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市民大会を遡ること1週間前、実は我がTennisElbow主催の『なずな杯』があった。色々大変だったが無事終わった。今回は、告知などにミスなどもありエントリー数がいつもより少なかった。でも野菜の戦士さんなどと対戦もできそれなりに楽しい大会であった。で今日書こうと思うのは、昔の話、私がテニスと出会った頃とそれからである。以前の日記『テニスを始めた頃』で詳しく書いたのだが、何故また急にそのことを思いだしたかと言うとその幼馴染のたーくんがなずな杯に夫婦でエントリーしてくれたからだ。もちろんその後、練習試合もすることができた。私をテニスと出会わせてくれたのは、たーくんだ。その後、現在至るまでテニスと出会うことによって出会い、経験したことばかりだ。今の友達、もちろんえいこもテニスと出会わなかったら出会ってなかっただろう。まぁどんな事でも人生においては大事なピースであり一つでも欠けると違った絵になってしまう。だけど今の私の人生は『テニス』によって形付けられている部分が非常に多い。そーいった意味では、たーくんの功績は大きい。(ありがとねー)小学校の時、オーストラリア帰りのたーくんが始めてたもの、それが『テニス』だった。それが引き金で高校生になった時、仲の良かった友達がこぞってテニス部に入部した。(私は、入らなかったが・・・・・)それから遊ぶ時は、よくテニスをするようになった。団地のコート、近くの企業のコート、市営コート色々な所でやった。高校生の時は、お金がなかったのでよく忍び込んで勝手にやってなたなぁー空いてるからいいやん!!なんて勝手なこと言って・・・でよく管理の人が来て 『逃げろー』なんて言ってやってたなぁーまぁそれもスリルがあって楽しかった。中学、高校と部活をやってなかった私には、テニスが楽しくてたまらなかった。どんどん好きになり大学生になってサークルに入り、今のTennisElbowの仲間と出会う。うーん思い出すと感慨深いなぁー脱線してしまったがたーくんにテニスを教えてもらった頃は、もちろん実力は雲泥の差。昔からスポーツ万能のたーくんと鈍臭いで有名な私・・・・実際まともなラリーにもならなかった。。。。今考えると当時殆どの友達が私より上手かったからみんなつまらなかっただろーなー高校を卒業したーくんは神戸の大学に入り体育会テニス部に入り、私は姫路でテニスサークルに入る。大学の時は、結局1回くらいしかテニス一緒にせんかったなぁー しかしその1回でまたまた、たーくんにテニスを教わることに。当時私は、グリップを薄めに握ってフラットを打っていた。今考えるとフラットでもなんでもなくただ真っ直ぐ振ってただけだったなぁー、憧れはマッケンロー。でその時たーくんに『今は、ウエスタン・スピンの時代やでぇー』と言われ現在のセミウェスタンを教わる。その頃も実力は雲泥の差でたーくんの速いボールに全くついていけずラリーにもならなかった。そして月日は、流れこの前のなずな杯。久々に見るたーくんのテニスはどうかなぁーと凄く楽しみにしていた。イメージではとにかくパワフルでスキルが高い感じ、でも安定性には欠けるような・・・・・自分との差も気になった。これでも随分腕を磨いたつもり、全然敵わなかった昔に比べどうか・・・・当日、コートで見るたーくんのプレーはイメージに凄く近く思えた。パワフルでフォームがきれい、ミスは相変わらずだがミス量が・・・・・・・・・でも凄く楽しそう!!しばらくブランクがあるって言ってたのでしょうがないか、でも変わってないなぁーが私の感想。大会終了後、たーくんと試合をすることに。ゆりさん(たーくんの奥さん)・たーくん組とミックスダブルスをした2試合、のりねぇと組んで1試合、かたちんと組んで1試合。結果は、嬉しいような寂しいようなどちらもスコア6-2で2連勝。試合後、たーくんに『たつき、上手くなったなぁー』と言われた。嬉しかった。嬉しかったけど何故だか残念に思い、ブランクの無いたーくんとテニスがしたいと思った。たーくんに勝ちたいから!?うーんそうじゃないなぁー なんでだろーたぶん単純に幼馴染と熱くテニスをやりたいだけ・・・かな。やっと打ち合えるようになったんだもの。テニスなんて所詮スポーツ、だけど自分の過去の時間軸とリンクしている。昔、昔、全く敵わなかった友達と熱いラリーを交わす、これって最高に楽しいことだ。たーくんとテニスをして過去を思い出し、また自分の時間軸とテニスに新しいリンクができた。
