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また、京阪沿線のぶらり途中下車の旅を再開します。独立行政法人国立病院機構 京都医療センター京都市伏見区深草向畑町京阪本線藤森駅より南東へ徒歩7分現在、39の診療科、600床の病床を持つ大規模病院で、一日当たり1300人以上の外来患者を診察しているそうです。 かつては国立京都病院と呼ばれていました。いまでも交差点の名前は「国立病院前」です。「京都陸軍病院趾」の碑京都医療センターは、明治40年(1907年)の陸軍衛戍(えいじゅ)病院がその前身です。「衛戍病院」というのは、「衛戍地」すなわち軍隊が長く駐屯して防衛する場所に建てられた病院のことです。昭和20年(1945年)、国立京都病院に継承されました。京都医療センターの裏手には、かつて陸軍病院であったことを示す碑が立っています。
2013年05月20日
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中書島駅のホームをつなぐ跨線橋です。3枚目の写真は4番線です。地下通路は、4番線の手前で5段の階段があります。4番線は早朝のみ(平日2本、土日1本)で、それ以外は客扱いの列車の発着はありません。かつては宇治発の列車がここで折り返して三条方面へ直接乗り入れていましたが、2006年のダイヤ改定で直通運転は無くなりました。しかし、日中、このように大阪方面から4番線に入ってくる回送列車が見られます。もちろん4番線は8両編成には対応していませんから、ホームをはみ出した状態で停止します。競馬開催日など、淀始発の臨時列車が運転されます。かつては淀駅に大阪方面への始発ホームがあり、淀車庫から直接入れたのですが、橋上駅になってからはいったん中書島まで回送でやってきて、ここから折り返して出て行くことになりました。
2012年05月06日
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京阪の寝屋川市駅の西側にある「ベル大利商店街」の辺りまでやってきました。商店街横の石碑商店街から横に入った道の脇に、石碑が立っていました。右側に小さく「友呂岐悪水路」と、真ん中に大きく「悪水井路」と書かれています。「路」の下にまだなにか文字がありそうです。「址(あと)」かな??「悪水」は排水のこと。「井路」は用水路のこと。実はこの石碑の右手の建物は、友呂岐水路の上に建っています。商店街を歩いていると水路には気付かないかもしれません。ベル大利商店街にほど近い場所に、何やら舟のようなものが置かれています。三枚板舟説明板これは、現存する「三枚板舟(さんまいだぶね)」を参考に製作したレプリカで、実物よりは一回り小さいそうです。これまでにも何度か話題にしましたが、こんな舟が交通手段として使われていたんですね。この舟を三枚板と呼ぶのは、船底を昔は三枚の板で張っていたためと言われています。
2009年07月20日
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「御香宮前」交差点京都市伏見区御香宮門前町京阪本線 伏見桃山駅より徒歩4分御香宮神社の境内の東側には、国道24号が通っています。南東角の交差点は「御香宮前」交差点で、大手筋通りと交わっています。大手筋は、かつては山科へと通ずる街道だったそうですから、人通りも多かったのでしょうね。こちら側にも鳥居が建っています。なかなかに趣きがあります。これから境内を散策してみようと思います。
2012年10月22日
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再び、京阪電気鉄道・神宮丸太町駅付近に戻ってきました。途中下車の旅を続けます。鴨川左岸(東側)を走る鴨東(おうとう)線(三条~出町柳間、2.3km)の中間駅である神宮丸太町駅は、丸太町通と川端通の交差点の地下にあります。地上に出るとすぐ目の前に、鴨川の風景が広がっています。丸太町橋琵琶湖疎水の流入口神宮丸太町駅のすぐ下流には、琵琶湖疎水の流れが鴨川に注ぎ込む合流点があります。疎水上流を臨む下流には二条大橋がもう少し下流に行くと、川の両岸をつなぐ「飛び石」があります。簡単に渡れそうにも見えますが、踏み外すとたいへんですので、気を付けてください。ちなみに、私が見ていた間に対岸まで渡った人はいませんでした。飛び石ちなみに、飛び石があるのはここだけでなく、情報によるとほかに4ヶ所(荒神橋付近、出町柳駅近く、京都植物園近く、西賀茂橋下)。みそそぎ川「みそそぎ川」は、丸太町通の下で鴨川から分かれて右岸(西側)を流れ、五条で鴨川に戻る運河です。鴨川より高い位置にあり、途中、二条付近には高瀬川への導水口があります。鴨川の治水工事で川底が低くなったため、高瀬川への水路として作られたのだと思います。三条付近では、夏には鴨川の「床」が見られますが、正確にはこの「みそそぎ川」の上に張り出しています。蛍が生息しているとも言われています。
