全48件 (48件中 1-48件目)
1
ガンマーナイフを照射して、2年目の定期検診がありました。最初は先生のいわれたとおり、組織が膨れ1.5倍ほどまでになりましたが、その後きれいな放物線を描いて縮小しています。今後は、さらに加速して小さくなるそうです。次の検診は半年後の7月です。
2005年01月22日
コメント(3)
何とか、キーボードが打てます。入院8月6日手術8月16日退院8月28日入院は予定どうりでしたが、先生に緊急手術が入ってしまい2日ほど手術はずれ込みました。手術時間は今回も長く17時間もかかりました、手術室には朝の16日午前9時に入って、出てきたのは夜中の2時過ぎ日付は17日でした。そのあと集中治療室に3日おりました。感染症もなく手術は成功です。術後のMRIの検査では顔面神経の部分にほんの少し腫瘍が残っただけです。ただし、手術中の人工呼吸の口へのチュウブが、舌を歯との間に挟み込んでしまい、長時間全身麻酔でそのままであったためベロが損傷しふくれあがり、口の中にとても大きなあめ玉を入れたようになり、意識が戻ったところが、息がまともに出来ない状態となり苦しみました。続く・・・
2002年09月14日
コメント(0)
入院が決まってから、職場では業務の引継に大変忙しい毎日を過ごしています。作業保留となったいた仕事の顛末をはっきりさせたり、過去の経緯を書類として残しておいたり、現在進行形で中途半端になってしまっている物やこれから予想されるであろう業務について、後任の後輩に詳しく説明しています。普段、人事異動が頻繁にあるような大企業ではないので、業務の引継を対応をした仕事の進め方をしていませんでしたから、今、とても大変です。整理しなくてはならないことが山ほどあります。自分のことなど、考えている暇がありません。
2002年07月23日
コメント(0)
12日の診察で、再手術が決定しました。入院が8月9日で手術が8月14日です。手術の手法は、昨年実施した手術と同様となります。 今回の問題点1.再手術のため、開頭してみないと患部がどのような状態であるかはわからないそうです。場合によっては患部がグチャグチャでどこがどうなっているのかわからない場合には、精密な作業のしようがないことが考えられます。2.以前の手術の時、患部が思ったより堅くて切除(様々な反応を見ながら少しづつ削り取ります)するのに通常の3倍以上の時間がかかってしまいました。今度は以前よりも大きくなってしまっています。3.よって、今回は、広範囲に思い切った切除が必要となる場合もあります。その場合は、様々な後遺症を覚悟しなくてはなりません。4.後遺症は、患部が右脳のほぼ中心付近にあり、様々な神経の集中している部分に近く、どのような症状となるかは断定できません。5.以前は、小脳の一部に癒着が発生しており、この部分を切除しました。幸い運動障害の症状は出ていませんが、今回は、さらに広範囲に小脳の切除が必要となった場合、体の運動機能に障害が残る可能性が高くなります。6.また、患部は脳幹にも近く、この部分にも影響が及ぶ危険性があります。脳幹部は、人間の生命維持装置で、人間が意識しないまま活動している各部の活動を制御をしているのだそうです。無意識のうちに働いている臓器等の活動をつかさどっているのだそうです。たとえば、心臓の鼓動とか、呼吸とか、胃腸のぜんどう運動とか・・・・ 今日は主治医から、最悪のことを前提とした話がいろいろとありました。以前、ガンマーナイフの専門医も、同じようなことを話されてショックを受けましたが、やはり主治医から聞かされると、さらに大きなショックでした。
2002年07月15日
コメント(0)
先週、金曜日に、勤務先の休暇を取り、主治医のところへ、差し戻されたことの報告に診察に行きました。でも、出張中とのこと、しかたなく今度の診察可能な1週間後の金曜日午後に予約を取り、預かって行った各種フイルムを返却してきました。再手術は確実でしょうが、実際どんな具合で、どんなリスクが考えられるのか、今後の予定はどうなるのか、いろいろなことが不透明で、この後1週間の間、とても不安です、生殺しになってしまいました。
2002年07月07日
コメント(0)
今日のガンマーナイフの専門病院での診察の結果ですが、専門医の話では患部の容積が大きすぎて、処置が不可能という診察で、主治医の病院に差し戻されました。どうやら、再び、1年半前と同じ手術をして、開頭し患部の切除の後、どうしても残ってしまう部分については、術後3ヶ月後にガンマーナイフ処置することとなりそうです。予想をはるかに上回る勢いで、腫瘍が増殖しているのだそうです。(普通は早くても10年ほどかかるのだそうです)金曜日に、主治医ともう一度相談です。・・シックで・・ショックで・・ショックで・・
2002年07月02日
コメント(0)
1ヶ月以上、日記への書き込みをさぼっている間に、また状況が悪化しました。顔面の右半分に違和感を感じるようになってきたのです。頬が冷たいように感じたり(さわっても普通に暖かいのです)、歯を抜いたあとの麻酔が中途半端に覚めたようにかんじたり。いつもめがねをかけているような圧迫感が鼻の上にあったり、たいしたことではないのですが、なんか変です。担当の先生に相談したところ、念のためMRIを取ってみることとしました。結果は、摘出した腫瘍がまた大きくなっているのです。・・ショック・・手術のあとの説明で、どうしても一部摘出できない部分が残ってしまっていることは聞かされていました。先生の話では、「摘出した組織は、良性の腫瘍なので、残っていても大きな問題ではないでしょう。もしも発達するようなら次の手があります、まあ、10年以上は大丈夫でしょう。」だったと思いますが。1年半で、次の手を考えなくてはならなくなりました。明日、次の手の治療(ガンマーナイフ)をどのように行うか、県内に唯一この装置の設置されている県立病院に、主治医の紹介状と各種フイルムをもって診察にいってきます。なんか、私は、この手の病気のフルコースを体験しているみたいです。このあとは、??????? なに ???
