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2012年03月01日
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太田垣蓮月仮寓跡

太田垣蓮月仮寓跡
京都市伏見区醍醐落保町
京都市営地下鉄東西線・醍醐駅から徒歩12分


太田垣蓮月仮寓跡

醍醐寺の東門の正面に、白い塀をめぐらした建屋がありました。その前に建てられた石碑には「太田垣蓮月仮寓跡」と書かれていました。ちなみに「仮寓」とは仮の住まいのことだそうです。

「太田垣蓮月」のことをよく知らないので調べてみると、Wikipediaには、以下のような記述がありました。(ちなみに、Wikipediaでは「大田垣」と記されています。)

大田垣 蓮月(おおたがき れんげつ、寛政3年1月8日(1791年2月10日) - 明治8年(1875年)12月10日)は、江戸時代後期の尼僧・歌人・陶芸家。俗名は誠(のぶ)。菩薩尼、陰徳尼とも称した。

生まれてすぐに大田垣家に養女に入りました。養父の5人の実子はみな亡くなり、迎えられた養子と16歳のころ結婚しました。しかし生まれた3人の子どもは幼くして亡くなり、25歳のときには夫とも死別してしまいます。4年後に養子を迎えて再婚するも、33歳にして夫と死別。養父とともに剃髪し仏門に入りました。


ここまで調べたところで、このページは没にしようとしていました。なんとなくジメジメとして暗いイメージだったからです。

ところが、あるブログの記事を読んで、大田垣蓮月の強烈なイメージが湧きあがってきました。 (そのブログは →  こちら ) 

『京男・京おんな-京都人の気質と意識』という本で、大田垣蓮月は「幕末の烈婦で歌人」と紹介されているというのです。この本は昭和43年(1968年)に京都新聞に掲載された記事をまとめたものだそうです。

三十三歳で黒髪を切り、亡夫と来世の契りをむすぶ。だが、絶世の美ぼうをしたい、いい寄る男が絶えない。このため「烈婦すなわち千斤の秤を引き、自らの歯を抜く。一歯を抜くごとに粛々声あり。滴滴血ほとばしる......」

自らの歯を1本抜くごとに悲鳴を上げ、血がほとばしった。自らを醜くするために。亡夫との契りを守るために。

Wikipediaには、

京都でたびたび起った飢饉のときには、私財をなげうって寄付し、また自費で鴨川に丸太町橋も架けるなど、慈善活動に勤しんだ。

住居としていた西賀茂村 神光院 の茶所で、明治8年12月10日、85歳で没したが、別れを惜しんだ西賀茂村の住人が総出で弔いをしたという。

とあります。多くの人に慕われていた様子を思い浮かべました。






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最終更新日  2012年03月08日 01時07分43秒
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