2018年03月09日
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三川合流地点一帯は、昔から洪水の絶えない場所でした。地形を見てもある程度は想像がつきますが、おそらく実際の苦労は私たちの想像をはるかに超えていることでしょう。八幡市の御幸橋の中間地点のすぐ東側に、その苦労が偲ばれる記念碑があります。記念碑上の写真、背景は男山と木津川右岸の堤防です。同上上の写真は、記念碑の正面です。後ろは宇治川左岸の堤防です。つまりここは木津川と宇治川に挟まれた場所です。碑には「八幡美豆耕地整理記念碑」と書かれていました。「美豆(みず)」は、当時の「美豆村」です。綴喜郡(つづきぐん)美豆村は、昭和10年(1935年)に久世郡淀町に編入、淀町は昭和32年(1957年)に京都市に編入、現在は京都市伏見区になっています。地図を見ると、京都市伏見区の南端は、久御山町と八幡市の間に割り込むようにして、宇治川と木津川の間の一部を占めています。この辺りが「美豆村」だったように思えます。江戸時代、木津川は現在より北を流れ、淀城の辺り(京阪本線淀駅近く)で宇治川と合流していました。つまり、かつての美豆村は木津川左岸(八幡町と同じ側)に位置していたようです。明治3年(1870年)、まず、木津川が付け替えられます。碑が立っている辺りは、付け替えによって木津川右岸(木津川の北側)になってしまった場所です。さらに明治35年(1902年)、宇治川が付け替えられ、現在の京阪・淀車庫の辺りは宇治川右岸(宇治川の北側)になってしまいました。淀川三川の流れが確定し、「淀川改良工事」が完成したのが明治43年(1910年)です。まさにその年の4月、京阪本線は開業しました。同上(裏面)碑の裏面には「大正十五年五月建立 建碑発企 地区内耕作人有志者」と書かれていました。河川の付け替え工事のあと、木津川の右岸になった土地の整理を終えた記念、ということのようです。
2011年01月23日
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京阪・交野線とJR学研都市線(片町線)との立体交差部分です。JR321系上の写真は、JR学研都市線を走る321系です。左手が京阪の線路です。下の写真は京阪の10000系です。JR線を跨いでいる地点を通っています。 河内森~交野市駅間枚方市駅からの距離は、交野市駅が4.4km、河内森駅が6.1kmとなっています。記録によると、5.8km(注1)のところに「京阪神磐船駅」がありました。距離から考えて、JRと交差する付近と推測されます。当時は駅同士が隣接していたようです。「京阪神磐船駅」の開業は、昭和10年(1935年)12月2日に遡ります。同じ日、片町線でも津田~星田駅間に河内磐船駅が開業しました。京阪神磐船駅は開業当初は「信貴電磐船駅」と呼ばれました。信貴電とは昭和4年(1929年)に交野線を開業した当初の会社、信貴生駒電鉄のことです。その後、昭和14年(1939年)に経営が交野電気鉄道に移り、駅名は「交電磐船駅」に変わります。さらに終戦を迎える昭和20年5月に京阪神急行電鉄(注2)の路線となり、「京阪神磐船駅」に変わりました。「京阪神磐船駅」は、昭和23年(1948年)5月1日付で休止となっています。その後、そのまま廃止されました。終戦直後、河内森駅は一時営業を休止していたようです。「京阪神磐船駅」が休止した同じ日に、河内森駅が営業を再開しています。この日をもって、乗換駅が河内森駅に替わったことになります。なぜそうなったのかは、残念ながら分かりませんでした。利用者の皆さんはおそらく、河内森駅をJR河内磐船駅に近づけて欲しいと思っていることでしょう。しかし、もし乗り換えが今より便利になったら、交野線沿線の利用者がさらにJRのほうに流れてしまう可能性が高いと考えられます。京阪にとっては、費用をかけてもメリットがないというのが本音なのではないでしょうか。