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乾山記念碑(清水寺境内)清水寺の境内の一画に「乾山記念碑」があります。江戸時代の陶芸家、尾形乾山(けんざん)を顕彰して建てられた碑です。画家の尾形光琳は、六歳年上の兄です。陶芸家、野々村仁清(にんせい)に学び、京焼の発展に貢献しました。乾山が器を作り、兄の光琳が絵付けをした合作も多いそうです。仁清記念碑(清水寺境内)近くには、野々村仁清を顕彰する記念碑もあります。野々村仁清は、色絵京焼を完成させた人と言われています。
2015年07月06日
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京阪の寝屋川市駅は、1997年の上り線に続き、1999年11月20日には下り線も高架化されました。その後さらに駅前が整備され、東西2ヶ所の駅前ロータリーもずいぶん立派になっています。西側ロータリー(タクシー)上の写真は、西側ロータリーの北寄りにあるタクシー乗り場周辺です。西側道路かつては西側の道路は狭く、バスの出入りにも苦労をしていたようですが、いまではきれいに整備され、ずいぶん通りやすくなりました。西側バス乗り場西側の南寄りに、バス乗り場があります。屋根が設置され、雨の日でも濡れずに乗り換えることができます。東側ロータリー上の写真は東側のロータリーです。こちらは「ロータリー」と呼ぶにふさわしい規模で、バスやタクシーが並んでいます。自家用車を停めるスペースはほとんどないと思うのですが、ひっきりなしに自家用車も入ってきます。同上同上同上上の3枚の写真は、道路を跨ぐ歩行者用通路から撮ったものです。
2009年07月27日
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中書島駅のホームをつなぐ跨線橋です。3枚目の写真は4番線です。地下通路は、4番線の手前で5段の階段があります。4番線は早朝のみ(平日2本、土日1本)で、それ以外は客扱いの列車の発着はありません。かつては宇治発の列車がここで折り返して三条方面へ直接乗り入れていましたが、2006年のダイヤ改定で直通運転は無くなりました。しかし、日中、このように大阪方面から4番線に入ってくる回送列車が見られます。もちろん4番線は8両編成には対応していませんから、ホームをはみ出した状態で停止します。競馬開催日など、淀始発の臨時列車が運転されます。かつては淀駅に大阪方面への始発ホームがあり、淀車庫から直接入れたのですが、橋上駅になってからはいったん中書島まで回送でやってきて、ここから折り返して出て行くことになりました。
2012年05月06日
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京阪・枚方市駅の東改札口です。東改札口(外側)コンコース東改札口も駅舎の2階にあります。中央改札口ほどではないですが、まずまずの広さのあるコンコースです。駅の北口と南口、どちらにでも出られます。FMひらかた改札口の正面には、枚方市に本社があるコミュニティFM局「FMひらかた」のサテライトスタジオ「ミルキーウェイ・スタジオ」、略してミルスタがあります。ときどき生番組を放送しています。ちょうどいま、生放送中なんですけど、立ち止まって聞いている人がいませんねえ。ミルキーウェイとは、天の川のこと。近くを流れる天野川だけでなく、枚方市から交野市にかけては、おり姫やひこ星にちなんだ地名や伝説(?)があります。北河内周辺に住んだ渡来人との関係も指摘されています。サービスセンターミルスタの左隣には、枚方市役所の「市民課サービスセンター」があります。ここは土日も開いていて、住民票の写しとか印鑑証明などを発行してくれます。市民ふれあいセンターミルスタの右隣は、「市民ふれあいセンター」です(というか、ミルスタが間に割り込んでいるだけで、中でサービスセンターとふれあいセンターはつながっているんですけどね)。ここは枚方文化観光協会が管理運営しており、中ではオリジナルグッズや観光マップなどの販売もしています。枚方といえば「くらわんか」。淀川を行き来する三十石船に小さな船(くらわんか船)で近付いて、乗っている旅人に「餅くらわんか、酒くらわんか」と呼びかけたところから、「くらわんか」=枚方の代名詞のようになっています。このふれあいセンターのHPを見ていたら、「くらわんこ」という犬のゆるキャラが載っていました。うーん、知らないなあ。ふれあいセンターの右には、京阪ザ・ストアの2階入口があります。吉野家コンコースの北寄りに、吉野家があります。高架化されて現在の駅舎が出来た当初は、ここには立ち食いそばの店、「比叡」があったと記憶しています。東改札口(ラチ内)上の写真は、改札内から外側を見たところです。アンスリー改札内には、こちらにも「アンスリー」があります。店の規模は小さめです。
2009年10月15日
