牧野駅と樟葉駅の間、京阪本線と船橋川とが交わる辺りに供養塔があります。南西側の土手の下にその場所がありました。京阪本線のすぐ近くで、架線の柱が見えました。
供養塔周辺
二体のお地蔵様の右側には、お墓の形をした供養塔があり、その右には石の道標が立っています。この供養塔には、戊辰(ぼしん)戦争で死んだ人の名前が刻まれているといいます。
同上
道標には「八幡宮」と大きく書かれています。少し見づらかったのですが、その下には「橋本へ一里」と書かれているようです。八幡宮とは、ここから東北へ5キロメートルほどのところにある石清水八幡宮のこと、橋本はその手前の村の名前です。
ちょうどこの辺りを京街道が通っていたらしく、江戸時代の末には、この場所に橋が架かっていたようです。
戊辰戦争は、慶応4年(明治元年、1868年)から明治2年にかけて、薩長連合をはじめとする明治政府側と旧幕府側とが戦った内戦です。歴史で習われた方も多いと思います。
京都を守護していた薩長側と、王政復古の大号令を受けて二条城から大坂城へ移っていた徳川慶喜ら旧幕府側との間で、京都の南にある鳥羽(とば)、伏見(ふしみ)の地で戦闘が起こりました。戊辰戦争の緒戦、「鳥羽・伏見の戦い」(慶応4年1月)です。
戦いに敗れ、京街道を通って大坂城へと敗退していく旧幕府軍の兵士たち。船橋川に架かる橋のたもとで命を落とした8人の名前が、この供養塔に刻まれているそうです。
文字はかなり不鮮明になっていましたし、周囲に説明板などが何もなく、通りかかっただけでは気付かないかもしれません。しかし、明治維新の大きな流れの跡であることは間違いないようです。
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