広義の脱DV・幸せな暮らしをめざすメンズリブサポート岡山 世話人・丹原恒則の日誌
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久しく妹家族と暮らす両親ですが、先日、母が救急入院して点滴などをしてもらい命をとりとめ、緩和ケアを受けることになり、ソファーベットに泊まれるので月曜から木曜まで、兄であり息子である私が付き添い申請をしたところ、水木の一泊二日の自宅への一時帰宅・外泊の許可が主治医と看護師長さんからおり、付き添いを体験しました。生きているものは、いつかは亡くなるものです。生命とは、そういうものです。親子の関係においても、命ある親は、いつかは子のもとを去る。順序が逆になることもあります。命の面白いところは、子には親の遺伝子が継承されていることで、子の存在の中に親は生き続けているといえそうです。肉体的な個体としての親は亡くなっても、子の遺伝子の中に親は継承され生き続けている、と思えます。孫についても同じようなことが言えそうです。御爺ちゃん御婆ちゃんの遺伝子は孫に存在のなかにも継承されている…おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、まご、といった関係が、なぜか親密でフレンドリーな関係になるのは、この遺伝子の継承、命のバトンタッチ、心身のリレーが影響している感じがします。個々の個体は、親から誕生し、成長して、人生を歩み、亡くなったとしても、子や孫がいるなら、その存在のなかの遺伝子として、生きつづける…親にたいして子や孫は、見送る立場に置かれたとしても、不在や喪失を悲しむことはなく、命ある間の苦楽にたいして、ごくろうさま、といった受け止め方をすれば良いような気がします。私が今居るのは、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんが、居てくれたからで、私をこの世に存在させてくれて、ありがとう、ということだと想います。
2016.06.23
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