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京阪電気鉄道 伏見桃山駅京都市伏見区両替町4丁目(京阪のHPでは「京橋3丁目173番地」)伏見桃山駅は、明治43年(1910年)4月15日、京阪本線の開業と同時に設置されました。かつては急行が停車していたこともあるようですが、現在は普通と準急のみが停車します(準急は、京橋~萱島以外は各駅停車です)。駅は2面2線の地上駅です。ホームの長さは7両編成までで、京阪の優等列車(8両)には対応できません。 ホームの両側に踏切があり、これ以上、ホームを伸ばせないようです。上り京都方面ホームの大阪寄りは、かなり苦労してホームを延伸したようで、かなり細い部分があります。優等列車はこの駅を通過していくのですから、かなり危険ですね。ホームの端には、いつもの駅名標が立っていました。改札口は地下にあります。地下の改札口の内側と外側です。
2012年07月07日
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菅大臣(かんだいじん)神社京都市下京区仏光寺通新町西入ル菅大臣町京都市営地下鉄・四条駅より西へ徒歩約5分学問の神様・菅原道真公の生誕の地と伝えられています。創建の時期は不詳とされていますが、鎌倉期にはすでに存在したようです。慶長19年(1614年)に再興されて現在に至っていますが、再興後も何度か火災で焼失したことがあるようです。現在の本殿は、もと下鴨神社の本殿だったもので、明治2年(1869年)に移築したものだそうです。「生誕」の地なのですが、「降誕」というのは神様だからですね。「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地でもあります。
2016年01月23日
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中書島駅の4番線の淀屋橋寄りに、下りの階段があります。この階段を降りたところに南改札口があります。南改札口は平成16年(2004年)に新設されました。改札を出たところにバスターミナルがあります。南改札口と同時に設置されました。停まっているバスは近鉄大久保行きの京阪宇治バスです。中書島駅は地上駅ですが、南改札口は少し低い位置にあります。タクシー乗り場も見えています。
2012年05月12日
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東福寺の西側には3つの門が並んでいますが、その真ん中が「中門(または中大門)」です(上の写真)。桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっています。中門から東に歩いていくと、今度は日下門があります(上の写真)。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になりました。日下門から境内に入ると、正面に本堂や方丈、庫裡が見えます。それらの手前を左に曲がったら、左手に経蔵があります(上の写真)。東福寺の開山(初代の住持職)である聖一国師(しょういちこくし)は、宋から一千余りの典籍を持ち帰ったそうで、現在なお、宋の時代の書物などが数多く所蔵されているとのことです。現在の経蔵は江戸時代に建てられたもので、やはり京都府指定文化財です。
2013年11月24日
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日暮里・舎人ラインの見沼代親水公園駅から折り返し、熊野前駅まで戻ってきました。ここは都電・荒川線との乗り換え駅であります。熊野前駅 駅舎上の写真は、日暮里・舎人ラインの熊野前駅です。「04」の駅番号が付けられています。右側に見える高架橋(熊野前陸橋)は尾久橋通り(都道58号台東鳩ヶ谷線)で、都電およびその併用道路と立体交差しています。「熊野前陸橋」都電「熊野前」駅同上早稲田方面の駅は道路内にあります。三ノ輪橋方面の駅は、尾久橋通りをはさんだ反対側にあります。7000形7500形7000形と7500形は、吊り掛け駆動方式です。ラッピング車両9000形上の写真、あせって撮ったので、はみ出してしまって失敗作品なんですけど、9000形(9001、宝くじ号)という希少価値のある車両ですので、載せることにします。レトロなイメージで新造された車両です。7022号車7000形ですが、平成17年に、昭和50年代の塗装を復活させた車両です。現在ではこの車両だけになったそうです。今年から導入された8800形には出会えませんでした。新しいデザインを楽しみにしていたのですが、少し残念でした。その一方で、7500形は2011年度までに8800形に置き換えられる予定だそうです。古いものを大切にしながら、いつまでも走り続けて欲しいものです。
2009年12月13日
