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ようやく昨日、映画エヴァを観に行った。いや~ようやく終わった、という感じ。そして長かった。上映時間もそうだが、最初のTV版の放送(1996~1997年)からざっくり四半世紀という意味でも長かった。

​​ 以下の内容はネタバレを含みます 。公式にはネタバレは解禁されているものの、私の旨としてはバラしたくはないのですが、本作ばかりはそれが難しいので、 これから見る予定の方はご覧にならないことをオススメします 。


​​
まず、ストーリーが難しいかというと…意外とそうでもなかったという印象。まぁ難しいのが当たり前でそこが面白いのがエヴァだし、私も直前に「序破Q」を復習してから行ったので(ただ「破」あたりから理解度は怪しいけど)、ついていけないほど難しくはなかった。

​そしてこれは以前から思っていたのだが「庵野監督=ゲンドウ=最後・最強の使徒」であることがきちんと示されたなと思う。勿論シンボリックな意味合いにおいて、である。結局、シンジの人嫌い以上にゲンドウは人嫌いで、唯一愛したユイの喪失を克服するために「魂の浄化」だの「一体化」だのと綺麗事を並べ立てた「人類補完計画」なるものを、利用できるものを全て利用して遂行するという最低・最悪の我儘人間に過ぎなかったわけだ。「補完」などというものは必要ないということに気づいた息子シンジのほうが余程立派ではないか。その間には、ミサトが「加持の受け売り」と言った「肩を叩くか殺すか」発言があって、結局 父親は子供に超えてゆかれるだけの存在というこの世の真理 もきちんと突いている。

​次に、立ち位置的な理解が難しいマリについて。「破」で突如文字通りパラシュート落下してきたこの女が正式に自己紹介するのがやっと本作(しかも後半)だし、出自などについては結局触れられずじまい。元々レイもそうだし(全経歴抹消どころか大量のコピー品)、レイ(のコピー)がシンジに好意を抱くようにプログラムされていたのだとしたら、マリの最初からの行動も全て同様と受け取れるのではないか?それはラストシーンに凝縮していると思うし、「聖母マリア→マリ」という命名から考えてもエヴァらしい聖書的発想な位置づけ(新たに全てを生み出す)を持つ人物なのではないかと思う。ただ、マリについては 歌と語尾が癇に障る障る 。ストーリー上の必然性が感じられない。あと「胸の大きなイイ女」という形容も、日本のアニメだから許容されそうなものの(許容できない人もいるだろう)、ハリウッドとかだったら「意識低い系」みたいなレッテルを間違いなく貼られる。

​それから、この新劇場版になってからずっとEDを歌っているのは何故宇多田ヒカルなのか?特に本作でエヴァの呪縛が解けて全てが終わったという段階のエンドロールで流れる曲調や歌い方は 呪縛そのもの といった感じで好きになれない。昔の劇場版の「魂のルフラン」みたいな呪縛を解放してくれるような曲が良かったなと思う。

他にもいろいろあるけれどとりあえず最低限書きたかったことはこんなところ。そもそもTV版だけで何度観たか判らないほど観た作品のようやくの完結、これを観れたのは単純に良かったと思う






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Last updated  2021.04.22 13:33:28


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