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-2006年7月3日-パリに着いたのは少し早くなりPM8:30ぐらいだった。パリのシャルル・ド・ゴール空港に無事到着。この日はもう遅いので早速ホテルに向うことに。ホテルは、『GRIL CAMPANILE BERTIER』というホテルでまぁかなり下のほうのランク、安ホテルだ。空港からは、まず空港バスで Porte Maillotというメトロの駅があるところまで行きそこからメトロで3駅先のPorte de Clichyとパリの中心地からは外れたところまで行き徒歩5分でホテルである。まず空港で空港バスのチケットを買い乗り込んだそしてPorte Maillotに到着・・・・・この時点で9時はまわっていたのだが空はまだ明るい、日本の夏で言うと6~7時ぐらいであろうか。パリは、日本より緯度が高いので2時間程日本より日の入り時刻も遅い。さぁーメトロだ、とここまでは良かったのだがここからいきなり躓いた。まずメトロの入り口がさっぱりわからない。この付近は中心部から外れているのでガイドブックにも地図が載っていない。まぁその辺で人に聞けばいいやと軽く考えていたのだが私の赤点イングリッシュがぜんぜん通じない。というより英語自体があまり通じてない感じ。一応単語は通じてるみたいで教えてはくれているのだがその内容がフランス語なのでなにを言ってるかが全くわからない。困り果て、ただ闇雲に探すこと30分ようやくメトロの入り口を発見・・・・・どっと疲れると共に空は暗闇に覆われていた。とにかく急いでメトロに乗ろうと地下に降りた。この駅は、ホテルへ行くC号線と中心地へ向う1号線が通っていた。私達は、これまた何回か間違えながらなんとかC号線改札に辿り着いたのだが・・・・・『切符売り場がない!!』切符が買えず、もちろん自動改札で駅員さんもいない為、ホームに入れない!!しばらく呆然としているとあとから来た現地の人たちは切符を持っている。一体どこで買うんだ・・・・・とにかく探しに行かなくてはならないが地上から降りてきた道にはそんなものはなかった・・・・探しに行こうと思ったがそこまで何回かの階段のアップダウンを乗り越え重たい荷物を持っていた私はかなり疲労していた。で少し危ないと思いつつも奥さんを改札の前に荷物と一緒に残して切符を探しに行くことに・・・・・走ったぁー 道行く人に何回も尋ねながらとにかく早く切符を買って帰らねばと思い走りまくった。探しにいくこと10分ようやく探し当てることができた。このフランスのメトロ1号線とC号線では連絡道でつながってはいるが2つの別の駅が存在するのだが切符売り場は1箇所しかない。パリのメトロではどこに行くのも市内であれば一律切符1枚1.4ユーロで切符もどこから乗ったなどは関係なくてどこで切符を買っても同じ切符なのだ。だからこっちの人は何枚か切符を常に持っているようだった。日本でいうとどこから乗ってもいい回数券のようなものだ。急いで切符を買ってC号線の改札に着くと奥さんが少し心細そうに待っていた。なんとかメトロに乗りホテルに到着したのは夜の11時をまわっていた。ホテルに着くとおなかが空いていることに気付きホテルの周りを見てみるとレストランとサンドイッチ屋に灯りが・・・いまさらレストランもないのでサンドイッチ屋でフランスパンにチーズとハムがはさんであるパンを買ってそれを夕食にすることにしてホテルの部屋へ。ホテルの部屋に入るとなんだかとても暑い・・・・クーラーを強くしても全然冷えてこない。どーもクーラーがボロいみたいだ。おまけに冷蔵庫がない!!あとで聞いたのだがフランスのホテルは、上の方のクラスにならないと冷蔵庫はついていないらしい。おまけに町で売っている飲み物は、なんか冷えが甘い・・・そんな訳でやや蒸し暑い部屋に冷えの甘いコーラとパンとでパリ1日目の夕食となった。微妙に蒸し暑いので寝にくそうだなぁーと思っていたが初日の疲れの敵ではなく、疲れたなぁーなんて奥さんと話しているうちにベットで泥のように眠りについた。
2006年07月03日