2005年12月06日
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とうとう迎えた決勝戦。対戦相手は、向こうの山から上がっていたイングランドでコーチをされているK地さんとメンバーのK斐さん。決勝まで5試合で失ったゲームが準決勝の2ゲームだけでそれ以外は全て5-0勝利。圧倒的な力で勝ちあがってきたチーム。我がチームがようやく決勝の舞台に上がった時にはとっくの昔に試合を終わらせた2人が乱打で体を温めていた。その光景を見て最初の感想は、『格好いい―――――いっ 王者って感じやなぁー』。ほんとに格好良く見えた、なにも言ってないけど『ようやく来たの、待ちくたびれちゃったよ。さぁー早くやろうよ!!』って言ってるような声が聞こえてくる感じ。それに対してこっちはというと、際どい試合を勝ちあがってきたチャレンジャー丸出しな感じ。まさに王者と挑戦者の戦いの絵だった。でも気持ちで負けてはいけないと思い、『こっちだって順風満帆とはいえないが、決勝まで勝ち上がってきたんだ、ここまでくれば優劣なんてない!!勝とうとする気持ちで勝つ!!』と改めて気持ちを持ち直した。パートナーのりねぇを見ると少し足が地につかない感じ思えた。それもそうだろう相手は、スクールのコーチだしいつも上手なプレーを間近で見てる。おまけにあまり試合に出る機会がなく、あっても県レベルの相手と決勝で戦うなんてことはないのだから。そう考えると、凄いことだなぁーでもなんとか勝ってコーチにも勝負を挑めるってことを実感させたいと思った。でいつもの戦力分析だが実はこの日予選からK斐・K地組とはコートが異なっていて試合は殆ど見ることがなかった。(まぁ全部速攻で勝たれてたからねぇー)上手というのは理解していたけど具体的なプレーのイメージは湧いてこなかった。でもまぁここまでくれば後は思い切りぶつかっていくだけだと思い、集中することだけを考えて試合に入った。試合は、トスに勝った私達のサービスゲームから、私のサーブから始まった。私のこの日のサーブは、ファースト・セカンド共ドライブ系サーブでほぼ同じサーブを2本打っていた。あまりコース、球種を変えなかったこともありサーブのコース、パワー共いいレベルで打てていた。まずデュースサイドK地さんへのサーブ、データがなかったので最も得意なセンターへのサーブを打つ。相手のリターンミス、弾かれたようにボールはコートの外へ。うん!!通用するぞっ!!と感じた。続いてアドサイドK斐さんへのサーブK斐さんはサウスポーでフォアがかなり良いので得意のワイドに打とうかどうかを迷った。少し考えた末1回戦で多用したボディーでのサ-ブで勝負することに。K斐さんは回り込んでフォアでのリターン。でもそのリターンはやや反応が遅れているのか厳しいリターンが返ってこずなんとかポイント。非常に良い集中力を保てていた私はとりあえずキープ。うん、サーブは通用する、なんとか勝負になりそうだぞ、と思った。続いてK斐さんのサーブ、強いサーブも持っているはずだがファーストから回転量を多くしてバウンド後変化で勝負するようなトップスライスを打ってきた。フォアで待つとバウンドしてから自分の方に向かって跳ねてくるいや―――――なサ-ブ。のりねぇも私も全く返らずあっさりキープされる。これでスコアは1-1、続いてのりねぇサーブ。このゲームは難しかったぁーのりねぇもなんとかがんばるんだが相手のリターン力が上回りリターンでどんどん押し込まれてしまう。ここが私のミックスにおける最大のウィークポイント。のりねぇのサーブが押し込まれた時に1本ポーチなどして相手にプレッシャーを掛けれればいいのだが元々ボレーの苦手な私は、ポーチに全く出れず、前衛として機能できずにすぐに相手2人対のりねぇの図式にされてしまう。過去何度もこの経験がありその都度なんとかせねばと思うのだが未だになんともできない。私が試合に参加していないのではキープできる訳もなくブレークされてしまう。これで1-2、続いてはK地さんサーブ。彼女のサーブには本当に舌を巻いた。サーブはフラット系だがK地さんは背も低くスピードは大したことはないのだがコースが絶妙。最初の2回くらいはセンター・ワイドと散らしてきたのだが私のバックハンドの脅威がないと判断すると徹底して私のバックにいれてきた。