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「星の里いわふね」の敷地内を歩いてみました。案内地図施設内にある地図を見ると、けっこう広いようです。ロッジ同上研修センター外装の工事中でした。ホームページでは、プラネタリウムは老朽化のため平成20年に閉鎖したと書かれています。この場所にあったのでしょうかねえ。平成4年にオープンですので、ちょっともったいない気がします。陶芸窯の小屋窯を貸してもらえるそうです。右奥がバーベキュー場です。炭焼き小屋炭焼き窯窯は貸してもらえるそうです。だれが使うのでしょう。おやおや、「落石のため立入禁止」と書かれています。敷地内には「野生の猿が出ます」といった注意書きもありました。これが「自然」なんでしょうけどね。「登山道」頂上まで15分、と書かれていました。15分か、、、上がってみましょうか。山頂付近頂上までず~っと階段の連続。けっこう厳しかった(笑)。山頂からの景色一気に上がってきた頂上からの眺めは、心地よいものです。交野市内から枚方市内、遠くには淀川の対岸・高槻や茨木の山々が見えています。画面のほぼ中央、左右に白く長い線が走っているのが第二京阪道路です。頂上の先に、、まだ道は続いているようなのですが、、、、この辺りで折り返したほうがよさそうです。
2010年04月05日
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京阪の門真市駅は橋上駅です。 改札口(内側)ずいぶん天井が高いですね。ホームの上に駅舎や道路が覆いかぶさるようにして暗いイメージがあるのですが、上の駅舎のほうはずいぶんと明るく感じます。改札口(外側)改札を出ると自由通路で、線路の南北どちらにでも出ることができます。南側通路改札を出て左に曲がると、地上に降りることなく大阪モノレールの門真市駅とつながっています。 上の写真は、途中で振り返って撮ったものです。中央の奥、右側に改札があります。写真左手に行くとモノレールの駅です。モノレール・門真市駅大阪モノレールは、営業距離世界一のモノレールとしてギネスブックにも乗っているそうです。
2009年05月04日
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小田急電鉄の片瀬江ノ島駅から歩いて10分ほど、「湘南すばな通り商店街」を通り抜けて、再び江ノ島電鉄の江ノ島駅に戻ってきました。江ノ島駅近くの踏切↑江ノ島駅の近くの踏切をホームから撮った写真です。右手に行くと湘南モノレールの湘南江の島駅へ、左手に行くと商店街を過ぎて小田急電鉄の片瀬江ノ島駅へと続きます。そしてもうひとつ、正面奥へ続く道があります。別角度から見た同踏切江ノ島駅を発車したところの1500形「S.K.I.P号」です。踏切の向こう側に見えているのが江ノ島駅の駅舎です。そうです、この踏切は、踏切内で三叉路になっているのです。遮断機も三ヶ所に設けられています。そして驚いたことに、下の写真の私の居る場所から踏切に入った軽トラックは、右折、つまり写真右手の方へと鋭角に曲がっていきました。一度で曲がりきらず、踏切内で切り返しをしながら!恐るべし!です。
2008年03月19日
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6000系京阪の6000系は、1983年に登場し、現在112両が在籍しています。京阪で一番の大所帯です。光善寺駅にてそれまでの京阪の車両のイメージとはまったく異なり、正面に貫通扉がなく、大きな2枚の窓が採用されました。正面の大きな窓、そして黒っぽい窓周り。このあとに新造された7000系以降、最新の新3000系へと至る京阪の車両のデザインに大きな影響を与えました。傾斜した正面ガラス京橋駅にてローレル賞6000系は、1984年にローレル賞を受賞しました。
2009年02月08日
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京阪・門真市駅です。駅名標昭和46年(1971年)6月20日、「新門真駅」として現在の場所に開業しました。ここから西に500メートルの位置には、「門真駅」がありました。昭和50年(1975年)3月23日、新門真駅は名称を「門真市駅」に変更。同時に、門真駅は廃止され、旧・門真駅から西200メートルのところに「西三荘駅」ができ、現在に至っています。ホーム(淀屋橋方向)中央環状線との交差京阪の複々線区間はほとんどが高架もしくは盛り土ですが、門真市駅付近だけは立体交差のために地上を走っています。上の写真は淀屋橋方向(西向き)を撮ったものです。ホームの西半分は上を覆われている状態です。手前から順に、駅舎(橋上駅)、大阪モノレール、大阪中央環状線(府道2号線)南行き(3車線)、近畿自動車道(上下各2車線)、大阪中央環状線北行き(3車線)です。立体交差上の写真は、京阪の線路を背にして、北向きに撮ったものです。右上空がモノレール、線路を跨ぐために上っている道路が中央環状線(南行き)、青いラインが入っている道路が近畿自動車道です。平成9年(1997年) 8月22日、モノレールが南進して門真市駅まで延長され、大阪空港(伊丹空港)までが1本につながって、たいへん便利になりました。