せめて雨に濡れずに乗り換えできると嬉しいのですけどね。 (注1)「日本鉄道旅行地図帳 10号 大阪」 新潮社 2009年 の路線データによる。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 の「京阪交野線」(閲覧日:2010年2月28日)によると、5.9kmとなっている。また、森信号所の位置についても食い違っており、「日本鉄道旅行地図帳」によると交野市~河内森駅間、Wikipediaによると、河内森~私市駅間になっている。(注2)1943年(昭和18年)10月、戦時政策で京阪電気鉄道と阪神急行電鉄とが合併してできた会社。
2010年03月01日
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昨日ご紹介した「釈尊寺団地」。もちろん、釈尊寺というお寺が釈尊寺団地の南側、枚方市釈尊寺町に実在します。「釈」という漢字は、お寺の表札や地図では「釋」という字が使われています。「釈尊寺北」バス停京阪・枚方市駅から京阪バス10系統「釈尊寺団地」行きに乗ると、「釈尊寺」、「釈尊寺北」、終点「釈尊寺団地」の順に停まります。この釈尊寺北バス停から西に入り、少し入り組んだ住宅街を通りぬけると、釈尊寺の門前に出ます。釋尊寺の門階段を上がると、境内は墓地です。左側は本堂の左奥まで墓地になっています。本堂「浄土宗 釋尊寺」と書かれています。左側には枚方市教育委員会が設置した説明板があります。軒に釣られた鐘説明板には、次のように書かれています。当寺の縁起によると、天平年間(奈良時代中期)僧行基(ぎょうき)の開基とされ、もとは行基寺と号しました。一条天皇の頃(平安時代中期)七堂伽藍、十二の坊舎を備え隆盛をほこり、寺号を霊鷲山(りょうしゅさん)釈尊寺に改め、後一条天皇から「霊鷲山」の勅額を賜ったと伝えられています。その後兵火にあい次第に衰退しました。本尊は、木造釈迦如来立像で、鎌倉時代初期の制作とされ、清涼寺(せいりょうじ)式の代表的秀作で、昭和四五年大阪府の有形文化財に指定されました。東大寺の僧※然(ちょうねん)が宋からもたらし、京都嵯峨の清涼寺に納めた釈迦如来像は、多くの模刻が作られ清涼寺式とよばれます。像高は約一六七cm。構造は赤栴檀(せんだん)色を塗布したヒノキ材、寄木作。なお、宝相華(ほうそうげ)透彫(すかしぼ)りの光背は享保二一(一七三六)年に修理されています。(※は「大」の下に「周」と書く。ただし、「周」の「土」の部分の縦棒は下に突き抜けて「口」とくっつく)北側の白壁本堂裏手同上
2010年01月25日
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熊野神社は、弘仁2年(811年)に紀州・熊野大神を勧請したことに始まると言われています。熊野信仰が盛んだった平安時代末期、後白河上皇は何度も熊野詣に出かけたことはよく知られています。そして、ここ熊野神社に対しても手厚く支援がなされたということです。室町時代には、足利義満から広大な土地が寄進されるなど隆盛をきわめましたが、応仁の乱によって荒廃します。江戸時代の寛文6年(1666年)に再興されました。現在の本殿は、天保6年(1835年)に行われた大修造時に下鴨神社から旧本殿を移築したものだそうです。境内には、京都の銘菓「八ッ橋」の改良に力を入れ、「八ッ橋」中興の祖とも言われる西尾為治氏(1879年~1962年)の銅像が立っています。彼は「本家八ツ橋西尾株式会社」の12代目社長でした。やり手の営業マンだったそうで、京みやげ「八ッ橋」の名を全国に広めたと言われています。時代を遡って元禄2年(1689年)。箏の名手であり作曲家でもあった八橋検校(やつはし けんぎょう)の死後、検校を偲んで、琴に似せた干菓子を「八ッ橋」と名付け、聖護院の森の茶店にて販売し始めたのが「八ッ橋」の起源だそうです。発祥の地だけに、熊野神社の周囲には八ッ橋を扱う店がいくつかあります。「本家」「元祖」「総本店」「老舗」などと掲げられており、ぼんやり見ていると見間違ってしまいそうになります。京都には「京都八つ橋商工業協同組合」という名の組合があり、15社が名を連ねています。みなさんはどのお店の八ッ橋(あるいは生八ッ橋)がお好きでしょうか。
2017年06月05日