それを無理に回り込んで打つのでリターンがセンターに行きK斐さんのフォアポーチ。サーブコースが絶妙で回りこめるんだけどクロスにコントロールできるほど甘くない、ポジションを少しバックよりにしようかと思ったがセンターへのサーブが頭をよぎり大胆に変えれない・・・・・といった感じで迷っていると危なげなくキープされてしまう。スコアは1-3・・・・この時点でやはり強いなぁーと改めて認めると共にアドレナリンがバンバンでてきて集中力が一層高まった、絶対負けたくない!!次の私のサーブは、集中力が高まっていたのもありあっさりキープ、これで2-3あと1つで追いつく。次は前のゲームで全く対処できなかったK斐さんサーブ。強いサーブを打ってくるかと思ったが前のゲームと同様の攻めだったので強いサーブは頭から外してリターンに集中する。のりねぇもなんとかロブでリターンできるように調整でき始めており全く対処できなかった前のゲームとは違った展開になった。私もリターンを普通の感覚で打つと全部右側にアウトしてしまっていたので相手前衛にアタックを掛ける感覚でリターン。するとこの方法が良かったのかきちんとクロスにリターンが返るようになった。ノーアドバンテージ40-40になり私のリターンがK斐さんに突き刺さりボレーミスを誘いブレーク!!このブレークは大きかったぁースコアを3-3とタイに戻す。決勝も5-5タイブレークノーアドバンテージだったので次のゲームがキーとなる。次ののりねぇのサーブをキープできてればリターンゲームに自信のあった私は勝つ可能性もある、と考えた。のりねぇに『やっと並んだで!!キープさえすれば勝てるチャンスがあるとこまで来たでー』と言った。2人も集中力は全く切れてなかった・・・・しかしリターン力の壁は厚くまたしてもブレークされてしまう。3-4・・・・・続くK地さんのサーブはのりねぇは、がんばりを見せる。それに対して私は迷っていた・・・1回目のリターン、なんとか返すもポイントを失う、15-30での2回目は、回り込んでのフォアがセンターに行きK斐さんのポーチに捕まりポイントロスト。ここまでサーブをコントロールされ半分以上ポーチに捕まっている・・・・30-40で迎えた3回目、私は迷っていた・・・・もう1度得意の回り込みフォアで勝負するか、バックのロブで凌ぐか・・・・・・本当に迷ったぁーバックのロブはこの試合打ってないしポーチが頭にあるK斐さんの頭は越せそうな気もする・・・・・うーんどうする俺!! 結局私の選択は、『回り込みフォア』だった。試合は、3-5で敗北だった。最後打った私の得意の回り込みフォアは過去の何回かと同じようにK斐さんのポーチの餌食になってしまいそれでゲームセットだった。あの時の選択は、間違っていたのかなぁーとふと思う、だけど得意のショットを貫いてきたから勝った試合もあるし今回のような場合もある。まぁいずれにせよ結果論になっちゃう、だけど最後のポーチされたのはちょっとショックだったなぁー 何回もやられてたから・・・・・という訳で2005年市民大会混合ダブルスは準優勝で終わった。悔しく、嬉しく、充実した大会だった。今、日記を書きながら思うのは、楽しかったという感情が多くを占めている。久々に充実した大会、今後もどの大会もこんな気持ちで終れるようにできればなぁーと思う。まぁ『準』はついちゃったけどのりねぇさんに誕生日プレゼントできたので良しとしますか、ってことで市民大会 日記終了でーす。
2005年12月02日
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本選1回戦を大逆転の末っていうか奇跡的に勝利したタツエイ・のりねぇペアはまずの目標であった。準決勝進出を果たした。試合後の私の状態は、すごく高揚してるがなんとなく精神的、肉体的に疲労している感じであった。それもそうだろう格上相手に土俵際からの生還なのだから。試合後半は、集中力、動き共に自分にしてはかなり高いパフォーマンスを出していたと思う。パートナーのりねぇはどうかと見ると同じく高揚している感じだが私のような疲れは見られなかった。1回戦が終りすぐに考えたのが次の準決勝への入り方、私達の1回戦が長引いたせいもあり、かなり時間的にはおしていた、すぐに試合に入るのが大会的にはベストなんだろうが次はなんといっても去年覇者I田夫妻。