2009年05月03日
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さて、休止しておりました京阪沿線の旅を再開します。今日は萱島駅です。駅名標萱島駅の開業は明治43年(1910年)4月15日、つまり天満橋~五条(現清水五条)間が開通した当初からある駅です。ホーム駅は島式ホーム2面4線。上の写真は京都方面に向いて撮ったものです。左側から順に1番線、2番線(左側のホームで京都方面行き)、3番線(右側のホームで大阪方面行き)、写っていませんがさらに右側が4番線です。大阪方向京都方面行きホームから大阪方向に向けて撮ったのが上の写真です。内側が急行線(A線)、外側が緩急線(B線)で、天満橋駅まで複々線が続いています。入線待ち京都方向には寝屋川車庫があり、萱島駅を始発とする列車が地上にある車庫を出て入線してきます。上の写真は、まだホームがふさがっているので入線待ちで停車している7000系、淀屋橋行き普通です。萱島駅から京都方向は、外側の2線が寝屋川車庫への出入りに使われ、本線から離れて地上に下りていきます。複々線区間は天満橋~寝屋川信号所間となっていますが、見た目には萱島駅を出たところで終わりです。
2009年07月04日
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京阪の野江駅は、京阪本線の開通と同時に営業を始めた駅です。当初は、現在の地下鉄谷町線・野江内代(のえうちんだい)駅の近くにあったようです(詳しくは分からないんですけど)。開業当時、蒲生駅(現在の京橋駅)から守口駅(現在の守口市駅)付近までは、現在よりも西寄りを通っていました。とくに野江駅から森小路駅の辺りまでは、「京街道」と呼ばれる昔の街道筋沿いに走っていたそうです。昔の街道は、ところどころわざと曲げて作られています。とくに顕著な箇所は「七曲がり(ななまがり)」と呼ばれることもあります。このような道の形状は宿場の出入口や武家屋敷などでよく見られ、敵の進攻を阻止するためだということです。この辺りは「野江の七曲がり」とも呼ばれていたようです。榎並小学校東側(北向き)上の写真は地下鉄谷町線・野江内代駅近くにある榎並(えなみ)小学校前、東側の道路を北向きに撮ったものです。京阪の旧線はこの辺りを走っていたのではないかと思っています(違っていたら教えてくださいね)。野江4丁目付近榎並小学校の東側の道を北に向かうと、大きな通りに出ます。その地点から、来た道を振り返ったところです。上の写真の右側が大通り、左側が今来た道、つまり旧線と思われる道です。京阪がどこまで忠実に京街道に沿って走っていたかよく分かりませんが、カーブが多くてスピードアップができなかったのは事実みたいです。1931年、蒲生駅~守口駅間が専用軌道化されて直線ルートになり、同時に野江駅は現在の場所に移りました。1933年には複々線化されました。このときの輸送力増強が、現在の京阪の礎(いしずえ)となっています。
2009年03月20日
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京阪の守口市駅には、東西2つの改札口があります。東改札口まずは、メインとなる東改札口です。ここは2階、ホームが3階になります。東改札口北側東改札口から階段を下りると、南北両側に向いて出口があります。東改札口南側南側にはバスやタクシーのロータリーがあります。上の写真の「エル守口」と書かれたあたりから右側が入口になります。停まっているバスは京阪バスで、関西空港行きのリムジンバスです。
2009年04月13日
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お久しぶりです。久々の東京方面への出張。出張がないとネタがなくて、ここが寂しくなってしまいます。22日、予定より1本早めの「のぞみ」で新横浜に到着。今回は新横浜から桜木町に向かいました。例によって駅撮り中心の写真であんまり変わりばえしませんけど、お付き合いください。現在、横浜線は205系だけしかいないようで、快速がたまに来ること以外、あまり変化がありません。行き先表示幕の地色が緑色なのが、特徴的です。↑すぐにホームに入ってきたのが205系桜木町行き普通電車。素直に乗り換えればほとんど待ち時間なく桜木町に向かえたのですが、そんなことはまったく考えず、さっそくデジカメを取り出してまず1枚。桜木町行きを見送って、次の電車を待つことに。横浜駅のひとつ手前、東神奈川駅までが横浜線です。その先、京浜東北線に乗り入れているのですが、次の電車は残念ながら(いや、幸いながら)東神奈川駅止まりでした。そこで、東神奈川駅でも合間にパチリ。