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京阪・交野線の郡津駅にほど近いところに、「新天野川橋」と呼ばれる交差点があります。国道168号線(磐船街道)と府道18号線(水道みち)が交わっています。「新天野川橋」交差点上の写真に写っているのが府道18号線、クロスしているのが国道168号線です。とくに府道は慢性的に渋滞しています。天野川交差点の名前のとおり、天野川に架かる橋です。上の写真が天野川で、奥に写っている山並みが生駒山系です。川の東側(上の写真の左手)には団地が写っています。府営梅が枝(うめがえ)団地です。府営梅が枝団地郡津駅の西側には、府営交野松塚団地、もう少し村野駅寄りには、府営村野団地があります。村野団地の一部を除いて、最寄駅は郡津駅になります。また、天野川を西に渡ると、北側に広がる釈尊寺(しゃくそんじ)団地があります。釈尊寺団地団地の名標ここは公団住宅として1977年に開発された団地です。交通手段としては、郡津駅まで徒歩もしくは自転車で行くか、あるいは京阪バス(10系統)で枚方市駅まで出るかのいずれかです。「釈尊寺団地」バス停
2010年01月24日
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たまたま通りかかった団地で見かけた木です。うすい桃色の花の中に、紅色の花が交っているのに気づき、レンズを向けてみました。はじめは、2本の木が重なっているのだろうと思ったのですが、さにあらず。同じ枝にも薄ピンクや紅色の花が交っていることがわかりました。中には、1つの花が紅白のグラデーションになっているものもありました。これは一種の突然変異らしく、紅白になるので「源平咲き」とも呼ばれるそうです。桃なら「源平桃」、梅なら「源平梅」とも呼ばれるそうです。上の写真の花は、桃のような気がしますが、どうでしょうか?ちなみに、梅や桃ではときどき源平咲きが見られるのに対して、桜ではほとんど見かけないとか。桜の場合はもともと色が薄いので、源平咲きになっても気付きにくいからかもしれないとの説もあります。そもそも源平咲きの仕組みはよくはわからないようです。
2017年04月11日
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京阪の香里園駅から西へ、ダイエー本通商店街・寿商店街を抜けていくと、ショッピングセンター「アルプラザ」(平和堂)に着きます。香里園駅西口から京阪バスの「タウンくる」を利用することもできます。「アルプラザ香里」ここには広い駐車場があり、しかも無料です。「ホームズ 寝屋川店」アルプラザができてしばらくしてから、隣接してホームセンター「ホームズ」が出店しました。こちらの駐車場も無料です。そのために車が集中し、休日を中心に周囲の道路が混雑する原因のひとつとなっています。「オンキヨー 大阪本社」アルプラザが進出する以前、ここにはオーディオメーカーで知られている「オンキヨー」の工場社屋が建っていました(土地を売却したのか貸しているのか判りませんが)。現在でも隣接する場所に「オンキヨー」の大阪本社があります。ここがオンキヨー創業の地であり、登記上の本社でもあります。撮影した日は休日で、オンキヨーの敷地がアルプラザの臨時駐車場になっていました。ところで、「オンキョー」ではなくて「オンキヨー」(つまり「ヨ」が大きい)が正式な表記のようです。「キヤノン」の「ヤ」が大文字なのと同じですね。
2009年08月24日
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守口市は歴史の町であり、また、家電の町でもあります。これからもうしばらく守口市にとどまって、いろいろと見ていきます。京阪守口市駅の西口から徒歩数分のところ、国道1号線沿いに、三洋電機の本社ビルが建っています。三洋電機本社今年はラグビーで優勝してましたね。女子バドミントンは言わずと知れた「オグシオ」がいるところです。ただここには本社機能しかなく、ラグビーチームは群馬県、バドミントンチームは同じ大阪府の大東市を本拠としていますので、守口にいても会えるチャンスはほとんどないんでしょうけど。サンヨーミュージアム本社ビルに隣接して、「サンヨーミュージアム(三洋電機記念館)」がありました。土日祝がお休みとのことで、この日は閉まっていました。平日だけでは、なかなか見に行くチャンスがないですね。創業以来の家電の歴史が見られるそうで、1970年の大阪万博で出展されていた「人間洗濯機」がここに展示されているそうです。「万博」「人間洗濯機」と聞いて懐かしいと思う人は、かなりの年配の方ですかな?
