と
ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館に収められています。


『教科書で読んだ歴史上の出来ことが、こんなに近く感じるとは。
こんな貴重な資料を読ませてくれて有難う』
『涙が流れて止まらなかった』
『常に平和で暮らしたい』
『お父さまに宜しく』



『あのお陰で第二次世界大戦は終ったんでしょ?』
と言う50代の方も。

弁論クラブに所属した頃、父の被爆体験をスピーチにしました。
この議題でスピーチをする、と友だちに話したら、
『当時、敵国だった人たちを前に、良くも勇気があるね!』と言われましたが、
皆、真剣な顔で熱心に聞いて頂き、涙する方もいらしゃいました。

原爆の後遺症がいつ出るかわからない、という不安はありますが、
今日も元気で暮らせる幸せを実感します。

私は人生の半分近くをアメリカやイギリスで暮らしていますが、
日本との繋がりを強く感じます。
被爆二世として、微力ではありますが、今後も平和を呼びかけて行きたいと思います。

p.s.
もしも、父の記録を英訳でも読みたい、とおっしゃる方がいらしたらご連絡下さい。
Eメールでお送り致します。
父の原本もコンピューターのどこかにあるそうですが、
今はお習字の展覧会の準備で忙しいらしいです!x





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最終更新日  2007.08.06 07:32:35
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