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-2006年7月2日-7月2日PM11:45 QR821便 関空発ドーハ行このフライトが旅の始まりだ。カタール航空での旅で行きは、ドーハで7時間30分のトランジットがある。ドーハからまず最初の目的地パリまで向う。ドーハ→パリは、PM13:00 QR017便。京都駅から空港バスに乗ることにした私達であったが駅までどうやって行こうかと思案していた。その時、携帯電話が・・・・取るとMYおかんであった。旅を心配して電話をかけてきたらしい。少し話をしていると『京都駅まで送っていってやろかぁー』とのありがたい申し入れ。もちろん直ぐに御願いすることにして6時に家まで迎えに来てくれることとなった。そんなこんなで関空に到着して早速チェックインしてしばしの待ち時間のあと日本を飛び出した。さー奥さんと2人の10年目記念旅行の始まりだ!!カタール・ドーハまでは約11時間45分のフライトだ。久々のロングフライトであったが年を取ったせいか、寝て過ごすことは苦痛にならなかった。ちなみにこのカタール航空、どこかの評価のサービス部門で5ツ星に選ばれたみたいだったが実際乗ってみるとそうでもなかったような・・・・学生時代に乗ったシンガポール航空のほうが良かったような気がした。ただエコノミーにも全席テレビがついていて日本の映画も少しやっているのでそれは非常に良かった。私は、織田裕二主演の『県庁の星』を見た。なかなかコミカルで面白く時間潰しにはもってこいだった。そんなこんなでドーハに到着。ドーハには、1時間ほど早く現地時間4時30分に到着した。ここからが長かった・・・・・予定ではトランジットに7.5時間あるのでどうして時間を潰そうかと考えていた私は、ネットで『トランジットツアー』なるものを発見。カタール航空が催しているものでビザなしで2~3時間のドーハツアーをしてくれるというものだ。で早速、高校時代は赤点まで届くかというような英語力を使って交渉を開始した・・・・・・・交渉すること10分・・・・・無残にも私の交渉力ではトランジットツアーに辿り付くことはかなわなかった。航空会社の人が言うには、そんなものはないもしくは無理、みたいなことで町にでたいならイミグレからビザ取って出なさいとのことであった。ビザ取ってドーハの町・・・・・・時間はAM4:30・・・・・奥さんと相談の上、出ても朝早いからなにも無いだろうしもしも帰ってこれなくなったら大変なことになるので諦めよう、との結論に達した。で空港内で待つことに・・・・・7時間が過ぎてもパリ行きの便には【Delayed】の文字が・・・・・おまけにこのドーハの空港は、まず狭い!!ぐるっと周ってもがんばっても1時間はかからない、とにかく狭い。あと寒い!!クーラーが異常に効いていて半端じゃなく寒い。外から日光が入ってくる場所を探し出せなかったら間違いなく風邪をひいていたに違いない。なんでアラブの空港がこんなに寒いんだ!!結局PM13:00発の便が2時間遅れてPM15:00に出発することに・・・・・やっとの思いでようやくパリへ旅立つことができた・・・・・あんまり長いトランジットはもう懲り懲りだ。パリまでは約8時間のフライト。現地時間でPM7:00に到着予定が2時間遅れてPM9:00に到着になった。遅くに着く事に若干の不安を覚えながらもパリへと旅立った。
2006年07月02日
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このブログというのは便利だなぁーと思う。自分の思い出や記憶をネット上に残しておけるからだ。まぁ手記なんかをノートに書いて残せばいいのだがなかなか書くのは面倒だ。でもブログにならスラスラ書くことができる。ということで7月2日~9日に思い切って行ったヨーロッパの旅行記を書いておこうと思う。まず何故大胆にも9日間もの旅行を行くことにしたかというと、2006年7月7日でうちの奥さんと知り合ってからちょうど10年になるからである。1996年7月7日に出会った私達は、その4年後の2000年7月7日のプロポーズを経て結婚した。だから今回その10年という区切りの7月7日に旅行をしようと2人で計画したのであった。行き先は、少し短めの東南アジアと思い切って長めのヨーロッパの2つと考えたのだが、奥さんの希望でヨーロッパに行くこととなった。で行き先だがコスト面、融通性などを考えるとイギリス、フランス、イタリアなどに絞られる。奥さんの希望で2カ国は回りたいとのことであったのでその条件でコストを考え探していると・・・・・ローマ・パリ、ロンドン・パリあたりが該当する。奥さんの希望は、ローマ・パリ・・・・・んっちょっとまてよ・・・・・旅行は7月初旬・・・・という事は・・・・・・・・・ ウィンブルドンの真っ最中ではないか!!もちろんチケットなどない・・・・でも近くまでいって雰囲気ぐらいは味わえる!!テニスを志すものの端くれとはいえ一生涯に1度でいいから聖地ウィンブルドンに行ってみたいではないか。思い立ったが吉日、早速奥さんと交渉・・・・・・苦戦必至だと思っていたのだが、快く賛同してくれ今回の旅がロンドン・ローマ9日間に決定となった。学生時代ぶりのヨーロッパ、パリは2度目、ロンドン3度目の旅はこうして始まった。
2006年07月01日
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