2002年07月01日
コメント(0)
この集中治療室の中は、脳神経外科の患者だけです。全て脳に障害があってこの部屋にいるのですから、ちっと普通の病室とは違っています。わたしの頭にはアラビアンナイトのようなキャップが被され、ほとんど動かせません、脳天から管が出ていて頭蓋骨の中の血液を外に出すのだそうで、枕元の小さなポリタンクに繋がっています。右の足には、点滴用の管が差し込まれていて、10種類ほどの薬ビンがぶら下がって、わたしの体と繋がっています。はじめの頃、とにかくあつかったことと、無性に体を動かしたくて、つらかったものです。
2002年05月27日
コメント(1)
家族が面会に来ました、みんな帽子をかぶり、看護エプロンを着てマスクをしています、完全防備です。わたしの手術は、なんと18時間もかかったそうです、先生からは8時間もあれば終わりますよと聞かされていた家族にとって、とても長い時間だったそうです。朝9時に手術が始まり終わったのが翌日の朝3時すぎだそうです。1月の夕日が沈むころ、もうそろそろ手術も終わって帰ってくる頃と思っても、なかなかでした。夕方6時になって、看護婦さんに聞いても「今スタッフみんなで頑張っています、心配しないで・・・」なぜ時間がかかっているのか、いいのか悪いのか、具体的なことは一切教えてくれなかったそうです。よけいに、いろいろなことを想像してしまい、時計の動きの遅い、長い時間になっていました。夜9時をすぎて、わたしの死を覚悟したそうです。夜中の零時をすぎて、葬式の段取りを考えたそうです。
2002年05月24日
コメント(0)
長い眠りから覚めたのは集中治療室の中です。人工呼吸器がセットされのどがからからでした。自分の呼吸のリズムと人工呼吸器の動きが合わず、次第に息苦しく感じてくるようになりました。なんとかこいつをはずして欲しくなりました、必死に看護婦さんに訴えるのですが、言葉にならない「ウーウー」では、なかなか受け入れてくれません。そのうち、耐えられないほどの、のどの渇きを覚え、激しい息苦しさとなってきました、涙を流して苦しんだものです。やっと人工呼吸器をはずしてくれた時は、とても楽になり、水をもらいました。今度はうれしくて涙を流したものです。
2002年05月23日
コメント(0)
「わたくしは、今日Bonさんの手術のお世話をいたします、担当の看護婦で***ともうします、よろしく・・・・・」自己紹介のあと、手術までの簡単な説明がされて、ベットに案内されました。そこは、まだオペ室ではありません、しばらくして、麻酔科の先生がおいでになり、ベットに横たわったわたしは、オペ室まで連れて行かれました。歩いていくことは出来ますが、なぜだかベットで移動です。オペ室の中は、いろいろな機械でいっぱいでした、横になっていたのでよく部屋の状況の見えないことがいっそうの不安感を感じました。腕にチクリと痛みを感じ点滴の注射が始まりました、「数を数えて・・・」いくつまで数えたのでしょうか。
2002年05月16日
コメント(0)
いつのまにか朝でした。朝食が終わったころ、手術着に着替えました。パンツもはかないで、前あわせの薄手の着物です、ビジネスホテルの寝巻きみたいです。手術は9時からなのでまだしばらく時間があります、窓の外を眺めていました。看護婦さんが迎えにきました、手術室までは歩いていきました、入り口の大きな自動ドアを入ると、向こう側に同じようなドアがまたありました、その中間の床に白線があり、私はその白線の手前で立ち止まりました。病室の看護婦さんは窓口で持ってきた書類を渡し、手術室の看護婦さんに私を引き継いでいます。目の前の自動ドアが開き、中から出てきた看護婦さんが、私の名前と生年月日を確認して招き入れました。まるで、白線は国境で、入国審査のようでした。「じゃあがんばってください・・・」「ありがとう・・・」病室の看護婦さんと言葉を交わし、私は中に入りました。
