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2008年01月16日
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遠くて近い国トルコ

最近の朝日新聞朝刊地域多摩版で次のような記事が目にとまった。
「118年前和歌山県串本沖で遭難・沈没し、600人近い犠牲者を出したトル
コの軍艦の遭難事故があった。そのなかで地元民によって救出された生存者69
名を母国トルコに送り届けた功績に対して当時のオスマン・トルコ皇帝から海軍
士官に贈られた勲章やメダルがその士官の親戚宅に保管されていることがわかっ
た。この遭難事故に対する当時の地元民や日本国政府の対応が日本とトルコとの
友好親善の原点になっている・・・・・」
この記事を読んで数年前の友人達との旅行で遭難現場近くに建てられている記念

記念碑は一回りし眺めたが記念館には入らなかった。その先の灯台見物に気がせ
いたのだろう。今この記事を読んで記念館見物をパスしたことが悔やまれるのだ
が、この記事は同時にこの遭難事故を通じて日本とトルコの友好の歴史を辿る
「エルツールル号回顧展」(エルツールル号とは遭難事故のトルコ軍艦)が三鷹
市の中近東文化センターで開催されているという事を知らせてくれた。。
そこで早速出かけてみた。
展示品、展示解説文を丹念に読んでいくと「トルコ国民は日本に対して友好感情
をもっている」という小生の漠然たる概念が間違いではなかったとわかった。
この遭難事故に対する日本側の対応以外にトルコ国民の親日感情の醸成に大きく
影響したのは日露戦争で日本が勝利した事である。当時トルコはロシアに圧迫さ
れ苦しめられていたという。極東の一小国日本が大国ロシアに勝利しトルコ国民

名前を付けた「トーゴー通り」という街路もあるという。
こんな親日感情が何十年の時を隔てて遺憾なく発揮されたエピソードがある。
1980年代イランとイラクで勃発した戦争通称イラン・イラク戦争(イライラ
戦争)当時イラン在住の外国人(日本人も含まれる)は急遽イランから脱出を迫
られたが、当時日本から直接乗り入れる航空機便はなく外国航空機便を使わざる

人は脱出出来ず途方に暮れたのである。その時トルコ航空がテヘランに飛来し多
くの邦人を救出したという事実があった。
まさに エルツールル号遭難事件の旧恩に酬いてくれたのである。
ともあれ距離的には遠い感じのトルコだが歴史のなかのエピソードを知るにつけ
その距離が小生の中では一気に縮まった。





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最終更新日  2008年01月16日 12時54分39秒
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