黄檗山萬福寺の総門を出て、北に向けて150mほど歩いたところで、「鉄眼一切経版拝観 黄檗山宝蔵院」と書かれた立て看板が目に飛び込んできました。
黄檗山宝蔵院
「重要文化財 宝蔵院 鉄眼一切経版木」の立て札が添えられています。
同上
仏教には経典(きょうてん)があります。
経典は釈迦の教えを記録した仏教の聖典で、教義が書かれた「経」、修業や戒律に関する「律」、経の解釈を記した「論」があり、これら3つをまとめて「三蔵」と呼びます。西遊記で三蔵法師が天竺に取りに行ったのも「経典」です。
経典といってもいろいろあるようで、それらをまとめたものを「大蔵経」とか「一切経」と呼びます。また、インドの言葉(パーリ語、サンスクリット語など)や、漢語、チベット語、モンゴル語などに訳されたものも多くあります。
日本では、仏教は政治と強く結びついていたため、その時代の権力者が一切経を入手することはあっても、一般に出回ることはほとんどありませんでした。
萬福寺で隠元禅師の教えを受けた者の中に「鉄眼道光(てつげん どうこう)」という禅僧がいました。彼は、自分が苦労して読み説いた経典を版木にして残そうとしました。版木があれば、必要に応じて多くの人が手に入れられるだろうと考えたからです。
鉄眼がプロデュースした版木は、13年の歳月をかけて完成しました。制作は喜捨だけでまかない、そのために全国行脚もしたといいます。途中、せっかく集めた資金を飢饉に苦しむ人々のために使ったりしたため、2度も断念しかけたといいます。
延宝6年(1678年)に完成。その数は1,618部、7,334巻。版木の数にして56,229枚。それらが現存し、この宝蔵院に保存されているのです。そのうち48,275枚が重要文化財に指定されています。
いまでも注文に応じ、摺られているということです。江戸時代初期の版木が現在でも現役だということだけでも驚きです。鉄眼禅師のすばらしい企画力と実行力には頭が下がる思いです。
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