2002年05月11日
コメント(0)
これで手術前の準備は全て完了です。消灯時間いっぱいまでそばにいてくれた家内も帰宅しました、「・・・じゃあ・・・明日・・・手術に行く前までに来ますから・・・ゆっくりやすんでね・・・おやすみ・・・」何となくぎこちないように感じました。でも、とても感謝しています。あとは寝るだけです。看護婦さんがしばらくして、「眠り薬持ってきましょうか?」と、気遣ってくれましたが、欲しいとは思いませんでした。眠れなければそれでいいと思いました。ベットに横になって、それこそ、まな板の上の鯉ですが、いろいろと考えているうちに寝てしまいました。
2002年05月07日
コメント(0)
もう一カ所、右足の太股の毛を、夜、看護婦さんに、これまたすっり剃られてしまいました。ツルツルで中学生の頃に戻ってしまったようです。股間の部分は、血管造影検査の時に剃られていたので、右足は膝から上は、ツルツルになりました。もう片方は、すね毛でいっぱいなのに、変なの・・・なぜ足なのかというと、手術は、後頭部の下部から開頭するのですが、脳みそというのは、頭蓋骨の中で水の中に浮いているそうです。下の部分から手術をするので、後でその水が漏れてきてしまうのだそうです。その部分につぎはぎの布のようにあてがうための膜を、太股の筋肉から派がして使うそうです。以前は牛の脳膜を使っていたそうですが、今は本人の筋肉の膜を使うようになったそうです。そのために、右足も毛を剃るのだそうです。
2002年05月06日
コメント(0)
最後の準備は、スキンヘッドです。本当にツルツルにするんですね。看護婦さんが予約をしてくれて、時間になったら病院の中にある理髪店に行きました。「明日、頭の手術をするので・・・」「ああ予約の**さんね、聞いていますよ、さあ座って・・・」気持ちいいぐらいにバッサリと行きました。しっかりとカミソリも当てていました。鏡の中の自分の姿を見ると、この頭も以外と似合うものだと、今の職場を首になったら仏の道もいいなと思ったりしました。
2002年04月28日
コメント(0)
さて、手術のための入院となりましたが、実施予定日まではまだ1週間あります。でも、忙しかったですよ、いろいろな検査で・・・様々なポーズのレントゲン、CTスキャン、MRI、血液や尿、肺活量や体重、身長 ?? 一番つらかったのが、血管造影検査でした。検査自体は局部麻酔で痛みや苦痛はさほどではないのですが、股のところの大動脈に大きな穴を開けるため、検査の後、血管が完全にふさがるまで、大きな砂袋を股間に乗せられて、丸一日身動きが出来ないのです。小水はヘットの上で溲瓶にするのですが、私は寝た状態のままではどうしても小便が出ませんでした。どこにどうやって力を入れたら小便が出来るのか混乱してしまいダメでした。とうとう****に管を差し込まれてしまいましたが、おしっこが管の中を流れていって、膀胱が軽くなっていくのがこんなに気持ちいいものなのかと実感しました。
2002年04月26日
コメント(0)
初めて脳外科の先生にお会いしたときの、先生の対応には、びっくりしました。リスクについてのお話はわかりやすくありましたが、自分の技術については、ものすごく自信に満ちたお話でした。自分は日本で有名な脳神経外科医師であること。このくらいの手術は数多く経験しており、手法も日進月歩であり、最新の技術では摘出手術による様々な後遺症の残る確率はきわめて低いこと。とにかく、こんなに自信を持った話をしていいのかと思うぐらいに感じました。そして、肩書きのいっぱい書かれた名刺を渡されたのでした。お医者さんから、名刺を渡され、「大丈夫、任せなさい・・・」と、きっぽりいわれたことは、患者にとって、ものすごく心強いものでした。
