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好きではない人と関係を持ってきた自分が許せない
そしてそんな経験からきちんとした恋愛をしていない人々も
けがらわしい、そういった書き込みがありましたから
そのような方々に向けて書きたいと思います
それで日記で注意をして欲しいのは
私は個人に向けて情況を良く知ってアドバイスをしているわけではない
ということです。
だからご自身が使える必要な部分だけを使って
違うなと思うことは、自分が何が違うのかそこを確認して
ご自身のあり方を大切にしてみてください。
対面のセッションであれば、私はその方の本質に触れるということに対して
ある程度自信があります。でもメールカウンセリングや掲示板では
私はある一つの言葉をぶつけて、その方の中からその人なりの
感じ取り方からこれはこっちのほうだ、これは違うけれど
これは使うぞ、というように自分で探せるように
していっているから、全部を文章を受け入れる必要なんてさらさらありません。
ある言葉をぶつけて
大切なのはそこから沸いてくるご自身の意思なんです。
私はだから、メールカウンセリングについてはここは違うぞ、
ということをちゃんと提示をしてくれれば
だから自分を諦めないことです。自分が違う意見があってよいことを
ここは違うからこうしようと思ってよいことを
あれこれは当てはまらないな、と思ったら、
それを大切にすることをしてみてください。
さて、本題に入りますが、そんな状態になったら、
ご自身の課題は、本当は
『自分が精いっぱい生きているけれど
でも時々学んでみると違うことをしたほうがよかったな
そうか、これは違うんだ、と思うことが人にはあるんだ』という理解です。
これは、そういった過程を大切にすることが
受け止められていない、と感じてしまった自分自身の悲しみが
根底にあります。間違いは間違いでやってみて
こちらが良かったと学べてそれでいいんだよ、と応援をされなかった、といった
何らかのそういった厳しさを学んできてしまっていて
自分がしてみて駄目だった、違うことをしよう、と思う気持ちは当然あってよいはずなのに
その部分に鍵がかかっていてその部分を許しておらずその部分の自分自身への強い否定が
とても相手や自分への厳しさへと変化していきます。
人はいろんなことをしながら
自分にぴったりのものを探すことがある
その過程では色々経験をすることがある
ということを、受け入れていないそんなことは
受け止められない何らかの幼少期に厳しく接せられたような
ご自身の悲しさに触れる必要があります。
好きではない人であっても、そのときには
その人を必要としていたという意味では
好きであるともいえます。恋愛感情ではなくても
自分がその時は精一杯生きてきたことを
どうぞ受け入れ許してあげてください。恋愛感情ではなくても
そうです、今後はそんなことをしたくなければしないでください、でも
その時期には、恋愛感情ではなくても何らかの気持ちが必ず
そこにはあったはずです、寂しかった、自分を認められる何かがほしかった
その弱さは駄目なものなのでしょうか・人生には弱さがあってはいけませんか
一旦弱ければ、もう幸せになることを禁じなければならないほど
人は弱くなくてもよいはずです。
ではないと憎みながらよいことをしないようになります。
良いことというのは人に対して暖かく見守り
自分が幸せになることを許さない
でもそれはあなたを愛する人々皆にとって不幸だ
ということです、
あなたにとっての正義は、
例えば今後愛する人々に優しく豊かに接することですか?
それであれば自分を許していないと常にくよくよして
楽しくない関係を築きながら、何か相手が自分に優しくない時に
自分が誤っているから間違っているから、というように
引きこもり、あるいは相手にひどく腹を立てながら
でも自分を責める、そんなことしかしなくなります。あらら、と笑って、
きがるに
相手を支えることよりも、自分を責めて
相手に許しをどこかで請うようなそんな弱い関係になってしまうでしょう?
罪悪感の役割は、『これが間違っていた、違うことがしたかったんだよ』と
教えてくれることであって、『だからくよくよずっと自分が幸せにならない』と
言う気持ちに変化をしてしまうとすれば
それは罪悪感の役割である『本当はこうしたかったんだ
今後はこうするよ、もうこれは辞めるよ
悔い改めて今後は役に立つことをしていくよ、』という気持ちを認めてあげていないことになります。
私が気持ちを十分に感じるということを良く伝えますが
それはそういう意味です。感情にはもっともっと深い感情があり
罪悪感は『これは本質にあっていない、今後は本当に愛する人々と
豊かな関係を築くために努力をするよ』という本当の気持ちを感じることが大切に
なります。
どうぞ、自分が自分を許さないのは
本当は正義ではなくて、責めていることで
自分がある意味、せめてせめていたら
そうしたら正しくなれるかもしれない、という要求でもあることから抜け出てみてください
本当の悔い改めはなんですか?それは
していたことが恥ずかしければ
していたことが嫌であればそれを認め
それが恥ずかしい自分がいてもいい、でも
そこから逃げずにそのときにはそうした自分がいることを認め
そしてその行動を変えて幸せになることではないでしょうか
幸せになり、愛することを学びそして
周りの人々に幸せを与えることではないでしょうか?
どうぞご自身に優しく接する事を学んでみてください。
それは周りの人々への豊かな愛につながるでしょうから
天野