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相手の幸せを祈ることって不自然?それとも良いこと?
こんな書き込みがありました。
「相手のためを願うことって、良いことなのでしょうか?
引き寄せの法則などではそうのようです。
でも、ライバルを蹴落とさないと生きていけない社会もあります。
たとえば、オーディションなどでは、周りはライバルなわけで
相手の幸せを願ったら、自分が勝てなくなります。」
というような内容でした。まとめてしまったので、ちょっとはしょっているかも
しれませんね。
それで、人は、たとえば、強さが必要です。
でも、相手の不幸を祈る必要はありませんよね?
たとえば、ある人が、本を書きたいとするでしょう?
で、自分なりに頑張っていて、でも自分が売れる前に、
他の友人が、他の人の本をリメークして、すごく成功をした、とします。
そのときに、すごく嫉妬をして、いらいらして、そんなずるをして、と
思うとしましょうか?
でも、そのときのいらいらって、何から来ると思いますか?
脳の中に、書き込まれた、「ずるは悪い」という情報と、
自分はずるいことをできない、という禁止です。
これらは、親によって教えられ、罪悪感と強い恐怖心(やってはならない)
というのがあるので、それを破った人を見るときに、とてもいらいらします。
でも、よく考えてみてください。相手は「ずるをして」と思って
怒りが強くわいたかもしれないけれど、
相手のことを、よくよく調べたら、
リメークをするにあたっては、何年もその作家のことや、社会的な状況や
家族を調べ、心情を調べて、その努力があって、何年も
構想があって、初めて書いたもので、
だからこそ、リメークのほうが売れたりしたのかもしれないのです。
つまり、ぜんぜんずる、ではないから、売れているのです。
相手のことを、こんなずるをして、と思ってしまうのは、
自分の中に、ずるは悪いこと、と言う情報があるために
「その人そのものの努力、どういう功績があるのか
どうその本が、本物よりよいのか」ということが、検討をされていないわけです。
すると、自分が成功をするために、「もっとよい物があるんじゃないか
こうしてみたらどうか、こういうところは、学んだらどうか」というところが
ずるに思えてちゃんと調べていなかったのです。
でもその友人には、ずる、と言う考え方がなくて
「この作者の生き方からでる、こんな本ってすごいな、
この人のことを知りたいな」という感動や、直感的にこれがよいものになるという
気持ちから、その人についての
歴史を含めて、リメークを作ったのかもしれないのです。
翻訳の走れ、メロス、は、本物の本よりも、心情などが
とても良く描かれているとされて、原作よりも日本では高く評価されることも
あったようですが、そのようなことですね?
でも、自分が禁じてきたことを、相手がすれば、面白くないわけです。
自分の中では、それぞれが、色々な方法で成功をするのが
信じられてはいないんです。そして、自分はどういうふうに
視野を広くして、新しいチャレンジをするか、と言うことがわからないままに
何か決まりきった努力を必死になってしまうわけです。
つまり、その人が成功をしたときに、素直に喜べるのは
「そうだよね、なるほど、こういうふうに努力をしたり
こういうものを作り出せば、成功をするのは当然だよね」と
信じている、と言う、色々な方法に対して、開いている
心境なのです。
もちろん、私は、本当のずるを勧めているのではありません。ずるは気分悪いしね。
でも、本当のずるをしろ、ということではなくて、
余計な書き込みが脳にあるために、禁じている部分が多すぎてあの人はこう、この人も面白くない、皆の幸せなんて祈れない、と思っていたら、
自分もその人と同じように、それ以上に出来る力がせっかくあっても、
そのページがまだ閉じているという
状態なわけです。
その心境のまね(幸せでよいよ、皆幸せになってね、みたいな
ふり)をすることで、余計な物が潜在意識から整理をされる
ということは、たしかにあります。
嫌だ、負けたくない、と言う心境でいるよりも
そうなんだ、そうできる人もいるんだ、へーという
感動があれば、開かれるあなたの才能が出てくるということですね。
他の例をあげて見ましょう。「こんなブスで芸能人になるなんて!」と思っている
人は、芸能人になりにくいでしょう。自分が努力をするときも
相手にそう見られているのではないか、と言うことが気になるからです。
それよりか、もう、芸能人に(本心はなりたいとしても)なりたくもないでしょう。