2002年04月20日
コメント(0)
みなさんも自分がいなくなった世界を、一度真剣に考えてみると、生き方や考え方が少し変わりますよ。それは多少はあるでしょう、テレビドラマや映画で、そんなシーンに心を打たれ、自分自身に当てはめてみたことは誰でもあることです。でも、いくら考えても所詮は仮定の世界、いろいろと思いめぐらしたあと、現実に帰るとそこには相変わらずの自分がいるのです。映画やドラマでは、死者が現世をしばらくみていることや、かかわっていることが出来ることがまりすが、そんなことはあり得ないことだと思います。死後の現世をみたいという人間の欲求と、見られていたいという残された家族の思いが、そんな空想物語を多数作っているのでしょう。
2002年04月13日
コメント(1)
真剣に身辺整理をしました。勤め先はもとより、私生活や家庭のこと、あらゆることで私のいなくなった後でも、極力支障をきたすことの少なくなるようにと、様々と考えを巡らしたものです。いままでなら、将来の世界はすべて自分が中心となっており、他人のことであろうと、自分のことであろうと、自分の今いる場所であろうと、自分の立ち会ってはいない場所であろうと、他人のことでも、身内のことでも、かどんなシュチエーションでも、常に私の目線で見ていたはずでした。しかし、初めて、私のいなくなった世界を真剣に考えました。
2002年04月10日
コメント(0)
耳鼻科の部長先生の紹介で5日後に、脳神経外科の部長先生の診察を受けることとなりました。当日は時間までに女房と二人で伺いました。二人で来て欲しいことは先生からのリクエストでありましたが、よけいにいろいろなことを考えてしまいました。しかし本人は当日までには、いろいろ調べて、もう落ち着いていましたが、女房は穏やかな心境でいられるはずがありませんでした。お話は、事前に調べていたとおりの説明がされました。こちらの予想を上回ったのは、腫瘍自体がだいぶ大きく、今後、小脳や脳幹に対して影響を及ぼす可能性が大きく、早急に摘出手術が必要であること。摘出手術自体が成功しても、顔面だけでなく様々な後遺症の可能性があることを知らされました。
2002年04月06日
コメント(0)
様々な文献や体験記など、インターネットを駆使して情報をむさぼるように収集しました。びっくりしたり驚いたり、がっかりしたり落胆してたり、ぶん殴られたり蹴り飛ばされたり、突き落とされたり投げ落とされたり・・・ でも、自分のことの場合だと以外に冷静な対応がとれるのですね。ひとつひとつ私の置かれている状況について分析を初めていました。いままで私の周りで様々な事件が通り過ぎましたが、ひとつとして100%冷静な対応がとれていたことなどありません。でも、今は心が静かです。少なくとも自分の中では静かで完璧な悟りであったと思います。しかし、揺らいだことがひとつだけありました。・・・「家族」・・・です。
2002年04月04日
コメント(0)
最悪の場合、右半分の顔面神経麻痺が残り、右目の瞼が閉じなくなってしまい、眼球が乾き失明するようです。これを防ぐため定期的な目薬の点眼が必要になったり、眼帯をして強制的に瞼を閉じさせるようです。唇も、右側が垂れ下がり閉じにくくなります。よだれが漏れたり、食べ物のそしゃくが上手く出来ず、外にこぼれてしまったりするようです。こんな症状をリハビリで改善していくような顔面マッサージのことが詳しく解説されたホームページも見つけました。右半分の私の顔は、笑うことや怒ること、そして泣くこともない感情表現の出来ない、仮面の顔になっちゃうのかな???
