歎異抄を学ぶ

歎異抄を学ぶ

2007年08月27日
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カテゴリ: 私の感想・反省点
今からちょうど2ヶ月前の今日の話だが、こんな話を常飯の先のおうちの方とした。

人は何故、生きているのか?
という話を。

私の結論とその方の結論が全く同じだったので印象的だっただけにここに記載しておく。

ただ、2ヶ月遅れになったのには深い意味はない。

人は生かされているということが前提にあるのだが、我々がその時、話していたことは、生かされているというのは、何らかの使命を持って人は生かされているというものである。

つまり、人は偶然、生まれたわけではなく親・育つ環境を自分で選べないように、何らかの因果でこの世に生を受けた。

もちろん、この生は限りがある。
その限りある生の中で自分のためだけでない世界に他人に大小問わず何らかの影響を与える存在として生まれてくる。



つまり、誰一人、価値のない人間はなく、自分が勝手に価値がないと思っていたとしてもそれは大きな間違いであり、事故死を仮にしたとしてもそこから他人に何らかの教訓を与えるように我々には個々の使命がある。

我々にとってその自分に分からない使命を果たせていないから生きていると思った方がいいのではないかという話になった。

実際、私が今こうして生きているのも、まだ果たさなければならない何らかの使命が果たせていないからに相違ない。

あなたもそうである。

幼くしてなくなる命、自殺という形で生をまっとうしないもの、寿命まで生きたもの、病気でなくなったもの、誰をとっても一人で生まれてきたものはいない。

誰にも必ず二人の親がいて、その者とのつながりを決して絶つことは出来ない。

だからこそ、生かされている身なのだ、我々は。

生も死も誰かには教訓であり、教えであり、導きなのだ。

我々は今日もまだ生きている、いや生かされている。

果たさなくてはならない使命に気づかないで。

という話をした。





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最終更新日  2007年08月27日 20時42分01秒
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