京阪交野線・交野市駅から東へ徒歩8分。交野市私部1丁目に「北田家住宅」があります。地元では「代官屋敷」と呼ばれているそうです。
北田家住宅(北面)
交野市のホームページを見ると、「宝永から享保年間(1708~1734)にかけて主屋が建てられた」と書かれています。約300年前の貴重な建物として国指定重要文化財になっています。
長屋門は全長55.9mもあり、「民家では日本一の長さ」とのことです。
長屋門(右)
長屋門
同上
同上
同上
北田家の系譜は、北畠顕家(きたばたけあきいえ)につながるといいます。南北朝時代の南朝方に仕えていた武将です。南朝が没落し足利氏の世になったため、姓を「北田」に改めたといわれています。「北田」は「北畠」の「白」を取ったものだとか。
北田好忠の時、交野城(私部城)の城主・安見氏の重臣となります。元亀元年(1570年)、織田信長の本願寺攻めに参戦した安見氏は大敗、大和の筒井順慶に攻められて交野城は落城。この時北田好忠は最後まで奮戦し、壮烈な戦死を遂げたと伝えられています。
約20年後、京都にいた嫡子の北田好孝が交野に戻り、農業で生活を始めました。それが現在の北田家の始まりです。
徳川家康が天下を統一し、元和5年(1619年)、旗本・畠山修理太夫が私部を所領にしたときから、北田家はこの地の庄屋を務めることになります。18世紀前半には代官職を担うようになりました。元治元年(1864年)に職を他の者に譲ったといいますから、約1世紀以上続いたことになります。
なお、今でも現地には北田家の末裔の方が住んでおられます。春と秋に見学会があるとのことですが、参加できる人数は限られているようです。
梅が咲き出していました 2018年01月21日 コメント(2)
実りの秋(山田池公園にて) 2017年10月01日