2002年04月03日
コメント(0)
いろいろと調べたところ、腫瘍が良性である確率は90%以上であること。早期の発見であれば、はとんど生命に対して危険を及ぼすことはないようです。しかし、問題の聴神経のすぐ近くを顔面神経の束が走っており、摘出手術の影響でこちらに及ぼす影響が大きいようです。最悪の場合、顔面の右半分への神経に損傷を与えてしま可能性があるようです。バイク事故でビート武史が、顔の半分に異常を来したのと同様に、ゆがんだ顔になるとのことです。とにかく、患部側の聴力は全くなくなり、片方の三半規管の情報伝達も行われ無くなり、おまけに、顔もゆがんでゾンビ化しまうようです。
2002年04月01日
コメント(0)
腫瘍と言うことは、悪性なら「ガン」、しかも場所は頭蓋骨の中、耳の治療をしても良くならなかったはずです。耳の異常ではありませんでした、聴神経の問題でした。1週間後に家内と一緒に脳神経外科の先生の話を聞くことになりました。耳鼻科の先生は、すごく簡単に「・・・腫瘍ですね・・・」といっていたのですが、普通テレビドラマなんかではこういうことは患者に直接言わないように思うのですが・・・ということは、私の場合はあまり大したこと無いんだろうか?・・とにかくいろいろな文献やら、インターネットを駆使して、このくせ者の正体を暴こうとしました。
2002年03月31日
コメント(0)
MRI検査の診断結果を聞かされる日が来ました。いつものように、診察の受付を済ませて、いつものように、順番通り待合室で呼び出されるのを、ただ何も考えことも無く、ボーと待っていました。今までに、この病院に変わってから、主治医が3回ほど変わって、今は、耳鼻咽喉科の部長が担当いただいていました。「やっぱり何かが起こっていましたね・・・これは、聴神経腫瘍といって・・・」その後どんな言葉が先生の口から出てきたのか、あまり今は覚えていません。私の検査フィルムを白い光で浮き出して、頭の中にあるゴルフボールほどの白い玉をボールペンの先でさし示して、確か先生は「・・・腫瘍・・・」といっていました。
2002年03月30日
コメント(0)
再度MRIの検査を行うこととなりました。この検査は以前にかかっていた病院で、2回目の発作で入院した際、すでに受けて異常が見つからなかった検査です。強力な磁力線を使って患部の断層映像を撮って診断する、最新の医療診断技術です。大きなドーナッツ状の検査機器の中で寝かされてドンドンという大きな音を聞きながら約10分ほどじっとしているのです。私の脳味噌のきれいな断層写真ができあがります。診断結果は1週間後に先生から聞くこととなりました。
2002年03月29日
コメント(0)
なかなか症状は好転しません、相変わらず、軽いめまいと、難聴のままです。聴力は徐々に悪くなっているようにも感じました。「・・・何かが起こっている・・・」「・・・もう少し、様子を見てみてましょう・・・」という先生の言葉が気になって仕方ありません。私はどうなるの。私はどこへ行くの。誰か教えて!!!
2002年03月27日
コメント(0)
ともかく、もうしばらく様子を見ることとなりました。自覚症状は何も変わってはいません。本人が感じるのは言葉を理解しやすいようにするためには、右耳の雑音を何とかして欲しいと思います。「はひふへほ」が「ばびぶべぼ」に、聞こえる音全てに濁音がついて聞こえてしいます。従って、正常に聞こえる方の耳のじゃまをして困っています。いっそダメな方の耳は音が聞こえない方が楽なんじゃないかと思っています。ただし、めまいは何とかならないものでしょうか??
2002年03月26日
コメント(0)
手術は無事終了しました。術後はショックでしばらくは激しいめまいと、聴力も激減し不安定な状態が続きましたが、しだいにめまいも快復の兆しも見え、だんだんと耳も聞こえるようになってきたのですが、最後まで大型フエリーに乗船しているようなふわふわとしためまいと、難聴と、たとえ聞こえていても言葉をはっきりと聞き取れない状態が続きました。先生は「あわてなくても、だんだんと良くなっていきますから心配しなくて大丈夫・・・」そして1ヶ月ほどで退院しました。もう症状が出てから1年近くたっていますから、多少のめまいではびっくりしません、入院や手術はゴメンですから、ひたすら我慢をして、上手に病気と付き合うこととしていました。その後1年ほど外来で通院しました、ある日、先生が「・・・今までいろいろとやっているのに、なぜ眼振動(めまい)が留まらないのでしょうか・・・聞こえも徐々に悪くなっているし・・・内耳で何かが起こっている・・・うむ???」 こちらが、聞きたいよ!!