軽蔑と、侮蔑と、その気持ちだけが上がってきてしまうからです。
あるいは、こんなブスで芸能人になるなんて、と他の人をにくにくしく思っていて、
自分だけがきれいで大丈夫よ、と思っていたら、
その人は、自分が年齢を重ねてきれいではなくなってきたとき
(いくらきれいでも、演じる役割は変えなければならないわけですから)
ノイローゼになったり、自分がどういう立場で成功をしたらいいのか
わからなくなります。そして周りにつぶされます。
でも、その人がこんな点が良くて成功をしているんだな、と素直に思える
少年期があれば、そのまねを素直にしていますから、(無意識に)そのようになりたければ
そのようになりやすくなることは、出てくるのです。それにひょっとして、素直であれば、素直に自分が芸能人になりたければ
色んな方法を探していることもでてきます。ということは
若いときに出来なくても、年齢を重ねてできるうになる方もおられますが。
いずれにしろ、そういう何かの悟りがないと、続けていくことができにくいわけです。
さて、オーディションなどではどう考えたら?ということですが、
一つ、皆さんに誤りがあるのは、(現代の人々すべてにですが)
オーディションに受かることは、夢で第一歩ですが
それだけが人生の目的だったり、勝ちだと思いすぎていることです。
だから、受かった一人は幸せで、受からなかった一人は
不幸だと思っているでしょう?
でもそうではないかもしれません。受からなくてもっと勉強をする人、
受からなくてがっかりして他の人生を歩む人、人はそれぞれ、
その人たちの道を探していきます。
自分の役割は、自分を精一杯生きることです。でもそれは
他の人々がどう生きるかを、許す、ということでもあるのです。
その人たちが他の方法で努力をしていたり
するのを、そのまま、認めてあげるあるいはほっておける
ということですね。
相手の人はオーディションに落ちるかもしれません。
それでも、受かって芸能界でつぶされて麻薬などにつかってしまう
人よりも、そのときは、いったん、失敗をしたとしても、幸せな
他の人生を歩んでいるかもしれませんね?
その人たちは、その人たちの人生があり、苦しみを含めて
失敗をどう解決するか、ということを含めて、
その人たちが責任を持って幸せを選んで生きます。
私たちは、それを応援することはできこそすれ、
その人たちがそれだから、不幸だ、と言う判断もできません。
幸せを祈るというのは、「あなたもオーディションに受かるとよいね、
私は落ちてもさ」という弱い心境ではなくて、
(これは、本当は正しい犠牲の方法ではないのです)
「あなたも私も最善を尽くし、本当に自分なりの方法で
夢をかなえられるといいね、私も落ちるかもしれない。
でも受かるために頑張るよ!そして、必ず
こんなふうに夢をかなえたいの」ということをお互いに許していいのです。
そしてそれらは、色んな経験を通して柔軟に
よりよい夢をかなえていく方法を探してみることが大切です。
私たちは、自分を生き、その過程で、「これは自分が本当に適切に
できる、適切な方法でしてみたい(たとえばオーディションを受かって
こんな演技をする女優になりたいとか)ということを、実現をしていく
ことができます。そこには、勇気を持ってぶつかってよいのです。
そして、そのときに、他の人々は、他の道を必ず選んで
長い目で見れば、幸せになれることを信じ、
他の人々は、他の人々なりに
失敗を含めて、その人たちが一番良い道を選ぶことを
知っていれば、また感じ取り方は、違うのではないでしょうか?
そのことを信頼することこそが、とても大切な世の中になってきています。
現在のゆがみは、さまざまな職業や方法で幸せになれるのに
その方法ではないと、その人生ではないと、人を蹴落とさないと
(たとえば役人ばかりが、
自分の利益を優先したら本当によい社会になるでしょうか?ということですね)
幸せになれない、ということが誤って信じられすぎていて
そのために、他の人と調和をする方法がわからなくなってしまったことです。
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今後、レベル1からの内容を大幅に変えていきます。
前回に受けている方々にも、きちんとそれらの情報を、提供をします。
内容については、自分の信じ込みを、自分自身で取り去る方法、
負担やストレスを取り去る方法と、それらの、整理を
人々にセッションでしていける、
その両面をお伝えしていきたく思います。
セッションでは、その人に誤って信じられている
価値感などを取り除いていきます。