同じ年代でもあり色々な大会で何度か戦っている相手、去年完敗しているだけになんとか良い状態で試合に入りたい。迷ったぁーすぐに試合に入るか・・・・ちょっと休憩をさせてもらうか・・・・こういう競った試合の後は、次の試合は大体2つのパターンに分かれる。1つは、気分が乗ったまま次の試合も最初からギアが入る場合。2つめは、メンタル的に疲労していて次の試合であっさり負けてしまう場合。過去どちらのパターンも経験しているだけにどっちが来るのかなぁーと迷った。どちらのパターンが来るのかはたぶんメンタルタフネス、体力の残量によるんだと思う。限界近くまで疲労しているが試合はアドレナリンがでて勝ちきった場合は次の試合はあっさり負けることが多い。要するに余力がどれだけ残っているかが問題なのだ。で準決勝はどう入ったかと言うと・・・・・・・・・I田君に声を掛けて直ぐに試合に入った。私の判断はこう・まず試合時間が押している・優勝を目標としているので準決勝で余力が無くなっておれば所詮その程度・I田夫妻は、体が冷えているのに対しこちらは温まっているので有利がある。・のりねぇの体力から考えて疲労はしてないだろう以上の判断から直ぐに試合に入ることを決めて試合に入った。ここでいつもの戦力分析。I田君は、ボレーセンスが非常に良くボレーを主体に攻めてくる。プレースメントもしっかりしていて決定力もありポーチなども積極的に出てくるタイプ、ウィークポイントを上げるとすればショットがパワフルでないことかなぁーでもそれを正確性で補っている。乗せると嫌なタイプ、でもその日フォアの調子がすこぶる良かった私の分析は、『ボレーは怖いが、今日の調子なら十分パスを打てる。今日の自分なら相性はいいはずだ』だった。I田君の嫁さんは、1回戦で戦ったB宮さんの妹さん(ここではB宮(妹)さんと書こう)B宮(妹)もイングランドで昔から練習されており一通りのプレー堅実にこなす。お姉ちゃんと比べるとプレーの正確さは落ちるがややパワフルな感じ、去年戦ったときは試合後半から調子が出てきて結構やられたイメージ。敢えて『試合後半から』と書いたのだがこの日もそうだがな―――んか試合を見てると弱気でプレーしてる感じがする、自信がないような、不安なような・・・乗ってきた時のプレーの質自体は問題ないと思うのだが・・・・・で私の分析は、『B宮(妹)さんは乗せなければ怖くない。というよりプレッシャーをどんどん掛けていけばいける』総合分析的には、『B宮(妹)さんのところから崩す、それをI田君がフォローにきたところをしっかり打ってI田君がリズムを掴まないようにすれば十分勝機はある』であった。試合前のサーブ4本を打ち試合開始する前『勝ち疲れであっさり負けないようにしよう!!さっきの集中を維持してがんばろう!!やっとここまできたでぇー』とのりねぇに声を掛けた。のりねぇは十分集中できているような顔をしていた。試合が始まった、展開は作戦通りにB宮(妹)さんの裏をロブなどで突き、連携を崩していった。I田君に対してはサーブリターンをしっかり沈めて得意のボレーからリズムを掴ませないように心がけた。試合は進み・・・・・・・・・結果は、5-0で勝利することができた。こちらの作戦通りI田君はリズムを掴めず、B宮(妹)さんの調子も上がってこなかった。試合後は、あっという間に終わってしまったのでなんかポカーンとした感じだった。途中から勝てそうだと思ったからかもしれないが既に私ものりねぇも次の決勝戦へ気持ちが向いていた。決勝戦、向こうの山から上がっていたのはもちろんイングランドでコーチをされているK地さんとメンバーのK斐さん。決勝まで5試合で失ったゲームが準決勝の2ゲームだけでそれ以外は全て5-0勝利。圧倒的な力で勝ちあがってきたチーム。我がチームがようやく決勝の舞台に上がった時にはとっくの昔に試合を終わらせた2人が乱打で体を温めていた。ようやくキタァ――――――って感じだった、ついにあと1個のとこまで来た。しかも相手は優勝候補No.1であり、のりねぇのスクールのコーチ。試合できることにすっごく興奮した。だって生徒がコーチと決勝戦で対戦して、勝ったりなんかしたら痛快だぁ―――――って思った。県レベルの相手と対戦できるなんてそうそうはない。自分がどこまでできるかを試せると思った。さぁー決勝戦、続きは明日。
2005年12月01日
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