2002年03月23日
コメント(0)
手術は、耳たぶの後ろ側を、しわに沿ってメスを入れます。ほとんど傷跡はわかりません。床屋さんに行ったとき襟足にクシを当てられるのがちょっとびくつくぐらいです。痛みはないのですが何となく違和感があります。そして耳たぶをめくって、内耳をめがけて頭蓋骨にドリルで穴をあけます、そこへ器具を差し込んで三半規管の管にミクロ単位の小さな穴を開けるものです。とても精密な作業が要求され顕微鏡をのぞきながら行います。時間は8時間かかりました。むろん全身麻酔ですから、本人は数を数えているうちに気遠くなり、目が覚めたら終わっていました。この間、家族はやきもきして大変だったとのことです。・・・ごめんなさい・・・
2002年03月21日
コメント(0)
2ヶ月たって、4回目の発作です。これで、3月・7月・9月・12月と年間4回目の発作です。先回先生がおっしゃっていたように、内耳の手術をすることとしました。もともとメニエル病とは国から難病に指定されておりますように、原因もその治療方法もはっきり確立されてはいない病気だそうです。要するに、試行錯誤で、様々な医療機関でいろいろな治療に対する研究や実験がされているとのことです。私の受けるこの手術は、内耳にある蝸牛および三半規管の中のリンパ液の内圧が何らかの影響で通常より高くなってしまうために難聴やめまいが起こるのであるから、このさいこの部分にダイレクトに穴をあけてリンパ液がそとに出るようにしてしまえば圧力は異常に上がらなくなるわけだから・・・という実に短絡的な手術です。なぜ、リンパ液の圧力が高くなってしまうのかは、よく解明されていないそうです。
2002年03月20日
コメント(2)
今度診察していただいたのは、大学付属の総合病院にしました。きれいで、大きく、最新の設備もいろいろあるのでしょうが、今考えるといろいろなことの実験台にさせられてしまったような気がします。今回が3回目の発作であること、今までの治療の経過と、症状の変化のことなどをお話しし、そのあと、これまた様々な検査を行いました。診断の結果は、「メニエル病」、やはり2週間入院となりました。同じような治療を行い、退院することとはなりましたが、本人としては、また発作に見舞われるのではないかという不安でいっぱいでした。先生いわく「今度発作が起きたら、内耳の手術をしましょう・・・」でした。
2002年03月19日
コメント(0)
予定通り、2週間の留置場生活も無事済ませ、出所となりました。再び皆様にご迷惑をかけつつ、現場復帰を果たしたのですが。常に皆様のお荷物であり、戦力としてはマイナス要素が大きかったことでしょうが、本人としては、会社のため、家族のため、必死で頑張りました。・・・が・・・2ヶ月したら、また再発して入院となってしまいました。「この病気、再発はしないのですが・・・」といっていた、病院やドクターに対しての不信感から、今度の病院は今までとは違ったところに入院しました。
2002年03月18日
コメント(0)
普通では考えられない、突発性難聴の再発とあり、さまざまな検査や治療をしました。皆さんおなじみのヘッドホーンから「ピーピー」という音が聞こえたら手で持ったスイッチを押す検査はしょっちゅうやったし、いろんな音を聞かされたときの脳波の変化の測定もしたし、テープから流れてくる女性の声を聞いてテスト用紙に書いていくとか、電磁波を使った脳の検査もやったし、検査台の上で両足をぴったりくっつけたまま立たされて重心位置のふれの測定もしたし、顔中電極をつけられて目の前のスクリーンに映される光を眼で追っかけさせられたり、耳の中に冷たい水を入れて検査したこともあります・・・・。変わった治療では、首のところの神経に局部麻酔注射して、顔半分がポーとあつくなるのとかを毎日しました。後はひたすら、何も考えずリラックスしているのが治療でした。
2002年03月17日
コメント(0)
治療は、先回の入院の時と同じく、点滴の嵐。朝食後、昼食後、夕食前、就寝前。それぞれ2種類を合計8本も1日にするのです。血管がまいってってしまいました、針は刺しっぱなしですから良いのですが、血管の内壁が薬品に反応してしまい、紫に腫れ上がり激痛です。静脈が肩の後ろまでびりびりして耐えられません。「看護婦さん、薬の濃度まちがっていませんか?・・・・」徐々に段階をおいて点滴の数は少なくなっていきましたが、私にとっては地獄でしたね。血管の異常に対応していただき、やっとの事で点滴を飲み薬に替えてくれました。これは、魔法のステロイド剤だそうです。
2002年03月16日
コメント(0)
何とか職場復帰をしてはいましたが、完全な状態ではありませんでした。2ヶ月後、また、ままめまいが激しくなりました。ぐるぐるとしためまいではありませんが、大荒れの海で船に乗っているごとく、まともに立っていることが出来なくなってしまいました。医者は「突発性難聴は、普通、再発はしないのですが・・・しかも、こんなに早い時期に ???」 とりあえず、メニエル病を疑って検査のため点滴をして、1時間ほどゆっくりしてから聴力の快復状況を確かめましたが、変化が無く、これは、まれにみる突発性難聴の再発であると診断され、緊急に再入院となりました。また、様々な点滴のために、ベットの上でじっとしているつらい毎日の始まりです。