2009年04月16日
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京阪の寝屋川市駅には、改札口が2ヶ所あります。北口改札口(内側)まずは北口です。寝屋川市役所へは、こちらが便利です。北側改札口(外側)上の写真は、改札口の外側から内側を見たところです。改札内には、「ジューサーバー」や「マクドナルド」が見えています。新しい駅だけあって、駅ナカもしっかりしています。北口改札・西出口北口改札を出て地上に降りると東西に出口があります。上の写真は西側で、こじんまりとしています。西側タクシー乗り場北口改札の西側出口付近には、タクシー乗り場があります(東口にもあります)。北口改札・東出口東側の出口です。いずれにしても、このエスカレータを使うことになります。もうひとつ、写真はありませんが、北口改札を出て直進すると、府道の上を越える通路があります。高架沿いにいくつか店もありますので、ぶらりと歩くにはいいかもしれません。<追伸>北口改札からの通路(2階)と出口写真、撮ってきました。写真奥が府道で、3階に下りホーム、2階部分は府道を跨ぐ通路です。K階段出口の階段には「K階段」と書かれています。東西両側に出ることができます。
2009年07月25日
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京阪が開業した当時の旧線をもう少し追いかけてみました。(ちなみに、開業当時は「関目駅」は存在していません。)京阪本線の開業当時は、現在の地下鉄谷町線・野江内代~関目高殿駅間とほぼ同じ経路を通っていたようです。道路との供用区間だったのでしょうか。交差点の案内板地下鉄の野江内代駅から関目高殿駅に向かう道路に設置された道路案内板です。関目5丁目という交差点です。関目5丁目交差点上の写真はさきほどの道路案内板の交差点「関目5丁目」です。左方向(バスが信号待ちで止まっている)が国道1号線京都方面、右方向が国道1号線梅田新道方面、右奥(茶色いマンションが建っているところ)が国道163号線・緑1丁目方面です。道路案内板には描かれていないのですが、写真で分かるように、中央やや左側にもう1本、道があります(正面中央の寿司屋の左側)。どうやらここを京阪の旧線が通っていたようです。いまではかなりの交通量がある大きな交差点ですが、当時はどうだったのでしょうね。関目高殿駅3番出入口撮影は地下鉄・関目高殿駅の3番出入口前で行いました。
2009年03月25日
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片町交差点の北 京阪開業時、片町交差点の北側には「野田橋」という駅がありました。その後、「片町」と駅名を変えました。1969年11月、この場所が高架になったときに、駅を設けるのが困難という理由で片町駅は廃止されたということです。片町口入口片町口改札口このとき同時に、大阪環状線の東側にあった京橋駅が現在の場所(大阪環状線の西側)に移転したとき、片町駅廃止の代わりとして、京橋駅に片町口という改札口が作られました。西口と言わずに片町口と呼ばれる理由がここにあるようです。いまでは地下鉄やOBP(大阪ビジネスパーク)との連絡口としてしっかり機能しています。
2009年03月11日
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交野市の寺地区の交差点で「弥生時代住居遺跡」と書かれた石碑を見ながら、さらに山の方角へと歩きました。交野市寺2丁目付近石灯篭左に少しカーブしながら坂道をしばらく歩くと、やがて正面に石灯篭が見えてきました。ここは「灯篭の辻」と呼ばれているようです。立派な石灯篭が並んでいます。同上石灯篭には、「二月堂」、「愛宕山」、「柳谷観音」と書かれています。二月堂といえば奈良・東大寺の二月堂でしょうね。「修ニ会(しゅにえ)」と呼ばれる行事が行われます。「お水取り」「おたいまつ」としてよく知られています。今年も3月12日におたいまつがあったところです。「春の訪れを告げる」と言われている行事ですね。愛宕山というと各地にありますが、「愛宕信仰」は京都の愛宕山にある愛宕神社に由来するそうです。火事を防ぐ「火伏せ」の霊験がある神として、広く信仰されたそうです。柳谷観音とは、京都府長岡京市にある「立願山楊谷寺」のことで、十一面千手千眼観世音菩薩を本尊とし、眼の患いを治すとして信仰されていました。寺2丁目付近山添家住宅灯篭の辻から少し北へ入ったところに、「山添家住宅」があります。私部(きさべ)1丁目の「北田家住宅」と同じく、ここ、寺2丁目にある「山添家住宅」も国の重要文化財に指定されています。同上(隣家ごしに)山添家は代々庄屋をつとめた家で、宝永2年(1705年)ごろに建てられたことが判ったそうです。田の字型をした間取りで、茅葺きの屋根が特徴的です。同上一般公開もあるそうですが、最近は春と秋の2回、不定期に行われるとのこと。人数制限もあるようです。
2010年03月14日
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