Pacalet
がワインを作り始めたのが 1999
年なのでこの年が便宜上自然派元年とでもしておく、勿論その前にも Nicolas Joly
等が作っていたがキーワードはビオディナミで自然派という言葉では括られてはいなかったように思う。)。ここ数年、この自然派ワインが拡がり、日本ワインブームと融合したり(赤、白、ロゼに続く)第4色のワインとも言えるオレンジワインも取り込んで大きなムーヴメントになっている事は誰もが認めるところだろう。
このムーヴメントがブルゴーニュやボルドーに代表される既成のエスタブリッシュメントというテーゼに対するアンチテーゼとして捉える人もいるが私としてはどうもこの一連の流れがダダイズムと同様であるように感じる。それは規制の秩序(ワインで言えばアペラシオンの規定だろう)や常識(これは先人が試行錯誤で確立させたワイン作り)に対する否定という主義主張を基に、それを実践してワインを作っていることである。更に言えばダダイズムの芸術家と同様、多くの作り手が専門性を持たず、下積みの経験もせず、更には優れたエスタブリッシュメントのワインに expose された経験を持たずに自意識過剰的に、作品で有るワインを作り、その作品の質は玉石混淆、そして多くは石である、であると言う点だ。そしてダダイズムと同様、その作品はもう一つのエスタブリッシュメントである商業ネットワークに乗り、ごく一部の人だけに受け入れられていくという感じだろうか。それが近年の SNS で称賛する同調者だけ集まり更にその称賛がごく一部の間で更に強化される。個人的にはダダイズムと同様、歴史のフィルターを越え人を感動させるには至らず、最終的には雲集霧散していくように思える。今の自然派の作り手のうちで次世代につなげていけるのはほんの一握りであろう。まあ、あまり纏まってはいないが個人の感想と言う事で(笑)。
このワイン、香りは漬物汁。酸が尖っていてちょっと飲むのもきつい。アルコール度も低く間違いなく乳酸菌、酢酸菌が混じった雑菌発酵だろう(意外だが雑味は少ないので他の菌は余り無いのではと思う)。果実は薄い。京漬物にすぐきというものがあるが、アタックからフィニッシュまでそのすぐき汁の酸が貫き、白果実は全く感じられない。勿論アペラシオンが取れない。2口でギブアップ。個人的にはこれがワインと名乗れるのか疑問である。それはまさに Marcel Dechamp の Foutain が芸術作品であるかの疑問と同じだろう。ワイン名は cadeau をかけているが、全くとんだ「贈り物」になってしまった。
このブログではワイン評として余り悪い事は書きたくないが、このワインについては敢えて書いた。それは彼にいつかアヴァンギャルドを止めきちんとした conventional なワインを作って欲しいからだ。それだけの力のある彼なら中々のワインが作れると思う。
まあ、あくまでも個人の感想という事で。
まだ1本セラーに有る(苦笑)。Y
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