2002年03月15日
コメント(0)
職場の皆さんのお気遣いのなか、無事に現場復帰をしました。しかし、健常者と同じには行きません、電話は左の耳でしか取ることが出来ず、電話中は、周りの人の言葉は聞き取れません、右耳の聴力が落ちていて聞こえにくいのに、右耳で聞こえる音が全て雑音になってしまい、正常な左耳で聞き取った音のじゃまをしてしまいます。正常なときにはそれほど気にならなかった、コピー機の音とか、FAXの作動する音、コンピュータのファンの音、誰かが電話している声等、全ての暗騒音が私の言葉を理解するための聴力のじゃまをするのです。ざわざわした場所で、大きな声で話しかけられるより、静かなところであれば、小さな声での会話の方がよく聞こえます。家族には、「なんだ聞こえるじゃん・・」といわれますが、そんなときなのです。どうしても、聞かなくてはならない会話の時は、聞こえる方の耳には手のひらをかざし音を取り入れやすくし、雑音になってしまう方の耳の穴を指でふさいでしまいます。こうすると、何とかなります。
2002年03月10日
コメント(0)
2週間の入院生活が終わり、退院することとなりました。症状としては、完全に元通りにはなりませんでした、めまいは、大型フェリーに乗船しているような不安定な状態だし、右側の耳は、聴力としては70パーセントぐらいまで戻りましたが、クリアーに聞こえず言葉の内容が聞き取りにくい状態でした。先生は「後遺症でこのような症状が残ることがありますが、徐々に元に戻るでしょう。身を守るための危険な音は聞こえるのですから、心配しなくていいでしょう・・・」 とにかく退院し、職場復帰をしました。しかし、私の場合は、これで終わりませんでした、むしろ、これが始まりでした。
2002年03月09日
コメント(0)
入院は2週間、原因は疲れやストレス等精神的な要因が大きいとのことでした。ステロイド剤の点滴を受け、何も考えずにゆっくり静養して皆さん治りますよとのことでした。片方の耳が聞こえないことは先生に言われて初めてわかりました。1週間ほど治療をし、めまいがある程度落ち着いてきた頃、耳の違和感が気になり出しました。聴力はデーター的には順調に快復しているのですが、聞こえかたが、以前とは違うのです。ザーザーと耳鳴りはするし、安物のラジオを聞いているような、破れたスピーカーの音を聞いているような、何か話していることはわかるのですが、言葉が鮮明に聞き取れずに、内容の理解がしづらい状態でした。
2002年03月08日
コメント(0)
私が突発難聴と診断され入院したのは、99年3月28日に急に激しいめまいにおそわれて、会社を早退とした翌々日のことでした。年度末ということもあり、仕事は悲鳴が出るほど忙しいものでしたが、若い頃に体は鍛えてありますし、多少のことでは音を上げない自信はあったのですが・・・女の先生でした「ほら、目の玉が回っているでしょ・・」水中めがねの親方みたいな器具をつけられて私の目の玉の動きをのぞいているのです。そんなこと言われたって、私には見えません、ただ天井がぐるぐると回っているのです。3日間近くこんな状態ですから、目が回っていても、すでに私はとても冷静でいられました。状況分析をはじめていました。天井が実際に回転しているはずはないのですから、動いている天井の模様が、どこかでつじつまが合わなくなってしまうはずだと思うのですが、きれいに回ってしまいます。また、点滴瓶の中の液体がどんどん増加していくのです。あふれてしまうはずなのですが、確かに増加して見えるのですが、あふれません。点滴管の途中にある速度調節のストッパーが管を上っていきます、上に上に、このままでは瓶にぶつがってしまうと思うのですが・・・。カーテンのひだが、滝のように見えます。上から下へ水が落ちているように見えます。まだまだ普段では経験できないことがいっぱいありますよ。
2002年03月06日
コメント(0)
日記を書くことって、かったるいんだけど、自分こと、身の回りのこと、社会のこと、様々なことを考えるきっかけになるものですね。手帳をもち、近未来のスケジュールに関しては、こまめに管理していますし、1年前の手帳を確認することも多いですが、間近にすぎてしまった時間のことなど、この年のおじさんになるとあまり無かったことに改めて気がつきました。ちょっとした時間ですが、何となく、ほんのりします・・・・
2002年03月03日
コメント(0)