↑東神奈川駅で折り返すために停車中の205系、八王子行きです。↑八王子に向け、出て行きました。京浜東北線はATC、横浜線はATS-Pなので、出発信号の下に、切替の指示が表示されています。やがてやってきた京浜東北線の209系に乗車。↑横浜、桜木町、と2駅だけ乗って下車。桜木駅のホームで209系(磯子行き)を見送りました。横浜から先は、京浜東北線ではなく根岸線なんですけど、行き先表示の右側は「京浜東北線」の表示のままです。京浜東北線(大宮~横浜)は全線ATC(南浦和~鶴見間はデジタルATC)ですが、桜木町から先は、ATCを装備しない貨物列車が交じるので、自動閉塞式になっています(ATC装備車はATCでバックアップ)。↑こちらは、桜木町で折り返す八王子行き快速です。「横浜線」と入っているところが赤い「快速」の表示に変わっています。↑は桜木町からパシフィコ横浜に向かう途中にある横浜ランドマークタワー。高さ296mは日本一とか。69階(タワーは70階まである)に展望台があるのですが、いつも横を素通りしてしまいます。↑は「よこはまコスモワールド」の観覧車と、「日本丸メモリアルパーク」の帆船「日本丸」です。さて、そろそろ仕事に向かいます。続きはまたのちほど。
2006年11月23日
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京阪・丹波橋駅には、北口と南口の2ヶ所に改札口があります。まずは北口へ行ってみましょう。地上のホームから降りたところに北口の改札口があります。かつては地上にあって、構内踏切も存在したそうです。昭和62年(1987年)、8両編成に対応するためホームを延長するときに廃止されました。シンプルな改札口です。ラチの外側は自由通路になっていて、線路の両側に出られます。
2012年11月15日
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京阪・枚方市駅の改札口は2ヶ所にあります。コンコース上の写真は中央改札口前のコンコースです。駅舎の2階にあります。ゆったりとしたスペースですが、ラッシュ時間帯には大勢の利用客で混雑します。京阪百貨店改札口の向かい側は、京阪百貨店枚方店の2階部分への入口です。中央改札口(外側)同上上の2枚の写真、どちらも中央改札口なのですが、下の方は今年の1月に撮ったものです。右隅に写っているのは「ジューサーバー」です。改札のラチ内とラチ外の両方にまたがって設置されていましたが、現在では、ラチ内だけに縮小されています。ラチ外のほうは敷地が統合されてユニクロに変わりました。中央改札口(ラチ内)上の写真は9月末に撮ったものです。ジューサーバーとユニクロが並んでいます。同上インフォステーション改札機に並んで、「けいはんインフォステーション」と書かれた場所があり、ここに係員がいます。最近、こういう形式の駅が増えてきたように思えます。「アンスリー」最近は駅ナカでも「売店」ではなくてコンビニが増えましたね。アンスリーは当初、京阪、南海、阪神の3社が共同で展開していたコンビニの名前です。Keihan、Nankai、Hanshinの3つの「an」をとって、「an3」(アンスリー)となったそうです。現在は、阪神が阪急と統合されたため、運営会社は京阪と南海の2社です。でも、アンツーとはならないようです(笑)。「神戸屋」アンスリーの隣にあるのは、フレッシュベーカリー「神戸屋」の店舗です。パンの神戸屋の直営店です。美味しそうなパンが並んでいます。神戸屋は神戸の会社と思いきや、阪急京都線の上新庄駅近くに本社があります。寝屋川市の摂南大学の西側にも工場があります。(すみません、ずいぶん話がそれてしまいました)
2009年10月14日
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東海道本線(JR神戸線)住吉駅にて撮影 2024年7月26日写真上:0番台 H1編成 普通 高槻行き写真下:2000番台 S66編成 普通 西明石行き
2024年07月29日
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京阪の萱島駅のもう一つの改札、西口改札です。西口改札(内側)東口にはバスやタクシー乗り場があるのですが、改札口は西口のほうが大きいようです。西口のほうが駅前の商店街にも近く、利用者も多いのかもしれません。西口改札(外側)西口南側出入口西口の南側には、飲食店やパチンコ店、高架下にも薬屋などが入り、狭い通路ですが、買い物客や通行人もけっこう多いようです。道路は西から東への一方通行になっており、自動車は歩行者や自転車に神経を使いながら、徐行して通っています。西口北側出入口上の写真、歩行者用信号機の向こう側は門真市域になります。萱島駅のホームは一部門真市にも入っています。
2009年07月08日
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