座敷犬を飼い始めて1年になりますが、今では、犬のいない我が家なんて考えられません。昔から、長女が犬を飼いたくてずーとせがんでいたのですが、私は許可しませんでした。特に「じさん」「ばあさん」が絶対反対でした。ところが、親が言うのも変ですが、この子が、よく勉強する子で、「もし、念願の高校に入れたら・・」と言う約束をしてしまい、飼わざるを得ない状況となってしまったのです。いざ飼い始めると、家族みんなでかわいがっています、特に「婆さん」は、曾孫をあやしているようです。実は私も、ペットは好きで、子供の頃、いろいろなものを育てました。猫や犬は当たり前で、縁日で買ってきた「ひよこ」や「ウズラ」は、大きく育ってしまうし、ウズラはしばらく部屋の中で飼っていましたが、ちょっとしたことに驚いて、庭に出たら、戻ってこなくなってしまいました。隣に野菜畑があったのですがその中に迷い込んでしまって野性に返ってしまったのでしょう。また、近くの工場の屋根の瓦をめくってまだ裸の雀の子を拉致して育てたこともあります。ツチグモを捕ってきて餌によくやりました、ちゃんと育つと、雀は、よくなれましたよ。外で、こちらが遊びに夢中なときは、どこかに行っているのですが、口笛を吹いて呼ぶと、どこからかやってきて肩に留まります。でも、1年ほどでどこかに行ってしまいかえってはきませんでした。すてきな彼女(彼氏)でも見つかったのでしょう。
2002年02月26日
コメント(0)
さわやかな感じの高校生のアベックを、自宅近くの河川敷の土手で見かけました。川を挟んだ反対側にある高等学校の生徒です。今日は日曜日ですから、おそらく、クラブ帰りでしょう。アベックを見かけるのは、決して珍しいことではありませんが、犬の散歩で見かけた今日の二人は、とてもさわやかに感じたので、なぜか気になりました。水面に向かって、小石を投げて、何回跳ね返るかを競っていました。何となく私も遠い昔、そんなことをやったように思い出して、ほんのりとしていました。
2002年02月24日
コメント(0)
昨日は2002年2月22日で、数字の”2”が並んだ日付けだったんですね。次の日になって子供たちに聞いて「あ!そうだったんだ・・」と気がつきました。だんだん年をとると、何となく時が流れてしまい、ちょっとした感動もないまま毎日が通り過ぎてしまいます。誰かの誕生日とか、なんかの記念日とか・・・大事なはずの一日が、ただ何となく通り過ぎてしまいます。時には、後からもうすぎてしまったことにきがついたりします。せっかく義理チョコをもらったのに(2個)ホワイトデーは、忘れないようにお返ししましょう。たしか、3/14だったよね・・
2002年02月23日
コメント(0)
マイカーが来月で車検が切れてしまうんだけど、どこに出そうかな。いい修理工場知りませんか。安心してお任せできて、リーズナブルで、良心的なお店はないかでしょうか。私は、千葉県成田市在住で、千葉市までは仕事で出ます。平成5年のエミーナなんですけど、もう価値がないですよね、車を替えることも考えていますが、どうしようかな・・・この車を購入した頃は、家族してよくスキーに出かけていたので4WDにしましたが、今では、子供たちも大きくなり、忙しくてなってしまったのか、私一人でこの車に乗っていることが多いです。思い出の多いこの車、車検とってあと2年乗ろうと。
2002年02月22日
コメント(0)
監督はさておいて、奥さんがすばらしい。ご結婚は、私が高校2年生の時で、奥さんは、陸上部の教え子です。練習が終わり、私たち部員が駅の待合室で列車を待っていると、そこには奥さんがいらっしゃいました。お仕事の帰りですが、列車を待っているわけではありません、学校から帰宅される監督が駅に奥さんを迎えによられるのを待っているのです。よく、お菓子をちょうだいしたり、いろいろなことをお話くださいました。年齢も私たちに近くお姉さんのようでした。ちなみに、監督と奥さんは12才も違います。この後、様々なことがありましたが、この奥さん無くして、小出義雄はただの酔っぱらい親父だったでしょう。
2002年02月21日
コメント(0)
私は、高校時代陸上競技部に所属していました。そのときの部長は、あのオリンピック選手を育てたら世界一といわれる小出監督でした。私は、短距離種目でしたが、これでも、インターハイまで行きました。監督コーチといえば、怖い人が当たり前と思っている人が多いのではないでしょうか。でも、小出監督は違うのです。なぜか、「この親父のこと喜ばしてあげたいな・・・」そんな気持ちに正直なってしまうのです。「北風と太陽」の話はご存じですよね、あんな感じです。毎年2月に、OB会が有り、監督は必ずおいでになります。今年も先週催されたのですが、私は仕事の都合で参加できませんでした。来年は、きっと参加したいと思います。今から楽しみです。
2002年02月20日
コメント(0)
同窓会について、みんな、どう考える??積極的に燃える人と、冷ややかにさめた人と、いますよね。どうなんだろう・・・・いろいろなこともありましたよね、ほんのりしたことや苦い経験や、失敗したこと。聞きたいな・・・
2002年02月19日
コメント(0)
全48件 (48件中 1-48件目)
1